200話 白薔薇、老武侠に憤慨する
彼女が怒るのも無理はない。
砂漠の国でアズリアと再会し、幼少期の過ちを一言謝罪したいと思っていたのに。帝国の使者として接したが故に、意図とは逆に彼女に跪かせてしまい。
しかも後日、砂漠の国に侵攻してきた大量の低位魔族や魔獣、その大軍を率いる蠍の尾と外殻を持つ高位魔族との戦闘で。生命を救われた感謝の言葉を伝える前に彼女は去ってしまう。
そのアズリアに、帝国から黄金の国、そして海の王国から海を渡り。ようやくこの国で再会が叶う……と心が興奮で湧き立つベルローゼの前に。
今、まさに立ち塞がったのが老武侠なのだから。
「御老人? 今、道を譲るのであれば。まだ許して差し上げますが……」
怒りの感情で顔を顰めてはいたベルローゼだが。態度とは裏腹に胸の前で腕を組んだ姿勢のまま、まだ腰の長剣に手を伸ばしてもおらず。既に臨戦態勢を整えつつある老武侠へと戦闘を回避しようという言葉を口にする。
別に老武侠へ温情を見せたからではなく。少しでも早くアズリアに再会したいがため、面倒な戦闘を避けたいというだけの思惑だったが。
カガリ家を支えてきた四本槍が「白槍」と呼ばれた老齢の武侠は。彼女の言葉に含まれた意味を曲解し。
再三に渡り、不快であり挑発的な態度を見せてきた眼前のベルローゼに対し、苛立ちが限界に達したようで。
「御託はいい! 剣を抜け、小童がっっ‼︎」
ドン!と一度強く地面を踏み鳴らすと同時に、ベルローゼに戦う姿勢を取るように怒鳴り散らす。
「はぁ……いいでしょう。その言葉、後悔なさりませぬように御老人。私、手加減は一切しませんわよ」
老武侠の反応に、最早戦闘は不可避だと認識したベルローゼは、深く溜め息を吐きながら。
ようやく、腰に挿していた聖銀製の刺突剣……ではなく。腰の後ろに下げていた立派な白銀の鞘から剣を抜いていく。
白薔薇公爵家の当主の証となる、伝家の宝刀「純白の薔薇」を。
「さあ、時間も惜しいですわ。掛かってきなさい、御老人」
「今までの大言、口だけかどうかを試させて貰うぞ──この一撃で、っっっ‼︎」
まだこの純白の長剣は、女中のセプティナの手から譲渡されたばかり。どれ程の力を秘めているのかは、彼女にとってもまだ未知数ではある。
ベルローゼがそんな純白の長剣を構えた瞬間。
敵が剣を抜くのを今か、と待っていた老武侠は。地面を強く踏み鳴らしながら、突撃槍に似た形状の長槍を構え、猛然と迫ってくる。
動きこそ直線的ではあるが、その突撃速度は馬が駆ける速度と同等、いやそれ以上であり。初見で、老武侠の突撃を横に避けるのは困難を極めるだろう。
「はっはあ! 我が突撃を避ける術は無し! 大人しくそこに立ち、心の臓を貫かれるがよい!」
「……冗談ではないですわ。心の臓を貫かれれば、死んでしまうではないですか」
だが、ベルローゼは。迫る老武侠の突撃の進路から一歩も逃げようとはせず。
握っていた長剣の切先を真上に向け、頭上に掲げていくと。
「お願いします、純白の薔薇……私に、力を貸して下さいませ」
そうベルローゼが呟いた途端、純白の長剣の刀身から、ほのかな光が放たれ始めていく。
五柱の神々の恩恵を持ち、高位の神聖魔法を行使する能力が故に「聖騎士」の称号を五つの教会から授与されたベルローゼだが。
今、剣から放たれている光の正体は。彼女自身の神聖魔法を発動させるための魔力ではなく。元々「純白の薔薇」本体が秘めている魔力だ。
淡い光を放つ長剣を高く掲げたベルローゼと、長槍を構え突撃を仕掛ける老武侠との距離は縮まり。
「はっ! その剣で我が突撃を止めようというのか、面白い……が、実に愚かな選択よ!」
あと数歩、老武侠が前進をすれば槍先は敵である彼女に届くだろう。この距離であれば最早、身を躱す動作も間に合わない。
気を吐きながら、老武侠は勝利を確信する頭の片隅に、一抹の不安が過ぎる。
それは、ナルザネとの戦闘の最中。
老武侠は、間違いなくナルザネの生命を奪うため。敵の身体に槍を突き立て、突撃を敢行していた筈だった。
なのに……目の前で剣を構えた女は、両腕の膂力のみで老武侠とナルザネを引き剥がしてみせた。
つまり、あの時。老武侠は彼女に力で競り負ける、という事実を押し付けられたのだ。
回避を行う気がない、という事は。彼女は老武侠の突撃を真っ向から防御するつもりなのだろうが。
これだけ入念に力を溜めた突撃すら、また力で競り負け、完全に止められたとしたら……という最悪の展開が老武侠の頭に浮かぶ。
「だが……あの時と今とは速度が違う。殺意が違う。だから、威力が違うはずだっっ!」
戦意を奮い立たせる言葉を、一瞬、頭に浮かんだ不安と一緒に吐き捨てながら。
さらに一歩、二歩先と老武侠が距離を詰め。「白槍」の名に恥じぬ鋭い槍先が、ベルローゼの胸を一直線に捉える。
それでも、ベルローゼはまだ動かない。
頭上に長剣を構えた体勢から。
槍が直撃する瞬間、老武侠とベルローゼ、互いの視線が交錯すると。何故か、攻撃を仕掛けた側の老武侠が驚きの反応を示す。
「あの女、今、笑った……だと?」
絶対的窮地に追い詰められているベルローゼの顔には、僅かに……ではあるが笑みが浮かんだからだ。
最初は勝敗を諦めたからだ、と思った老武侠だが。交わした彼女がこちらを睨む視線からは、戦意を喪失した様子を微塵も感じ取る事が出来なかった。
老武侠の疑問に答えるのは言葉ではなく。
掲げた長剣を振り下ろす動作で、だった。
「──な」
特攻する白槍がベルローゼの胸を穿ち、致命的な一撃を与える、その直前に。
ただその場に立っていただけの彼女の身体が、急に視界から消え。槍の攻撃範囲の内側へと踏み込まれていたのだから。
「それでは、仕置きの時間ですわ」
自分を害そうとする不届き者の老武侠を断罪するため、彼の頭上へと振り下ろされた白銀の断頭台。
それが老武侠が見た最後の視界だった。
「ば……ば、か、な……ぁぁぁぁぁぁぁ……」
綺麗なまでに縦に振り抜いた「純白の薔薇」の光を帯びた一撃は。
猛烈な勢いで突進してきた老武侠の頭頂から、股下までを身体を覆う純白の鎧ごと一直線に両断し。前進していた余波から、両断された老武侠の肉体が左右へと分かれて、ベルローゼの両端をすり抜けていき。
二つに分かれた老武侠は、遥か後方でぐしゃり……と地面に崩れ落ちていったからだ。




