172話 ヘイゼル、心理戦を仕掛ける
だが、迫る鉄球にも全く焦る気配もないイスルギは。
表情一つ変えることなく、背中の矢筒から四本の鉄矢を取り出し。素早い動作で矢を番え、固く張られた鉄製の弦を引いていくと。
「……女。確かに、その威力だけは脅威だ、だが」
空気を切り裂き飛んでくる二個の鉄球に照準を絞るかのように、片目を大きく見開き。
一本の矢を穿つと同時に、弾けた弦を掴み、もう一度強く引き絞り。最初に放った一本目と全く同じ目標を狙い、全く同じ姿勢で二本目の鉄矢を射ち放つ。
「──連矢・四連」
先の二本とは目線と体勢を変え、続け様に三本目、四本目の鉄矢を表情を崩すことなく放っていくイスルギ。
最初の二本と、後に放った二本の矢の軌道は、まるで吸い込まれるように二個の鉄球の軌道と交わると。
放たれたイスルギの鉄矢と、ヘイゼルが筒口から撃ち出された鉄球とが。まずは、空中で最初の衝突。
次いで、一本目の矢尻……というあまりに小さな的に二本目が正確に命中し。爆発的な速度で迫っていた鉄球の威力を完全に殺し、二本の矢ごと地面に落下していく鉄球。
二発目の鉄板もまた同様に、二本の矢に迎撃されてイスルギの目の前で射ち落とされた。
「……俺には、通用せんぞ」
単発同士では、炸薬の爆発力が乗り、重量のある鉄球の威力こそ。矢よりも優勢になる事は、ヘイゼルもイスルギも最初の対決から理解していた。
だから、イスルギは冷静に四本の矢を連続して放ち。ヘイゼルの単発銃の反撃を見事に無効化してみせたのだ。
「ちっ、二発同時なら何とかなるか、って思ったけど、そう上手い話じゃないかよっ……」
腕と脚を矢で貫かれて傷を負った上に。反撃まで封じられ、一瞬で劣勢に追い込まれたヘイゼルだったが。
さして驚いたような様子はなく、彼女の眼からはまだ戦意は喪われてはおらず。寧ろ、何かを企んでいるかのような薄ら笑みを浮かべ。
負傷した右脚を平気で動かしていたことに、イスルギは違和感を覚えた。
「……ん? どういう事だ……先程は確かに」
迎撃の際に、どうしても自分に迫る鉄球に視線を移したためか。ヘイゼルから目線を切ってしまっていたのだが。
イスルギが再び視線をヘイゼルに戻すと。二本の矢が突き刺さった筈の腕と腿に、矢傷が無くなっていたからだ。
目線を外していた間に、彼女に何があったというのか。疑問に感じたイスルギは、初めて動揺した表情で口を開く。
「い……一体、何をした、女?」
「何、大した事はしてないさ。お前さんが目を離した隙に、ちょちょい……と、な」
単発銃を向けられても表情を崩さなかったイスルギの顔色が、あからさまに変わるのを見たヘイゼルは。
想像通りに事が運んだ、と口端を吊り上げ、意地の悪い笑顔とともに。手に握っていた硝子製の小瓶を、これ見よがしに左右に振ってみせる。
「……そ、それはっ?」
「こいつはね、いざという時のために隠し持ってた霊癒薬さ」
ヘイゼルが見せたのは、飲んだり傷口に浴びせることで、強力な治癒効果を発揮する回復薬の一種「霊癒薬」である。
小瓶に入っている量だけで、複数の傷を癒すことの出来る、治癒術師要らずのとても便利な魔法の薬なのだが。
霊癒薬には重大な欠点がある。
それは、とても稀少で高額だという点だ。
ヘイゼルが持っていた硝子製の小瓶だけでも、購入するなら金貨にして一〇〇枚は下回らないだろう。
金貨一〇〇枚……国によって価値こそ違うが。おおよそ、小さな村落や貴族なら丸ごと買えてしまう程の大金を積まなければ購入出来ない貴重な魔導具なのだ。
「そ、そうかっ! あの時、その武器を使ったのは自棄になったからではなく……その薬を使う一瞬の隙を作るため、かっ?」
そう、イスルギが指摘した通り。傷を負った時、すかさずヘイゼルが単発銃を真正面から放ったのは。攻撃を直撃させるのが目的ではなく。
一つは、さらなる追撃を封じるために。
そしてもう一つは。敢えてイスルギに迎撃させる事で、少しの間自分から目線を外させ。懐に入れてあった霊癒薬を使う隙を作るのが目的だった。
「は、正解だぜ。まあ……普通に目の前で回復しようとするのを黙って見てるわけないからな」
馬鹿正直に、懐から悠長に霊癒薬を取り出し、傷口を洗い流して回復していくのを。敵であるイスルギが見逃がす筈がなく、即座に矢を放ち、回復を妨害してきただろう。
下手をすれば、霊癒薬の入った硝子の小瓶を正確無比に射ち抜かれる可能性だってあった。
そこまで考えたヘイゼルは一見、自暴自棄に見える態度でイスルギに単発銃を放ってみせた。本来の意図を読み取らせまい、と。
「だが、あんたの答えじゃ……正解はまだまだ半分ってトコだな」
「な、なん……だ、と?」
追撃を妨害され、先手を取って負傷を与えた優位性すら対等の条件に戻されてしまった失策。いや、ヘイゼルの策に見事にやられたイスルギだったが。
先程のヘイゼルの攻撃には、まだ意図が隠されているという発言に。言葉を詰まらせ、焦りの表情を浮かべるイスルギは。
敵であるヘイゼルの状態、そして周囲の異変を一つたりとも見逃がすまいと、警戒の網を張り巡らせ。細い両の眼を大きく見開いていく。
「まあ、見てな……よっ!」
目を凝らすイスルギの視線の中、ヘイゼルは。手に持っていた霊癒薬を使った後の空になった硝子製の小瓶を。
地面へと叩き付けていった。
「な、っっっ⁉︎」
一つの異常も見逃がすまい、としていたイスルギの意識は。
最早、落ちていく小瓶と。地面に叩き付けられて硝子が砕け散った時の甲高い破砕音に向けられてしまっていた。
実は……「もう一つの意図」なんてものは、先の単発銃による射撃には、最初からない。
だが、ヘイゼルが自慢げに「霊癒薬を使ってみせた事」を語った際のイスルギが食い付く反応を見た狡猾な性格のヘイゼルは。
「こいつは──心理戦に弱い」
そう、イスルギの性格を判断したのだ。
彼女の意地の悪さが顔を出し、咄嗟に嘘を思い付くと。
先に射撃をして空になってしまった単発銃の、装填を行なうための隙を作ろうと、イスルギへと心理の罠を仕掛けていく。
「……く、っ、不覚……っ!」
ヘイゼルの仕掛けた罠に見事に嵌まったイスルギは、突然の破砕音に驚き。一瞬ばかり、その場で立ち尽くしてしまったが。
即座に我に返ったイスルギは、大きく背後に飛び退いた後、持っていた弓を構えて矢を番えるも。
「遅え、よ」
まさに読み通りに、イスルギが小瓶に意識を取られていた一瞬の隙を突いて。
二本の空になった単発銃の、鉄球と炸薬の装填を素早く終え。矢を番えたイスルギへと、二つの筒口を向けるヘイゼル。
あまりに早い、単発銃の装填。
数え切れず、鉄球と炸薬の装填を繰り返してきて、最早その一連の動作は熟練の手捌きとも言える、ヘイゼルの装填作業だが。
今までに一番手早く装填し終えたとしても、イスルギが呆然とした隙はほんの一瞬だけ。そんな短い時間では到底、弾と炸薬を込める作業が終えるわけがなかった。




