204話 白薔薇の女中、裁きを委ねる
片眼を失ったばかりのジンライは、視力を奪った元凶たる短剣を眼窩から抜くと。憎々しげな表情を浮かべながら。
「く、っ!……こ、これ以上はっ」
自分に向けて投擲された短剣を叩き落とそうと、長槍を……そう思った途端。
ジンライは、自分の二本の手に長槍が握られていないことに今更ながら気付く。
慌てて、唯一手元に残っていた曲刀一本で、飛来する短剣を迎撃しようとするが。
「う、うおっ、当たらぬっ?」
一度、さらにもう一振りと、自分の身に迫る凶器を打ち落とそうとした曲刀は、虚しく空を切る。
振るおうとした長槍をいつの間にか落としていた失態に、直前になって気付いたのもあるし。
「きょ、距離がっ……掴めん、だとっっ?」
一度は潰れた片眼が再生し、両眼による感覚や距離感を取り戻したことが仇となり。再度、片眼の視界を奪われた事態に困惑したのも原因だったりする。
ともかく、短剣の迎撃に失敗したジンライだったが。何故か短剣の軌道は、狙われていたジンライの身体から逸れていき。
地面に。
いや、地面に伸びたジンライの影に突き刺さる。
「な?……し、しまっ!」
直前に、眼と胸を穿った攻撃が外れたことに、一瞬安堵しかけたジンライであったが。
外れた先に、自分の足元から伸びる影を見つけると、何かを思い出したかのように絶叫を漏らし。セプティナに行動の自由を奪われる前に、地面に刺さる短剣を払おうと動く。
だが……時、既に遅く。
地面の影に、二本の短剣が突き刺さったのと同時に。セプティナは集中し、溜めていた魔力を解き放ち──魔法を発動する。
「月影縛」
魔法の行使を告げる、セプティナの掛け声が響くと。
地面に向け、曲刀を振るおうとしていたジンライの腕が。「月影縛」の影響を受け、ピタリと静止した。
「──た、あ……が、っ⁉︎」
最初に動きを束縛する「月影縛」を受けた時、ジンライは強引な力業で魔法の呪縛を解除してみせた……が。
今、ジンライの身体を縛り付ける魔力は、その時よりも強力に行動を束縛している感触だった。
「ば、ば……馬鹿な、か、身体が、動か、ぬ……っ!」
地面へと視線を落としていたジンライが、身動きを封じだ張本人を睨もうとするが。魔法の影響を受けたジンライの首は、彼女がいる方向へと傾けることが出来なかったため。
どうにか自由を奪われていない片目の視線のみを、セプティナへと向ける。
すると、セプティナは。投擲して空いた両の手を三度背中へと回すと。取り出した短剣を左右で交互に次々と、ジンライの影へと投げ付けていく。
「がっ! ぐ、うううううう⁉︎」
短剣が一本、地面に突き刺さるたびにセプティナの身体から魔力が解放され。ジンライの身体と、短剣が突き刺さる影へと流れ込んでいき。
その度に、ジンライの身体を拘束する力がより一層強くなっていく。
「……あ……が、っ……」
セプティナが影に放った短剣の数が六本目に達すると。
先程までは辛うじて動かせていたジンライの指や口、視線の自由すら。何重にも発動した「月影縛」の魔力で縛られ、奪われてしまっていた。
「さて。このくらいで良いでしょうか」
六本目の短剣を投擲した後、セプティナは背中へと手を回すのを止め。結果、手には武器を何も握っていない状態で。
顔こそ別を向いていながらも、睨むのを決して止めないジンライへと。歩を進め、無造作に距離を詰めていくセプティナ。
身動きの一切が取れないジンライは、後退することも、武器を構えることも出来ず。
攻撃範囲の小さな短剣の刃でも、ジンライの首を掻き切れるまでの距離までセプティナが接近した時点で。討ち死を覚悟したジンライだったが。
「──……な?」
何と、セプティナはジンライの横を何事もないかのように通り過ぎていったのだ。
死闘を繰り広げた相手の生命を取らず、戦闘を終わらせようとする。いや、もしかしたら「死闘だ」と思っていたのは自分だけかもしれない……と考えつつも。彼女の意図が読めずに困惑するジンライ。
何故に決着を付ける事なくこの場を立ち去るのか。
横を通過する彼女へと問い掛けようと試みるも、顔を動かすことも出来ず、喉から声を出し呼び止めることも難しかった。
だが、ジンライの胸中が声に出さずとも伝わったのか。
横を通り過ぎるセプティナの足が、一瞬止まり。
「ああ、見逃した、などと勘違いなさらぬよう」
そう言い放つセプティナの声には。いつでも生命を奪えるにもかかわらず、トドメを刺さなかった温情は一切含まれてはおらず。
まるで氷のような冷たさと、刃物のような鋭さを併せ持つ言葉は続く。
「私はあくまで白薔薇家の女中。故にいつまでも、お前のような小者に構っていられないのです」
彼女の発言は、ジンライを愕然とさせるには充分すぎる内容だった。
女中という単語の意味こそ理解出来なかったジンライだったが。少なくとも彼女は、剣を交えた上で自分の事を「小者」と断言したことに。
ジンライは「魔竜の血」を飲み、異形に変貌し、さらなる力を得たつもりだったが。それでも彼女には、傷一つ負わせる事が出来なかったのだから。
「……は……は、は……っ」
動かすのも不自由な口からは渇いた笑いが漏れ、四本の脚から力が抜けていくのを感じるジンライ。
膝を折らずにいられたのが「月影縛」の影響下にあったからなのは、何とも皮肉が効いた話だ。
ジンライの視線からは最早、戦意は完全に失われてしまっていたが。
「──それに」
セプティナの言葉はまだ続いていた。
これ以上、何を告げようというのか。
そう考えていたジンライの、セプティナに向けた視界に映っていたのは。
彼女との戦闘よりも前に、ジンライと戦い、劣勢に追い込まれていた二人の領主。その二人が、武器を構える姿であった。
「私は見逃しても、彼らはそれを許さないかと」
それだけではなく、視線を向けられない背後では。
一度はジンライの苛烈な攻撃を浴びて落馬し、決して浅くはない傷を負っていたもう二人の領主も立ち上がってきていた。
「じょ……助力、感謝する……っ」
「いえ。決着はあなた方にお任せします」
警戒心からか慎重に馬の歩を進めてくる二人。
背後からも、おそらくは残る二人のだろう。ゆっくりと地面を踏み締める足音が聞こえてくる。
腕さえ動けば、一対四と言えど遅れを取るジンライの実力ではない。
だが、念入りに六本の短剣が地面に刺さり、身体の自由を奪われていた状態では。交戦はおろか、防御も回避も退却も、ましてや言葉を発することすら出来ない。
「魔竜の血を飲み、魔物と化した勇将ジンライよ……」
「カガリ家当主を裏切り、ジャトラを選んだ愚か者」
「今、我々が介錯してやる」
セプティナがベルローゼと護衛の三人組と、無事に合流出来た──その背後では。
魔竜の血を飲み異形と化した隻眼の武侠が、四人の領主が振るった断罪の刃によって討ち取られていた。
最後の言葉を残すことも叶わずに。




