199話 白薔薇、老武侠の前に立つ
この話の主な登場人物
ベルローゼ アズリアを追う帝国は白薔薇公爵当主
ブライ カガリ家四本槍の一人「白槍」を冠する老武侠
ナルザネ 元は四本槍だがアズリアに敗れ、叛旗を翻す
ジャオロン 北天黒蛇拳の使い手の「羅王」
凛とした自信に満ち溢れた女の声に、全く聞き覚えのない老武侠とナルザネの二人が声がした側へ振り向くと。
視線の先に立っていたのは、二人の記憶にはない、純白の鎧を身に纏った女性だった。
「む、貴様……知らぬ顔だな」
頭の後ろで結った艶のある長い金髪は、この国では珍しく。一度何処かで視界に入れていれば、記憶に強く残っている筈なのだが。
カガリ家に長く仕えていた老武侠には、目の前に現れた女性にまるで見覚えがなかったからだ。
当然である。
その金髪の女性こそ、アズリアを追って大陸から海を渡ってきた帝国の「帝国の三薔薇」が一人。
ベルローゼ・デア・エーデワルト公爵だった。
今まさにナルザネとの対決の決着を付けようとしていた老武侠は、突然声を割り込ませ、興を削いだ相手をギロリ……と睨む。
だが、敵意と殺気を込めた老武侠の鋭い視線を受けたベルローゼは。まるで微風が吹いたかのような涼しい顔で。
「聞こえなかったのですか? 私、『そこまで』と言いましたのですが」
「当方の事情を知らず、ただ戦いを収めろ……という愚か者の意見など聞けぬわ」
「それは。自分の姿を一度、姿見で眺めてから言ってみたらいかがですか、御老人?」
姿見とは、身体全体を映して見るための大型の鏡の事を指す。
劣勢を覆すため、ジャトラから手渡された「魔竜の血」を飲み干した老武侠の姿は。半ば装着した白い鎧や槍が身体と一体化し、馬よりも速く地を駆ける両脚は人のモノとは思えぬほど太く。
一目で「人間ではない」と判るほどの異形へと変貌していた老武侠。
そう凄みを利かせた言葉を口にしたベルローゼの、槍を掴む指と腕がほのかに光を放ち始め。
ナルザネの右肩を抉り、背中側にまで槍先が貫通していた白槍が。突き刺さった傷口からズル……と抜けていく。
「──む?」
言葉を割り込まれてなお、老武侠はナルザネに対し、突進し続けていた筈なのに。
「ぐぅ……な、何だ、とお? この儂の突進が……女の細腕ごときに力負けしているだと?」
強引に身体を後退させられ、思わず歯軋りを鳴らしてしまう老武侠。
先程、声を掛けた際に突進を止められただけでも老武侠にとっては驚愕すべき事態だ。
だが……それだけに止まらず、ベルローゼのしなやかな細腕は。ナルザネから老武侠と槍を引き剥がそうとしていたのだ。
「そんな事は……あってはならん! ならんのだあっ‼︎」
両の脚に力を巡らせ、もう一度地面を踏み締め直し、今度は城壁を打ち砕くつもりで前進を試みるが。
太陽神の恩恵で腕力を増強する神聖魔法・「白銀の腕」を無詠唱で発動していたベルローゼは。
「──無駄ですわ、っっっ!」
槍を掴む腕の輝きがさらに増していくと、老武侠の「前進する」という思惑を無視するように。
ついには、右肩を貫かれたナルザネから老武侠の槍先を全部抜いていき、二人を引き剥がすのに成功する。
「う、あ、痛う、ぐおぉぉっ……う、腕がぁっっっ……」
だが、さすがに円錐形の長槍が右肩を貫通した傷はあまりにも深く。
老武侠の突撃から解放されたナルザネは、左手で肩の傷を押さえるように激痛に蹲る。傷口から流れる血の量も多く、このまま放置すれば生命に関わる深傷だ。
ベルローゼは、肩の傷を押さえ地面に転がったナルザネを一瞥し。治療すべきかどうか、一瞬迷いを見せるも。
「な、ナルザネ殿っ⁉︎」
共闘していたジャオロンが即座に倒れたナルザネに駆け寄ってきて、傷の応急処置らしき行動を取り始めた──その時だった。
『この先に、アズリアはいるぞ!』
「……っ?」
ベルローゼの耳に届いたのは、帝国の公爵としてではなく、彼女が個人的な護衛として雇い入れた三人組の冒険者の声。
その言葉に、立場を放り出してまで海を越える程に激しく追い求めていた人物の名前が含まれていたことに。
「あ……アズリアっ!」
冷静さを失った彼女の脚は、既に誰かが通過したのだろう、開けられていた巨大な木製の城門を潜ろうとするが。
「止まれ。この二の門を通すわけには行かぬ」
気持ちが急いたベルローゼの視界に横から割り込んできたのは、騎士の決闘に使われる突撃槍に似た長槍を構えた老武侠だった。
真っ白い槍先には、先程までナルザネの右肩を貫いていたからか、真っ赤な血がべっとりと付着しており。穏やかな口調ながら、顔を覆う兜の隙間から覗く老武侠の視線からは、激しい敵意が込められていた。
──しかし。
「……何ですの? 立ち塞がるなら私、容赦はしませんわよ」
歴戦の猛者である老武侠の殺気の込もった視線を、真っ向から受け止めたベルローゼは。
老武侠の殺気を上回る敵愾心を視線に宿し、対峙した純白の兜の奥へと跳ね返していく。
このやり取りの時点で、相対した二人は互いを「倒すべき敵」として認識し。
老武侠は、先程ベルローゼに力負けをしたのは助走の勢いがなかったからだ……と考え。ならば、充分な助走距離と速度があれば押し切れる、と結論を出し。
一部の四足獣が突撃の直前に見せる仕草、走り出す前に何度か地面を蹴り、土を削る動作を取り始める。
「言うわ、小娘ごときが。儂は元より、加減や容赦などするつもりはないわ」
「そうですか。では、先に名乗りなさいな」
突撃槍に似た白槍を構え、攻撃する意思を前面に押し出した老武侠に対し。
いまだ腰に挿していた剣には手も触れず、涼しい顔を浮かべたままのベルローゼは。自分の前に立ち塞がった老武侠へ名前を訊ねる。
ベルローゼからの言葉に、一瞬身体から緊張や警戒心が解け、構えていた突撃槍の槍先が下がる。
「ぬ、何故だ? 確かにまだ儂は名乗りを挙げてはいなかったが……」
「はぁ……そんな事も分からないのですか。だって──」
この国で戦闘階級である武侠は、戦いを始める前に名乗るという慣習、というか決まり事がある。
大陸でも、身分の高い貴族階級だと自分の立場を周囲に知らしめるために行われる事もあるが、絶対ではない。
ベルローゼ一行がこの国に到着してから、既に十数日が経過してはいるものの。大陸とこの国との交流がないためか、彼女は名乗りの慣習など知らない──のだが。
「あなたも、名前も知らない相手に地べたを舐めさせられるのは癪でしょう?」
ベルローゼは、目の前の老武侠に対し、何とも人を小馬鹿にしたような視線を向け。手で口元を隠しながら、挑発的、侮蔑的な文言を並べ立てると。
当然のごとく、老武侠が怒りの反応を露わにし。
「ぎ!……ぬ、吐かせっ、小娘ごときが偉そうに!」
「あら、申し訳ありませんわ。ですが私、『偉そう』ではなく偉いんですから仕方がないでしょう?」
「……ぎ、ぎぎ、わ、儂を虚仮にしおって……ゆ、許さんぞっ‼︎」
ガリ!と歯を強く噛み締めた音が鳴り。両目からだけではなく、全身から殺気を滲み出しながら。
再びベルローゼに突撃槍の槍先を向け、爪先で地面を何度も擦り、突撃のために力を溜めていく。
しかし、老武侠が吐き捨てるように口にした言葉を聞いたベルローゼは。先程まで浮かべていた、相手を嘲笑うような表情を一変させる。
「許さないのは、私のほうですわ……」
まるで彼女自身の心の内側に湧き上がる怒りを体現したかのような。眉間に皺を寄せた、険しい眼と顔へと。




