207話 アズリア、最後に待つ敵へと挑む
この話の主な登場人物
アズリア 主人公 大剣を扱い魔術文字を行使する女傭兵
ベルローゼ 幼少期アズリアを虐待した白薔薇公爵
カムロギ 最強の傭兵「韃靼」最後の一人
「ふぅ……終わりましたわ」
周囲に放たれた淡い光が消えていくと同時に一つ息を吐き、お嬢が魔法による治療を終える。
血の気が引き意識を失ったフブキだけでなく、負傷したユーノやヘイゼルまでも一斉に治癒したからなのか。
お嬢の額には、先程までなかった疲労の汗がびっしりと浮かんでいた。
そんな彼女の姿を見て、アタシは思わず声を掛けずにはいられなかった。
「……お嬢、ッ」
アタシとお嬢との間に、もうやり直す事の出来ない過去の因縁がある以上。はい、そうですか……と女中の言葉を完全に信じるつもりはない、が。
だからといって、複数の負傷者を癒す治癒魔法を使ってくれた恩を無碍にも出来ず。
交錯した心中のまま、アタシはお嬢の眼を真っ直ぐに覗き込むと。
「なっ!……何ですの、あ、アズリアっ?」
ようやくアタシが見ている事に気が付いたお嬢は。動揺を露わにしながら、一歩後退っていき。
ぷい、とアタシから顔を逸らして。動揺しているからなのか、良く意味のわからない言葉を口にしていたが。
「そ、そんな真剣な顔つきで私を見ても、わ、わ……私、私っ……」
「そ、その……ありがと、なッ」
ようやくアタシは、胸中でぐるぐると渦巻いていたお嬢との確執を抑え込み。
純粋に、仲間らを魔法で治療してくれた事への感謝の言葉を、口に出すことに成功する。
「危ない状況だった仲間も、これで大丈夫だ。いや、それだけじゃない」
一旦、気持ちを言葉にすると。感謝を示さないといけない出来事がもう一つあったのに気付いたアタシは。
「アタシらを先に行かせるために、二の門で敵を食い止めてた連中を助けてくれたコトにも、感謝してるッ」
「あ? え、えっと……ふ、ふぅぅん、そ、そうです、かっ」
先程、三人組の一人、猪人族のエルザから聞いた説明では。四本槍とかいう敵を倒した際に、まだナルザネやイズミらは生存していたと聞いた。
ナルザネらと面識がないお嬢らは、彼らを救った認識はないだろうが。結果的には同じ事なのだから。
「ま、まあ……アズリア、こんな些事でお前に感謝される謂れはありませんが。感謝したいというなら、素直に受け取っておきますわっ!」
先程まで視線が定まっていなかったお嬢だったが、ようやく魔法の疲労も落ち着いたからなのか。
アタシが見知っている、いかにも貴族らしい傲慢な口調で感謝の言葉への返答をしていくお嬢だったが。
「ちょっと、アズリア……お前」
「ん?」
ふとお嬢の言葉の勢いが下がったのをアタシが妙に感じた、次の瞬間。
一歩引いたばかりのお嬢が、突如としてこちらへと無造作に近寄ってきて。アタシの右肩に触れようと手を伸ばし。
「──大治癒」
無詠唱で、再び治癒魔法を発動していく。
「お」
アタシの右肩には。先程オニメと交戦した際に、魔剣で鎧の装甲ごと斬られた傷が残っていた。決して浅くはない肩と胸の傷からは、いまだ血が流れ続けてはいたが。
お嬢が用いた魔法の光が傷口を覆うと、みるみるうちに傷が塞がっていった。
「まったく。傷を負っていたのならそう言えば、先程の魔法でお前も癒してやりましたのに」
ふと、アタシの中に芽生えた違和感。
砂漠の国で再会した時のお嬢は。
まさに幼少期にアタシを虐げ、アタシが「悪魔の子」という認識を周囲の人間に植え付けた張本人に相応しい態度だった筈だが。
「何ですの、アズリア、お前」
「……い、いや、別に何でもないッての」
あれから半年以上が経過し、この国で再会を遂げたお嬢からは。砂漠の国の時のような忌避感や嫌悪感を覚えなかったからだ。
あれから色々な事を経験したアタシの感性が、お嬢を許せるまでに軟化したのか。それとも……お嬢の性格が改善し、成長を遂げたのだろうか。
お嬢がこの国まで来た理由とも関係する以上、もう少し言葉を交わして真意を知りたいとは思う──のだが。
アタシにはまず、やらなければならない事がある。
お嬢との会話はそれからだ。
「さて、それじゃ──」
お嬢の治癒魔法によってフブキの容態が良くなった上に。お嬢だけでなく、女中にカサンドラら三人組までこの場にいる。
三の門から距離を空け、フブキやユーノを避難させた場所からアタシは視線を放つ。
三の門の前に立っていた一人の武侠へと。
見れば、アタシが倒したオニメに加え。ユーノとフブキが氷漬けにした子供や、ヘイゼルが交戦し胸に大穴を穿った弓兵の大男もまた。門の横に城壁にもたれ掛かるように寝かされており。
「待たせた、ねぇ」
「いや、こちらも今ちょうど終わったところだ」
左右それぞれに立派なこの国製の曲刀を握ったカムロギは、アタシの視線を真っ向から受け止め、軽く受け流していった。
「まさか、こんな状況でアンタと戦うハメになるとは、ねぇ……」
「ああ、俺もだ。この世界はどうにも奇妙な縁を紡いでくれるみたいだな」
アタシとカムロギが出会ったのは、五日前まで滞在していたフルベの街の郊外で、だった。
武侠崩れや孤児らを率いていたカムロギら野盗の一行は。大陸でも危険な流行り病として知られる「黒点病」に侵されていた。
薬を探して、モリュウ運河の積荷を狙った事でカムロギらの存在を知ったアタシは。魔力が枯渇する限界まで魔術文字を用い、全員の病を治療することに成功したのだったが。
まさか、カムロギ以外の野盗らもこの場に居合わせ、全員を相手にしなくてはならないのだろうか……という懸念がアタシの頭を過ぎる。
出会い頭に「仲間を傷付けた」と誤解したカムロギが、病に侵蝕され衰弱した身体ながら、アタシへと斬り掛かってきた。その時に大剣で受け止めたカムロギの攻撃の威力と重さは、今でも記憶に残っていたからだ。
その時の記憶があるからこそ、カムロギとの一騎討ちではどう勝敗が転ぶかわからないのに。他の野盗らまで加勢されたら、アタシが圧倒的に劣勢になる事は否めない。
「アンタ、一人かい?」
「他の仲間はちょうど別の任務を与えて、ここシラヌヒから離してある。巻き込みたくはなかったからな」
「そいつは良かった、アタシだってイチコらを斬りたくはなかったからさ」
だが、アタシの懸念は杞憂に終わった。どうやらカムロギの仲間らは本拠地には不在らしい。
戦力としても懸念はしていたが、カムロギの仲間の中にはイチコ・ニコ・ミコという幼い孤児の少女らがいたからだ。
「今回ばかりは手加減出来そうにゃないからねぇ」
アタシは、クロイツ鋼製の大剣を肩に担いだまま、三の門へと無造作に歩み寄っていくが。
表情を変えることのないカムロギが、「ここから一歩踏み込めば戦闘を開始する」という殺気を放つ距離を察知した。それは、アタシがもう一歩踏み込めば大剣の攻撃範囲となる絶好の距離だ。
アタシはそこから二歩ほど離れ、足を止めた後、互いに視線を空中で衝突させた。




