173話 ヘイゼル、顔に負った第三の傷
こうして、若干の疑問を残しながらも。
最初の攻防から射程を詰めたものの、まだイスルギとは十数歩ほどの距離が開いた立ち位置で。
「……点火っ!」
装填を終えた単発銃の引き金を作動させ、着火させた火種を炸薬に接触させ。
左手に握っていた一本の筒口だけが火を吹いた。
「ち、いっ……だがっ!」
ヘイゼルの仕掛けた心理戦に、見事なまでに引っ掛かり。空になった単発銃の準備を、みすみす許してしまったイスルギだったが。
一直線な軌道を描き、爆音と白煙ともに迫ってくる鉄球を回避するために。弓を構えた体勢のままイスルギは、真横へと大きく跳躍する。
猛烈な速度で風を切り裂く鉄球が、移動したイスルギの身体を掠め、横を通り過ぎていった。
と、同時に。
「……この距離ならば、外さんぞ」
ヘイゼルの攻撃を回避し、再び無表情に戻ったイスルギは。
構えていた鉄弓に素早く(つが)えた鉄矢を摘んでいた指を離し。単発銃を放ったばかりのヘイゼルへと反撃の一射を放った直後。
イスルギは、ぼそりと小声で呟く。
「おそらくは、あの武器。爆発の勢いで鉄の塊を飛ばす仕組みと見た。ならば、射撃した当人にも相当の衝撃がかかる筈っ……」
二、三度交わした短い攻防の中で、イスルギは対峙する相手が用いる未知の射撃武器・単発銃の。おおよその特徴と、武器の持つ欠点を掴んでいた。
イスルギの想定では。射撃の瞬間、発生した爆発の衝撃が手から伝わり。使用者の動きを阻害し、少なくない時間の隙を生む……と読み。
ヘイゼルへと反撃を仕掛けたイスルギ。
「ちっ……悔しいけど……正解だよっ」
おそらくは、自分の思考を口に出すことで確信を得ようとしたイスルギの独り言だったのだが。
彼の言葉は、ヘイゼルの耳に届いていたようで。
攻撃する側から、瞬時に攻撃される側へと転じてしまったヘイゼルだったが。
単発銃から鉄球を発射した直後は。鉄筒の内側で爆発した炸薬の振動と、間近で起きた大きな爆発音で身体が痺れ。僅かな間ではあるが、全身の動きが止まってしまう。
まさに、イスルギの読み通りだったのだ。
今まで、単発銃の問題点が表面化しなかったのは。炸薬によって撃ち出される鉄球の、破壊力が凄まじかったからに他ならない。
ともあれ、単発銃の振動でまだ足には若干の痺れが残り。目の前のイスルギのように、後方や左右に跳んで矢を避ける選択肢は封じられてしまった。
「……だけど、あたいにゃ。まだもう一本の単発銃が残ってるんだよっ!」
幸いにも、ヘイゼルの右腕にはまだ攻撃の準備が済んでいた単発銃が握られている。
風を斬り、飛来するイスルギの鉄矢を撃ち落として防御するのは、まだ可能な距離だった。
反撃をされたことに一瞬焦りの色を浮かべたヘイゼルだったが。何とか動揺を心の奥に戻しながら、迫る矢に狙いを定めようとする。
「ふ。だが……こう動くならば、どうだ」
しかし、そんなヘイゼルの行動すら読み切っていたかのように。イスルギが次なる行動に打って出る。
わざと彼女の視界に入る位置へ、だがヘイゼルの立ち位置と矢が並ばぬ位置へと移動したイスルギは。
再び背中の矢筒から取り出した鉄矢を、これ見よがしに弓へと番えていったのだ。
迫る反撃の矢を迎撃しようとしていたヘイゼルは、視界に映り込んでいたイスルギの姿に再び動揺し。
すっかり困惑してしまい、構えた単発銃の手が揺れ動き、狙いが定まらなくなる。
「矢を落とす? い、いや……イスルギを狙うべきかっ?……く、くそっ!」
何故にヘイゼルの手が揺れ、動揺したのか。
確かに最初の判断のまま、飛来する矢を迎撃し、撃ち落とせば。イスルギの反撃で傷を負わずに済むだろう。
だが、それでヘイゼルの持つ二本の単発銃の筒は空になり、再び装填が必要となってしまう。
ならば、この場で一番有効なのは。元凶たるイスルギに命中させることではないか……と。ヘイゼルはまだ身体の芯の硬直が解けないまま考えてしまった。
迫る矢を撃ち落とすか。
視界に入ったイスルギを狙うか。
その、一瞬の迷いこそが致命的だった。
イスルギの鉄弓から放たれた反撃の一矢は、今までよりも風切る音が鋭く、高速で。ヘイゼルの頭を貫かん勢いで間近にまで迫っていたからだ。
「ぐ、っ⁉︎……こ、このまま、すんなり殺られて堪るかよおおぉっっ!」
矢が命中するほんの直前に、単発銃の発射の衝撃で痺れていた身体がようやく自由になるヘイゼルは。
上半身を大きく後ろへと逸らし、同時に首も後ろに曲げることで。そのままであったら眉間に刺さっていただろう矢が、背中を倒したヘイゼルの真上を通り過ぎていく。
命中したか、という間際。何とか回避に成功したヘイゼルの様子を、次の矢を番えたまま凝視していたイスルギは。
「ほう。アレを躱すとは、恐れいった──ぞ」
そう呟きながらも、次なる矢の発射準備を既に終えていたからか。
矢を回避するため、後ろに身体を倒し、大きく体勢を崩していたヘイゼルに向けて。二本目の鉄矢を容赦なく放っていく。
再び矢を射たれたヘイゼルは、何とか地面に転倒することなく、上半身を起こしていくと。
「……む、うっ?」
彼女の顔には、既に刻まれていた二本の傷痕とは別に、真新しく額には縦に刻まれた傷が付けられ。
傷から痛々しく流れていた真っ赤な血の量から、額の傷が決して浅くはない事を物語っていた。
「あたいの……女の顔にっ、傷を、負わせたね……?」
先程の一撃を完全には避け切れなかったのだろう。顔を掠めた鏃がヘイゼルの額を縦に大きく傷を残し、背後へと飛んでいった鉄矢。
鉄球を撃ち出し、筒の中が空になっていた単発銃を握ったままの左手で傷口を押さえながら。
胸中に滾る怒りを隠そうとせず、感情をそのまま乗せた視線でイスルギを見据えるヘイゼルは。
「この傷の代償は、高くつくよっっ!」
最早何の迷いもなく、自分に放たれた鉄矢ごと、一直線に並んだイスルギまで届かんとばかりに。
右手で握っていた単発銃から鉄球を撃ち出していき。
同時にヘイゼルの両腕が──動く。
「……傷付くのが嫌なら戦場に出るな、女!」
顔を傷付けられ憤慨するヘイゼルに反論を返しながらも、
ヘイゼルの単発銃の威力を、鉄矢一本で相殺することが出来ないのは、これまでの攻防で充分に理解していたイスルギは。
まずは鉄矢を押し返してくるだろう鉄球の迎撃のために。背中の矢筒から一本、鉄矢を取ろうと手を伸ばした、その時。
──イスルギの視界の先に映ったのは。
「な、何だと、っ?」
顔を血塗れにしたヘイゼルが獣のような視線と、口端を吊り上げた狡猾な笑みを浮かべながら。
両腕に構え、イスルギへと向けていたのは。筒口から白煙を漏らした使用済みの単発銃ではなく。
全く新しい二本の単発銃、その筒口だったからだ。




