14話 アズリア、大空を舞う
「あらためて……感謝するわ、アズリア」
洞窟での応急処置を終え、どうにか身体を動かせる状態まで回復したロシェットを抱え。
アタシらはアイビーの案内で、有翼族の集落、その建物の一軒で休む事が許されたのだったが。
今、アタシの目の前では。
アイビー他、おそらくは山頂の集落に暮らしているであろう複数人の有翼族らから頭を下げられていた。
「い、イイよッ……そんな大勢で頭を下げなくても」
突然の来訪に、正直アタシは困惑してしまう。
何しろ、押し掛けた異種族のアタシらに、快く屋根のある寝床を貸してくれた時点で。
感謝を述べたいのはこちら側なのだから。
「アタシらとしちゃ、山の中で雨風凌げる屋根のある場所を用意してもらっただけでも。涙が出る程ありがたい話だってのに」
鳥の翼を持ち、空を飛ぶ能力を有する有翼族だったが。
居住用の建物は驚く事に、ほぼ人間が住む住居と同じ──石を積み上げた造りになっていた。
てっきりアタシは、山を棲み処とする有翼族だ。木の枝や蔓、草葉で家を建てると想像していたが。
アタシの想像を、アイビーに話したところ。
『そんな脆い造りじゃ、強い風が吹いたら壊れてしまうわよ』
と笑い飛ばされてしまった。
……確かに、有翼族らが住むスカイア山嶺の頂辺りは、強い風が吹きやすい天候だ。
もし想像通りの家を建てたとしても。ロシェットやリュゼらと一緒に足止めを受けた、激しい風雨ともなれば。一日も保たず吹き飛ばされてしまっていただろう。
何故に異種族である有翼族が、アタシらをこれ程に歓迎してくれていたのかというと。
「いやっ、お前たちニンゲンは我らの王子を厚い氷の壁から救い出してくれたんだ。何度、感謝をしても足りないくらいの恩だ」
「何でも言って頂戴ね、ニンゲン。私たち有翼族はあなた達のためなら出来る限りの事をするわ」
そう。
未知なる魔術文字を発見したアタシは、偶然にも氷の精霊の待つ精霊界へと移動させられ。
精霊に力を示した事で、氷の魔力の暴走が原因だった氷壁が消え。厚い氷に閉じ込められていたロシェットともう一人、有翼族の少年を救出する事が出来た。
しかも、どうやら有翼族の集落にとって。この「王子」と呼ばれた少年は特別な存在だったようなのだ。
「ははッ、そりゃあ嬉しい話だねぇ──しッかし」
というのも。今、感謝を伝えるためにアタシらの元を訪れたアイビー含め二〇人以上の有翼族は。
全員が例外なく、女だけだったのだ。
有翼族は基本、女しか生まれない種族らしく、男が誕生する事は非常に稀な存在であり。
種族の繁殖のために希少な有翼族の男は「王子」と呼ばれ、集落単位で大切に扱われる──と。
アタシは洞窟でアイビーから種族の事情を聞いてはいたが。
「こうして見るまでは信じられなかったけど、見事なまでに女しかいないんだねぇ」
「ええ。あのまま王子が氷壁の中で息絶えてでもしたら……この集落は、いずれ朽ちてたでしょうね」
アイビーの言葉は、つまりこの有翼族の集落には。「王子」以外の男が存在しない、と意味していた。
男が存在しなくなった時点で、子を成す事が不可能となれば。今すぐ影響が出る事はなくとも、徐々に集落から有翼族の数は減り、いずれ集落が朽ちるのは想像に難くない。
「だから私を含め、この集落の有翼族はあなたたちのためなら、生命も惜しまないわ」
アイビーの言葉に、この場にいる有翼族全員が揃って首を縦に振る。
彼女らの真剣な表情は、冗談を含んでいるようには思えず。王子を救出した恩義を返すなら、本当に何でもしそうな眼差しでアタシは見られていた。
「……う」
困った。非常に困った。
歓迎される事は嬉しいが、生命を投げ出してでも恩を返すと言われてもアタシは困惑するしかない。
……何しろ、アタシがやった事といえば。
新たに魔術文字を入手し、精霊界らしき場所で氷の精霊と殴り合いをしたぐらいだ。
結果的に、ロシェットと王子の二人を救い出せはしたが。二人を助ける意図が果たしてあったのか、と問われれば疑問が残る。
だが、しかし。
有翼族の種族の事情を知り、かつ彼女らの態度を見るに。「何もしなくていい」と提案が出来る雰囲気では、決してなかった。
恩義を返したいと願う彼女らの気持ちを満足させられる、良い提案がどうにか出来ないものか。
「頼み事があるなら、何でも言ってね」
「そ、そうかい? なら……早速、頼みたいコトがあるんだけどさ。聞いてくれないかい」
そう考えていたアタシの頭に一つ、丁度良い案が浮かんだ──それは。
「アタシらを山の麓まで、運んでくれないかねぇ」
◇
部外者の中で唯一集落に残っていたアタシにアイビーが声を掛けてきた。
「それで、アズリアはどうする?」
別れの挨拶を終えたリュゼやロシェットら四人は、それぞれが有翼族に脚の爪で肩を掴まれ、一足先に空を運ばれていった。
ロシェットや女性陣はともかく、重装備のサイラスを軽々と持ち上げ空を飛んでいるのを見ると、有翼族とは脚力や羽ばたく力も含め、かなりの筋力を有しているのかもしれない。
「そうだねぇ。アタシはメルーナ砂漠から山を越えて、ホルハイムに向かう途中だったから──」
アタシがリュゼらに同行しなかった理由は、ロシェットの身分の高さを考えての事だ。
リュゼや護衛二人とのやり取りから推察するに、ロシェットは貴族──それも相当高位である事は容易に想像が出来たからこそ。
もし同行すれば、ロシェットを助けた礼にせよ、そうでないにせよ。貴族絡みの話に巻き込まれるだろうとアタシが考え。
ここでリュゼらとは別行動を取る、と宣言したのだ。
「なら、アタシはホルハイム側の麓で降ろしてくれりゃイイや」
「わかったわカ
アイビーが片目をパチリと瞑って、有翼族と一緒に空を飛んでみたいと思っていたアタシの頭の中を見透かすように、空を運んでくれる提案を持ち掛けてくる。
もちろん断るなんて選択肢はアタシにはない。
「じゃあ、行くわよアズリア」
アイビーに肩を掴んでもらい、麓から少し離れた人間の村落へと運んでもらう約束だった。
アタシも七年ほど大陸を旅していたが、空を飛ぶなどという機会は今回が初めてであり。
いざ、空高くへと飛翔を始めたのだが。
「…………ぎゃあああああ! 高い高い高いぃ! 何だコレッ、怖い、こわいぃィィ!」
悲鳴がスカイア山嶺に木霊する。
今まで何日もかけて歩いてきたスカイア山脈が、あっという間に小さくなっていく光景に、感慨深さを
地面から両脚が浮いた途端に、アタシは目の前に広がる光景に震え上がった。
故の悲鳴であった。
「ははっ、アズリアは随分と臆病なのね。ロシェットを集落に連れて来た時には声一つ漏らさなかったのに」
「そ、そんなコト言われたってさぁ……む、無理っ! だ、だってよおッ……下見たら今までいた場所がもう見えないんだぜ……ッ?」
若干一〇歳のロシェットと比較され、本来なら腹を立てる場面だったが、そんな心の余裕など今のアタシにはなく。
あまりの高度に両膝はガクガクと震え、身体はすっかり竦み上がっていた。
「ちょ、ちょっとアズリア? そんなに強く脚を掴むと……身体の平衡感覚が崩れるっ?」
何かの拍子で、肩を掴むアイビーの爪がアタシを離したら即、遥か下方の地面に激突し間違いなく死ねると思うと。
アイビーの脚を掴んでいた指にも、つい力が込もってしまう。
「む、む……無茶言うなアイビー⁉︎ 怖い怖いッ……高いのがまさかこんな怖いなんて、お、思わなかったんだよォォォォ!」
「わかった、わかったからっ! 近くのニンゲンの村まで連れて行こうという話だったけど、麓で降ろすわよっ!」
アタシ側からお願いしてアイビーに運ばれていった空の旅は、風を感じるとか雲が顔に当たる感触とか、そういった話題は全くあがらずに。
アタシ自身も知らなかった「極端に高い場所が怖い」という欠点をアイビーに晒してしまい、辱めを受けただけの哀しい結果となってしまった。
まあ、人生こういう時もある。
アタシは今、空を舞いながら。砂漠の国で魔族の大群を前にした時すら抱かなかった諦めの境地に、初めて身を委ねていた。




