202話 白薔薇の女中、ジンライと交戦する
「「──あ、危ないっ、後ろだっっっ‼︎」」
そう声を揃えて叫んだのは。ジンライの動きを察知し、背中を向けている黒髪の女中に警告を発したミナカタとヒノエだった。
「お・の・れ……えええぇぇぇぇぇぇええ‼︎」
怒りの感情を露わにした雄叫びと同時に。
両手で握る長槍を頭上へと振り上げ、二人の領主との戦闘を邪魔した不遜な女へと鉄鎚を下そうとするジンライ。
だが、二人が警告を叫んでも。
黒髪の女中が、後ろに振り返りもせず。
「……意外でした。自力で『月影縛』を解くとは」
そう、ボソリと小声で呟く。
ミナカタの頭を叩き割る勢いのジンライの攻撃が、突然静止した理由は。女中が使った「月影縛」の魔法だ。
この魔法は対象の身動きを封じ、束縛する効果を発揮するのだが。詠唱や魔力とは別途に「対象の影に短剣を突き立てる」という動作が必要となる。
見れば、地面に伸びたジンライの影には。先程、女中が割り込む際に投擲した短剣が転がっていた。
身動きを止めていた時には影に突き刺さっていたのに、である。
「いい加減にこちらを向けえぇっ女ああああ!」
冷静に状況を把握していた女中の態度に、さらに苛立ちを見せたジンライは。
一向に振り返ろうとしない彼女の背中へと、振り上げた長槍の刃を一気に打ち下ろす。
──だが。
「な、なん……だと、っ⁉︎」
驚きの声を口から漏らしたのは、攻撃を放ったジンライだけではない。背後で見ていた二人の領主もであった。
何故なら、ジンライの重い一撃を女中は。
二人の領主も、防御に専念していなければ受け切ることの出来ない、ジンライの重い一撃を。握った短剣一本で受け止めていたからだ……しかも、後ろを振り返らずに。
「こ、この、俺の槍を、軽々と止めた、だと……っ?」
カガリ家四本槍でも一番武勇に優れている、と評価されているジンライにとって。今、目の前で起きている事態は看過出来る話ではない。
何しろ、こちらを見ていなかった相手に。力を溜めてから両の腕で振るった渾身の一撃を、短剣一本で止められてしまったのだから。
しかも彼女は、その場から一歩も動いてはいない。攻撃の衝撃までも完全に殺してしまっていたからだ。
にもかかわらず、涼しい顔を浮かべていた黒髪の女中──セプティナは。
「これでも毎日……ではありませんが、お嬢様の剣を受けておりますので。この程度の攻撃ならば」
あまりにもジンライにとって衝撃的な台詞を口にする。
四人の領主を相手にすることで頭から忘れかけていたが。二の門の突破を許してしまった黒い大剣を構えた女戦士に、ジンライは一度遅れを取った。
その上、目の前で自分の一撃を止めた女の、さらに上の実力者までいると示唆された事に。
「ぐ、っ……ぐ、ぐ、ぐうぅぅ……っ」
隻眼の状態ならば、まだ言い訳も効く……だが。
既に当主から手渡された「魔竜の血」を飲み干し、失った片眼も再生し。人間以上の実力を発揮している今。実力が及ばない相手がいる事に何の言い訳も出来ない。
「……っっっっ! ぎっ!」
事実を受け入れられず、歯軋りを繰り返していたジンライだったが。噛み締める顎の力に、ついに歯が耐え切れなくなり。
歯が数本、口の中で砕けてしまった。
「……ば、馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ! この俺が、魔竜の力を得たこの俺がっ! 負けるわけが! 弱いわけがないっっ!」
と同時に、再び二本の腕で握る長槍を後ろに引いて。
今度は、残るもう二本の腕がそれぞれ持った二本の曲刀も併せ、三本の武器による連撃を仕掛けてくる。
威力で押し切るのを諦め、速度を重視した攻撃で、防御をさせまいというジンライの目論見だったが。
「残念ですが。あなたよりも上の実力者など、世の中には大勢おりますよ」
そうジンライに言葉を返した後。今度は、ジンライに聞き取れない程の小声で。
「……私たち、十二姉妹には、ね」
今でこそ、白薔薇公爵家付きの女中という立場を偽っているセプティナだが。
彼女の正体は、白薔薇と同じく「帝国の三薔薇」が一家。青薔薇公爵家は重い病を患い、長い間床に伏せている当主クオーテ公爵のために。正体を隠して暗躍する十二人の養女の一人なのだ。
アズリアらが巻き込まれた、海の王国を襲った大海嘯騒動の裏にも。彼女ら十二姉妹がいたのは、誰も知る事はない。
……とはいえ、今の彼女の目的が「白薔薇姫の護衛」なのは間違いないのだが。
そんな黒髪の女中であるセプティナは、矢継ぎ早に飛んでくる三本の武器を。
もう片手にも握った二本の短剣で、次々と受け流し、攻撃を往なしていく。
曲刀による斬撃を、短剣の刃で滑らせるように威力を逸らし。
力任せに振り回す長槍を、今度は左右二本の短剣を巧みに扱い、威力と衝撃を分散させて受け止め。
鋭い切先での刺突は、僅かに身体の軸を横へと動かすことで、最小限の動作で回避する。
しかも、防御に徹しているわけでは決してなく。
「それでは、今度は私の番ですね」
三本の武器による、ジンライの切れ目のない連続攻撃……の筈だったにもかかわらず。
刺突を回避した直後や、斬撃が大きく逸らされた僅かな隙ながら。短剣という小回りが利く武器ならではの、素早い反撃をセプティナは仕掛けていく。
「ぐ、うぅっ──⁉︎」
セプティナの短剣による反撃は、惜しくもジンライの身体を傷付けることは出来なかったが。
さらにセプティナはジンライを追い詰める。
「隙あり、です」
一度、仕切り直しにと後方へと跳躍したセプティナが、手に持っていた短剣をジンライへと投擲する。
牽制が目的、にしては。投げられた短剣の軌道は、ジンライの身体を少し外れていた。
逸れた攻撃の軌道を見て、これを好機と睨み。後方に退いたセプティナとの距離を再び詰めるため、異形によって四足となった脚を動かそうとした矢先。
ジンライは、つい先程受けた「月影縛」による身体の束縛を受けた事を思い返し。
大きく軌道が逸れた短剣へと視線を移す。
「その魔法はもう喰わんぞっ!」
地面に伸びたジンライの影に刺さるより前に、二本の腕で握っていた長槍の柄で。視線の先にあった短剣を弾いて飛ばす。
一方、手持ちの武器を落として離したのと同様の状態となったセプティナ。今、ジンライが接近戦を仕掛ければ、防御の手が薄くなるのは否めなかったが。
「……さすがに。素直に『月影縛』を使わせてはもらえませんか」
そう小声で呟いたセプティナが、ふぅ、と一つ息を吐き。何も持たない側の手を背中へと一瞬だけ回すと。
手を戻した時には既に、何処から用意したのか、投擲した筈の短剣が握られていた。
「ち、ぃっ……喰えない女だ」
隙を作ることなく、即座に武器を取り出し装備するセプティナに、思わず舌打ちをしたジンライだったが。
だからといって、攻勢を掛けるために前進する姿勢を変えようとはせず。セプティナに向け、三本の武器を一斉に繰り出していく。
「月影縛」
対象の影に物理的な干渉を行うことで、影の本体である対象を魔力による呪縛を施し。行動の自由を奪う月属性の中級魔法扱いの阻害魔法。
余談だが、本編では短剣を影に突き刺す行為が必須だ、と紹介しているが。影に干渉する行為は決して「短剣を影で突く」限定ではない。




