186話 ユーノ、シュパヤとの決着
このままでは、回転の勢いを乗せた脚を浴びせるよりも前に、氷の魔力を帯びた斬撃の餌食となる。
そう判断したシュパヤは。
「じょ、冗談じゃないっ、だったら──」
放った踵をユーノの頭目掛けて振り下ろすのを、一旦諦め。蹴りの目標をユーノから、迫り来る氷の魔力へと変更した。
つい先程、シュパヤの眼前でユーノがやってみせた不可視の「断空刃脚」を粉砕してみせたように。
「あの雑魚が出来たことくらい、オイラにだって!」
シュパヤもまた、ユーノの氷の爪撃を蹴りの威力で粉砕してやろうという算段だった。
断空刃脚と氷の爪撃、既に優劣は付いている筈なのだが。
この時シュパヤは「負けたのは斬撃であって蹴りではない」と、都合の良い解釈をしていた。
だから、回転と落下の勢いを乗せた蹴撃ならば、氷の爪撃に打ち負ける事はない……と。
その発想が甘かった事を。
シュパヤはその身を以って思い知ることとなった。
「ほら見ろっ! やっぱりオイラの蹴りのほうが──」
氷の爪による斬撃と、シュパヤが真上から猛烈な勢いで振り下ろした踵とが、空中で衝突した瞬間。
冷気を帯びた衝撃波が、シュパヤの蹴りの威力を受けて吹き飛び。周囲には微細な氷の欠片が、キラキラと光を反射していた。
「ぐう、う……そ、そん、なあぁぁっ!」
だが同時に、シュパヤの蹴りは氷の斬撃を一つ無効化した時点で、威力を大きく削がれてしまっていた。
その上。残る氷の斬撃は、あと四つ。
今、シュパヤが繰り出した「鷲爪脚」の初撃となる一撃目は。ユーノが解放してみせた五本の氷の斬撃の内の、一つにしか過ぎず。
必殺の蹴りの威力が減衰し、空中での動きを鈍らせたシュパヤに。残り四本の氷の斬撃が容赦なく襲い掛かる。
苦し紛れに、自分が脚に履いた魔導具の名前を叫んでみせるシュパヤ。
「く、くそおっっ⁉︎……な、何とかしろっ、か、『韋駄天』っ?
だが、残像を生み出す程の瞬足と、ユーノを苦しめた蹴りの威力。
その二つの効果を装備者に与えるのが精一杯な魔導具は、彼の叫びに何も応えてはくれなかった。
ならば……と。今度は、シュパヤ自身が真っ白な草紙を素材に、魔法で創り上げた紙の魔巨像の名前を呼ぶ。
「し、式皇子いいぃぃっ!」
しかし、懸命のシュパヤの叫びを聞いても紙で作られた巨像は現れない。
それもその筈。シュパヤが助けを求めた紙の巨像は、怒れるフブキが氷の加護を発動させ放った「極零波」で完全に凍り付いていたからだ。
表情からは余裕や嘲笑が消えたシュパヤの顔に、浮かんだのは絶望感。
「う……うわ、うわぁぁあぁああ⁉︎」
悪足掻きなのか、何度も脚を振り回すシュパヤだったが。蹴る足場がない空中では方向を変えることは出来ず。
胴体に、両腕に、両脚に、四本の氷の爪による斬撃が絶叫するシュパヤに命中する。
「い、痛いいいいっ⁉︎……そ、それに、身体がっ? オイラの身体が、こ、凍るううぅっ!」
三本の爪で切り裂かれたような傷が、シュパヤの胸や腕といった上半身に奔り。残りの一本は片脚を傷付けていく。
斬撃がシュパヤの身体を斬り刻んでいくと同時に、斬撃が帯びた氷の加護の魔力が着弾した箇所を凍結させ。
傷口が瞬時に凍り付いたことで、斬られた箇所から血が噴き出すことはなかったものの。斬撃がシュパヤの胸や腕に刻んだのは、決して浅い傷ではなかった。
だが……それでも。
「い、痛い!……痛い寒い痛い冷たい痛い痛い冷たい痛いいいいっっ‼︎」
氷の加護の魔力で、身体の半分を霜で覆われていたシュパヤ。
大きく胸を切り裂かれた激痛に、身体のあちこちが冷気で凍結している痛みに襲われていたのか、口からは「痛い」と「冷たい」を連呼していたが。
それでも意識を失わず、寧ろ痛みを与えたユーノに対して憎悪を込めた視線を向けた。
実は──悪足掻きに、と。シュパヤが魔導具である靴「韋駄天」を履いた脚を振り回していたことで。迫る氷の斬撃を僅かにだか、逸らす効果を発揮したのだが。
「こ……こんなところで最強のオイラが死ねるかよおお‼︎」
そんな理由を知る由もないシュパヤは、何とか動かすことの出来る部位だけで最後の反撃を行おうとする。
身体の大半が凍結した状態では、回転して勢いを増すのは到底無理だが。自然に落下する勢いを脚に乗せてユーノに特攻する事は可能だったからだ。
勿論だが、ユーノが今いる場所から即座に移動すれば、最早まともに着地すら難しいシュパヤをやり過ごす事は出来た……が。
「これでもだめ……それならっ!」
自分を何度も蹴りとばし、地面を舐めさせてくれた上に。あろうことか、フブキにまで手を出した相手だ──それに。
「まじゅうのうらみっ!」
そもそもユーノがシュパヤと対峙した動機というのが。街で討伐依頼を受け、戦っていたこの国でしか見ない魔獣・鵺を横取りされたからだ。
あの時の屈辱を晴らすため、ユーノは右腕だけでなく。左肩を斬られ、動かすだけで激痛が奔る左の腕にも同時に。フブキから借り受けた氷の加護で、左右五本ずつの氷の爪を生み出していくと。
先程のように斬撃を飛ばすのでは、シュパヤの意識を断ち切れない、と判断したユーノは。
「……せぇーの、っ」
上空から迫るシュパヤを見据えながら。膝を折り、腰を低く落として下半身に力を溜める。
獣人族の脚力と瞬発力を活かし、先程のシュパヤ程でないにせよ、上空へと跳躍するために。
……すると、今まで足場に使っていた地面から生やした大きな氷柱から、ピシ……と細かな亀裂が走る音をユーノの鋭敏な獣耳が拾う。
次、氷の表面で足を踏ん張りでもすれば、氷柱が砕けるのは避けられないだろうが。
どうせこれが最後の攻撃となる。
そう決意していたユーノは気にも留めず。
『ここで一気に決着を付けるのじゃ』
「いっくよおおおおお──オオオオオオオ!」
雄叫びとともに、空高く跳び上がるユーノ。跳躍のために踏み抜かれた氷柱は、ユーノの足が離れたと同時にあちこちに亀裂が走り、大小の氷塊となって崩壊していく。
巻き起こる白い水煙を突破し、自然落下するシュパヤに迫るのは。
左右の籠手から生やした五本ずつの氷の爪を、まるで口を開いた獣の顎のように構えたユーノだった。
「……う、うわあっ! く、来るなっ、来るなあああ⁉︎」
絶体絶命の窮地に冷静さを失い、悪足掻きにと再び脚を振り回すシュパヤだったが。
最早その脚には、決着を付けるという強い決意を秘めたユーノの突撃を逸らすだけの力は残ってはおらず。
「──白銀の噛砕撃っっ‼︎」
ユーノは、頭の中に響いてきた戦技か魔法の呼び名をそのまま口に出して、大声で叫びながら。
左右の腕に生やした五本の氷の爪を、シュパヤの胴体部で交差するよう斜めに薙いでいった。
「ぐ、は、あぁぁぁぁぁっ……っ⁉︎」
跳躍したユーノが落下していたシュパヤの身体を通過した瞬間。
シュパヤの胸に奔った十字の裂傷から、血飛沫が盛大に噴き出し。意識が途絶えた状態で、力無くグシャリ……と頭から地面に叩き付けられると。
地面に倒れ、起き上がる気配のないシュパヤの身体が、みるみると透明な氷に覆われていき。氷の塊に閉じ込められたような状態となり。
大きく切り裂かれた胸と、地面に強く衝突した頭から流れ出す大量の血が。透き通った氷塊を赤く染めていく。
最早、シュパヤが再び立ち上がるのは不可能だった。
「や、やったあっ! フブキっ、やったよボクっ!」
獣人族としての身軽さで、かなりの高度から無事に着地したユーノは。
シュパヤを倒したのを確認し、まだ地面に寝ていたままのフブキへと駆け寄ろうとしたが。
『時間切れ、じゃな』
「え? あ……あ、れっ?」
何故か脚が急に重く感じ、前に進むどころか地面に倒れ込んでしまう。
立ち上がろうにも、まるで全身が石になったかのように、まるで命令を聞いてくれない。
勝利の歓喜で身体の緊張が緩んだのもあるが、本来ならばフブキしか扱えない氷の加護を発現したことが重なり。これまでにユーノの身体に蓄積した疲労が一気に暴れ出し。
「ま、まぶたがっ……お、おもいぃぃ……っ」
いつの間にか、銀髪から普段の黄色い髪へと戻り。氷の爪や籠手も両腕から解除されていたユーノの意識は。
そのまま、微睡みの中に落ちていった。




