191話 アズリア、胸の傷の疑問
謹賀新年。
2024年も変わらず、アズリアたちの活躍を書いていきたいと思いますので。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
アタシの指先に刺さったような正体とは。
砕けた硝子の破片だった。
「それに……コイツは、眼鏡、ッ?」
金属の枠に硝子を嵌め、遠くを見渡す眼の力が弱まったのを補強する、「眼鏡」という日常品があるが。
どうやら、聖銀製の胸甲鎧に加え、ヘイゼルの懐に入っていたこの眼鏡の硝子が。鋭い矢がヘイゼルの胸を貫くのを阻止したのだろう。
「そうか、そういうコトかい。なるほど、ねぇ……」
持ち主の生命を護った代わりに、眼鏡は懐の内側で粉々に砕け散ってはしまったが。
「でも何で、ヘイゼルが眼鏡なんて」
言うまでもなく、硝子は貴重な物だったりする。高値で取引される霊癒薬の容器や、貴族の屋敷の窓に使われてはいるが。
日常品とは言ったものの、硝子を用いた眼鏡もまた高額で。一般的な人間がおいそれと所持している品ではないのだ。
だが……海の王国の海軍しか出回っていない単発銃や、稀少な聖銀製の胸甲鎧や刺突剣を持っているヘイゼルだ。貴重品を持つ、という点を今さら気にしても仕方がない。
それよりも、問題なのは。
「コイツ……全然、遠くが見えてたじゃねえかよ」
元来、眼鏡とは、遠くを見る事が出来なくなった眼の補強のための品物だが。
船に乗っていた時に、遠く海を見渡せていた程の眼の良さを誇るヘイゼルの懐から。何故か眼鏡が出てきたのか、という違和感を覚えた──その時だった。
「──ッ!」
鎧を脱がし、革鎧をはだけさせ懐の内側に手を差し込んでいたアタシの手首を突然、何者かに掴まれる感触。
思わず緊張が走り、瞬時に警戒心を最大限に高めていくも。
「目の前で……怖い顔してんじゃ、ねえよ」
「へ、ヘイゼルッ⁉︎」
手首に触れたのは、いつの間にか目を覚ましていたヘイゼルの手だった。
「いや……待てよ?」
ヘイゼルが意識を無くしていたのは、胸を矢で射抜かれたからではなかったのか。
だが実際には、胸に刺さっていた鉄矢の先は。鎧と眼鏡に阻まれたのか、ほとんどヘイゼルに傷を負わせていなかったのだから。
だったら何故、彼女は意識を失い地面に倒れていたのか。まるで、胸の矢傷が深傷だったと勘違いさせるように。
「じゃ、じゃあ……アンタは何で大袈裟に倒れてたりなんかしたんだいッ?」
「し……仕方ないだろっ! あたいだって、あの時は『死んだ』って思ったからだよっ!」
ヘイゼルが言うには、胸に鉄矢が直撃した瞬間。「あ、死んだ」と思い込んだがために、気が動転し、意識が飛んでしまったということだ……が。
魔力をほぼ使い果たしたユーノや、護衛対象でありながら頭に傷を負いながらも懸命に戦ってくれたフブキと比較し。少しだけ腹立たしい気持ちを顔に出してしまうアタシに対し。
「まぁ、助かったんだからいいじゃねぇか」
不敵な笑いを浮かべたヘイゼルは、アタシに掴まりながら身体を起こしていく。先程まで地面に倒れ、意識がなかったのが嘘のように余裕のある様子で。
硝子が砕け壊れた眼鏡の縁を懐から取り出し。
「あーあ……こいつはいざ、って時の切り札の魔導具だったんだけどさぁ……まあ、壊れちまったもんは仕方ないぜ」
先程、懐の内側で壊れた眼鏡が何らかの魔導具だったと口にしたヘイゼル。
実は──この眼鏡。
装着した者の視線に魔力を宿し、様々な魔法と同様の効果を与える事が出来る「魔眼鏡」という名称の魔導具で。
過去に一度だけ、ヘイゼルがこの魔眼鏡を使っているのをアタシは見た記憶があったのだが。
なるほど、と決して目が悪かろう筈のないヘイゼルが眼鏡を所持していた謎は解けたものの。
「あ、アンタ……一体どんだけ、魔導具持ち込んでたんだい……ッ」
今までヘイゼルが披露した魔導具は数多い。フルベ領主の屋敷で使った「炎傷石」だけでなく。何も目標のない海で迷わぬための「指南魚」や「遠見の筒」など、挙げればキリがない。
だが、アタシの問いに。上半身を起こしたヘイゼルは自分の唇に一本、指を置いて。
「そいつは乙女の秘密、ってやつだよ」
「はいはい……で、立てるかい?」
そう軽口を叩くヘイゼルを、アタシは遇らいながら先に立ち上がって。まだ地面に尻を突いていたヘイゼルの手を引っ張り、立つための手助けをしていた最中。
「……っ、痛ぅ!」
ヘイゼルが突然、苦痛を訴える声とともに顔が強張り、引っ張っていた腕には妙に力が入る。
痛めた箇所は一目で理解した。胸だ。
「ヘイゼル、アンタ……肋骨が折れてるねッ?」
「は、はは……っ、なんだい、普段のあんたなら、気付いても、気付かないフリしてくれると思ったんだけどね……ゔ、っっ!」
鎧と眼鏡で矢がヘイゼルの身体を貫くのを阻止出来たとはいえ。凄まじい威力の鉄矢が直撃した際の衝撃まで、鎧などで殺し切れたわけではなかった。
命中した時の衝撃は、鎧に減り込んだ時点でヘイゼルの身体へと伝わり。胸の内側にある心の臓、そして息袋を守る肋骨を折ったのだ。
「はぁ、はぁ……っ」
肋骨を痛めたヘイゼルが、つい先程まで余裕のある表情を見せていたのは。おそらくは地面に寝ていたからなのだろう。
立ち上がったヘイゼルは、笑みこそ浮かべていたものの。その表情が無理をして作っているのは、額に滲ませた汗が物語っていた。
一歩、足を前に踏み出す度に胸が痛むのか。遅い歩調のヘイゼルが、前を歩こうとしていたアタシを呼び止める。
「ほ……ほら、アズリアっ、少しばかり……肩を貸しておくれよ」
「やれやれ……まったく、仕方ないねぇ」
アタシが矢の届かない灼熱の結界の内側で、オニメと戦闘を繰り広げていた間にも。
隙あらばこちらを射抜こうとしていた大柄な弓兵から、単発銃を駆使してユーノやフブキを守ってくれたのだろう。
フブキの目的に協力し、本拠地への突入に手を貸す事自体に、ヘイゼルに何の報酬や利点があるわけでもないのに。立ち塞がる敵に挑んでくれるだけで有り難いのに。
その上で弓兵に勝利してみせたヘイゼルだ。肩を貸すくらい快く応えてやっても良かったのだろうが。
「ヘイゼル。アンタにゃ感謝してるよ……けどさ」
胸を痛めているヘイゼルの隣に並んだアタシは。普通であればヘイゼルの腕を肩へと回し、脇腹を抱えて歩く補助をするところだが。
あまり腕を動かし、これ以上肋骨を痛めないよう配慮して。腕をしっかりと固定し、歩くヘイゼルの身体を支えていきながら。
「アタシはまだ、囮にされた恨みは忘れちゃいないんだからね」
「おお、怖い、怖い」
どうしてもヘイゼルに対し、素直に感謝の気持ちを表せない理由を口にしていくアタシ。
フルベ領主の屋敷に、ヘイゼルとユーノ、そしてアタシの三人で強襲を仕掛けた際に。
何の承諾も無しに、扉を破壊するための「炎傷石」のみを手渡しただけで。正門からの突破の役割を、無理やりに押し付けられたのが原因で。
アタシは背中を大きく斬り裂かれたり、腿を槍で深く刺される等……かなりの深傷を負い。それだけ、この本拠地への出発が遅れてしまったわけで。
勿論、囮にした事はとうに許してはいる……からこそ。ヘイゼルを心配もするし、肩だって貸してはいるのだが。
あの時の確執を完全に解消するほど、アタシは器の大きな人間ではない。だから、彼女が無事だったと知ったからか。
「へらず口を叩けるなら、もう少し足を早めても平気そうだねぇ」
「……い、っ?」
あの時の仕返しとばかりにアタシは、背中を支えていた腕に力を入れ。歩く速度を早め、歩幅を大きくしていったのだった。




