217話 アズリア、白い霧の正体
迫り来る大量の海の水。海の王国の王都ノイエシュタットを守ろうと決意したアタシに。「漆黒の咎人」の魔術文字に封じられていた謎の存在は、力を与える代償を求めてきた。
『三度魔術文字を使えばお前の身体を貰う』と。
結論から言えば、アタシは提案を飲み。三度の猶予の内、一回を消費して都市の水没を防いでみせた。
つまり「漆黒の咎人」には大規模な自然の脅威にすら対抗し得る程の強大な力を有している。
──今、その力を発動させれば。
「間違いなく、カムロギには勝てるんだろうけどねぇ……けど」
だが、生命を提供する代償を考えなかったとしても。「漆黒の咎人」は魔力の消耗が大きかったりする。カムロギとの決着が付いた後、意識を保っていられるかは定かではない。
現に海の王国では、アタシが魔術文字を発動している間の記憶が曖昧になり。事が済んだ後、意識を無くしてしまったのだから。
アタシは一瞬だけ頭に浮かべた、重い代償を要求する魔術文字を使用しようとした発想を振り払う。
「それじゃ、駄目なんだよ……ッ」
それでは本末転倒なのだ。何故なら、アタシの目的はカムロギを倒したその先に待っているのだから。
アタシはせめて、魔力を帯びた武器からカムロギの位置を判別出来ないかと。魔力を見る事が出来る「魔視」を発動した左眼で、霧に包まれた辺り一帯を見渡すが。
「な、何だよこりゃ? この霧、全部……魔法じゃねぇか!」
視界に映ったのは、全て魔力の反応。つまりは見えない斬撃と違い、霧が発生したのはカムロギの魔法の仕業だったのだ。
確か……風の刃を放った漆黒の曲刀とは別にもう一本、水属性の魔力を帯びていた魔剣をカムロギは握っていた。ということは。
「そうか……幻惑の霧、ッ」
今、アタシの口から漏らしたのは、限られた範囲に霧を発生させる水属性の魔法の名前だ。魔法自体は珍しくも、使用難易度が高いものでもないが。
問題はそこではなく。
カムロギが距離を空けて放ってきた風の斬撃を、「魔法ではない」と見切ったことで。突然、視界を覆った霧すらも、アタシは魔法である可能性を勝手に摘んでしまっていて。
魔法の霧が立ち込める状況で、魔力を感知する魔視を使ったらどうなるか。そこを失念していた。
慌ててアタシは、視界全体が魔力に反応してしまい役に立たなくなった魔視の発動を止めたが。
「隙を見せたな、アズリア!」
濃霧の中に姿を隠してしまったカムロギの声が届くと同時に、白い霧を切り裂いて飛来する斬撃。
「……ち、いッ!」
アタシは左眼に魔視を発動する時、右眼に手を当てて視界を隠すが。斬撃が飛んできたのは、視界を塞いだ右側面からだった。
今、周囲に立ち込める霧が自然なものなら。何故カムロギがアタシが右眼を覆うのを知ったのかが不思議だったが。霧が「幻惑の霧」による魔法の、しかも術者がカムロギならば、霧の中を見通せるのも納得だ。
つまり、濃い霧で視界を遮られているのはアタシのみ。カムロギは霧の中を視界の制限なく、自由に動き回ることが出来る。
「もしこの状況で……アタシだったら、どう動く?」
アタシは、カムロギの立場になったと想定し、自分ならどう霧の中で視界を遮られた相手を追い詰めるかを考える。
飛ぶ斬撃を単発で放ったとしても、アタシを仕留められる可能性は低い。となれば、右側面から飛んでくる斬撃は陽動、囮で。
連続して飛ぶ斬撃を浴びせるか──もしくは。
「……アタシだったら」
ただし、カムロギが放つ斬撃の威力は、無視出来るものではない。下手に急所に直撃しようものなら、その時点でアタシの生命は散るだろう。
だからアタシは、大剣を頭上へと掲げた後。間近に迫ってきた風の刃へと躊躇なく叩き付け、武器から放たれた斬撃を粉砕する。
ただし、意識は既に斬撃が飛んできた右側面とは真逆、左側へと警戒を強めていた。
アタシならば。一見、視界を塞いだ右側面を狙ったようこちらの意図を勘違いさせ。注意を右側に引き付け、攻撃が済んだと油断した心の隙を突いて。直接攻撃を仕掛けるだろう、と。
そう考えた途端、アタシの警戒の網が反応し。
「──そうくるのは想定済みなんだよッッ‼︎」
振り下ろしたばかりの大剣を握る腕に力を込めると。刃を跳ね上げ、斜めに斬り裂いていった。
左側面、霧の中から飛び出してきた殺気の主に向け。
飛び散る火花。
アタシが咄嗟に振り抜いた大剣と、カムロギの漆黒の刃の剣閃が空中で交差し。甲高い金属同士の衝突音が霧の中に鳴り響く。
「く、っ……これにも反応するか。本当にお前は……俺の本気を出すに相応しい相手だ……っ」
「はッ、随分と余裕な態度じゃないかカムロギ!──だけど」
どうやらカムロギは、自分の攻撃が受け止められるとは思っていなかったようで。
アタシの大剣を、黒い曲刀ただ一本のみで受け止めていた。戦闘開始直後のアタシならいざ知らず、二重発動を発動し、増強された腕力から振るわれた大剣の威力を。カムロギの片手の武器一本で相殺し切れないのは理解している筈だ。
「いつまで保つか、ねぇ……ッ」
「う……ぐ、う、っ!」
刃と刃が擦れ合う、ギリギリ……と金属が軋む不快な音が鳴る中。カムロギを腕力で抑え込み、徐々にではあるがアタシの大剣がカムロギの素肌に迫っていく。
歯を食い縛る表情からも、カムロギが右手に懸命に力を込めているのは容易に判断出来る。
「カムロギ、悪いけど……ここで決めるよッ!」
アタシは、カムロギをこれ以上霧の中に逃がし、戦闘を長引かせまいと。
右眼と左肩の二つの「巨人の恩恵」の魔術文字から魔力を引き出し、大剣を握る右腕に力を漲らせていき。
魔力を受けた右腕が、一回り太く膨れ上がると。
「ぐ、うぅぅぅっっ……っ⁉︎」
さらにアタシは、力を増した大剣を押し込んでいき。刃がカムロギに届くのも、もうあと僅かという位置に達した、その時。
圧倒的劣勢に追い込まれたカムロギの両の目に、戦意が宿ったのをアタシは感じ取り。白い刀身の曲刀を握る、もう一方の腕が動くのを察知した。
だが、今のアタシの立ち位置は完全にカムロギの懐に入り込んでいる。
彼が握る曲刀は、一定の力の溜めと刃を振るための空間の余裕がなければ、充分な威力を発揮することは出来ないが。唯一の例外の攻撃、それは「刺突」である。
鋭い切先で腹や首といった急所を刺し貫かれれば、アタシにとっては致命傷だ。
「させないよッ!」
カムロギの片手が空いていたのと同様に、アタシの左腕もまた大剣を握らずに空いていた。
事前にアタシはカムロギに妙な動きをされないよう。「白雨」と呼んでいた白い曲刀を握る手首を、左手でしっかりと掴む。
これで先んじて反撃を防いだ、と思ったアタシであったが。
手首を掴まれたままのカムロギが、笑みを浮かべ。
「──篠突く雨弾」
水属性の攻撃魔法の名称を口にしたのだ。
「幻惑の霧」
水属性の魔力を術者の周囲に拡散することによって、魔力を帯びた濃霧を発生させる中級魔法の難易度の魔法。
魔法の名称とは異なり、魔法で生成した霧には範囲内の対象の感覚を鈍らせたり、混乱させるという効果はなく。魔力を帯びている事以外は、自然に発生する霧とほぼ変わりがない。
余談だが。妖精族などは、この魔法を儀式魔法として超広範囲へと拡大し。自分らの棲み処である森への他種族の侵入を拒んでいたりもする。




