166話 アズリア、放たれた竜の吐息に
右眼と、身体に刻んだ二つの魔術文字の魔力が注がれた両腕で。握っていた大剣で繰り出す連撃の間隔を短くしていくアタシ。
「ほらッ! 今度はアタシの番だよッ!」
先程までとは立場が逆転し、アタシが振るう真っ赤に焼けた大剣の一撃一撃に、魔剣が大きく弾かれていくオニメは。
次の攻撃への構えが徐々に間に合わなくなり、防戦一方となって。今度はオニメの後退りが止まらず。
「く、クソがあぁぁっ‼」
押し込むアタシの背中からは、鎧を抜いだ肌をジリジリと炙る猛烈な熱気が離れ。オニメを結界の中央部にまで押し返していた。
顔から余裕の笑みが消えたオニメの表情に、焦りの色が濃く浮かび、こちらにまで牙を噛み合わせる軋みが聞こえてくる。
「ふ、ふざけろ、っ……こっちは魔剣の力だけじゃなく、竜の血まで解放してるってのによォォォ……っ!」
苦々しい表情のオニメが漏らしたのは、彼女と対峙した時のアタシの想定を肯定する発言だった。
「竜の血……やっぱりアンタ、竜人族だったんだねぇ」
オニメが頭から生やした角は、アタシの知っている角を持つ獣人族・鹿人族の角とは明らかに違う形状だった。
しかも肌に浮かんだ竜属の鱗から、アタシは目の前の魔剣を携えた女戦士を。竜属の血を色濃く継承した種族の竜人族だと思ったのだが。
先のアタシの推察にも、返答を曖昧にしたオニメの顔には。明らかに不快そうに眉を顰めるのが見え。
「ハッ! だったらそれが何だってんだっ──!」
吐き捨てるように言葉を言い終えたと同時に、アタシの剣撃を受けていたオニメの口が突然、不自然なくらいに大きく開いた。
しかも、喉奥に薄っすらながら、チロ……と赤く煌めく種火が吐き出される様がアタシには見えた。
間違いなく、炎の吐息の予兆だ。
「──じょ、冗談じゃねえぇぇッ?」
オニメが大きく開いた口から猛烈な勢いの炎が一直線に吐き出されるのと。
炎の吐息を避けるために、アタシが真横へと跳躍したのは、ほぼ同時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオ‼︎
オニメの口から放出された紅蓮の炎は眼前で一気に膨張し、アタシがつい直前まで立っていた地面を黒く焦がしながら。
アタシを閉じ込める灼熱の結界、その境目にある熱気の壁に衝突し、遮られるまで。轟音とともに地面を舐めるように進んでいく炎の吐息。
「あ……危、ねぇッ?」
あと一瞬でも、真横に避けるのが遅れていたら今頃アタシは紅蓮の炎に焼かれていたかもしれない。
地面を焼き焦がす炎の威力に、アタシは灼熱の結界の中だというのに背中に寒気を覚える。
元からアタシは、オニメが竜人族だという疑惑を持っていたため。頭の片隅に炎の吐息の可能性を浮かべていたのが功を奏した。
そうでなければ反応が遅れ、オニメの炎の吐息が直撃していただろうから。
「ハッ、上手く避けたなっ! だが……次は外さねえぞっ!」
だが、吐き出した炎の吐息でアタシを捉え切れず、真横に避けていた動きはオニメも察知していたようで。
既に真横に跳んだアタシに狙いを定め、もう一度炎を吐き出す準備を終えようとしていた。
アタシは回避のために真横に跳び、着地した脚ですかさず地面を蹴り抜き。
敢えて炎を放とうとするオニメに向け、距離を詰めようと前方へと踏み出していった。
「次なんてやらせるかよッッ!」
「ハッ……馬鹿かテメェ? いいぜ、望み通り黒焦げに焼いてやるぜェェ!」
炎を吐く相手に真正面から突撃する、まさに「無謀」と呼べるアタシの行動に。嘲笑うような言葉を発しながら二撃目の炎の吐息を放とうとするオニメ。
確かに……彼女が少し前まで剣を交えていたアタシの踏み込みの速度であれば、炎を吐くのが一、二歩ほど早いだろう。
突撃した事が裏目となり、見事にアタシは吐き出した炎を至近距離で浴びることとなり。オニメの言葉通り、黒焦げとなったアタシが地面に転がる筈だった……が。
今のアタシは、オニメが想定していた速度を超える突撃で、炎を放つよりも早く。
アタシはオニメの懐深くにまで距離を詰めると。こちらに向け大きく開いていた口に目掛けて、大剣の一撃を振るっていく。
「──な、っっ⁉︎」
驚いたオニメは、慌てて魔剣を構えて。炎の吐息を止めようと放たれたアタシの剣撃と自分の身体の合間に、魔剣を差し込むのには間に合い。アタシの大剣を弾くのに成功したものの。
間に合わせるための速度を最優先した結果、魔剣を握る両腕には充分な力が込もっておらず。オニメの魔剣もまた、大きく弾かれてしまう。
その時、オニメの頭に過ぎる違和感。
結界の中央にまでオニメが押し戻された際、一度も力で押し負けていたにもかかわらず。
今のアタシの一撃を弾けてしまったことへの違和感の正体を、すぐにオニメは思い知ることとなった。
それは、剣と剣が衝突し、互いの武器が大きく弾け飛んだまさにその直後に。オニメの眼前にはアタシの右拳が迫っていたからだ。
オニメの懐に踏み込んだアタシが放ったのは、先程までの両手で握った大剣の一撃ではなく。左手のみで放った攻撃だった。
だから、オニメの両手で持った魔剣の刃に容易く弾かれてしまったのだが。
最初から大剣による攻撃は囮、アタシの本命は右の拳によるオニメの顔面への一撃だった。
「ぐ、はあぁ……ぁっ、な、なんで……っ?」
アタシの放った渾身の右の拳が、オニメの顔面へと減り込み。拳の威力と衝撃が彼女の表情を苦痛に歪め。
痛みからか、内側に炎を溜めていた口を閉じてしまう。それは……口内の炎が行き場を失った、ということでもあり。
「が──ふううぅぅぅっ⁉」︎
続けて、オニメの両の頬が大きく膨らんだかと思うと。ボン、と籠った爆発音を口内で鳴らしたオニメ。どうやら放出することが出来なかった口内の炎が暴走し、爆発を起こしたらしく。
「か……はぁぁ……ご、ふっ……」
鼻や口から黒煙が吐き出し、崩れ落ちそうになる身体を何とか二本の脚で支えてはいたものの。身体は既にふらふらと足元が覚束ず、口内で炎が爆発した影響は予想以上に大きかったようだ。
当然だ。地面を黒焦げにする程の威力の炎が自分の口の中で暴れ回ったのだ。無事でいられるわけがない。
寧ろ、それ程の威力の爆発が口内で起きたのに。顔の半分が吹き飛ばなかったのが、アタシは不思議でならない程だ。
「か……はぁ……っ……」
「この勝負、どうやらアタシの勝ちのようだねぇ」
最早、立っているのもやっとという状態のオニメに向け、勝ちを確信したアタシは勝負は決着したことを告げる。
いくら顎が吹き飛ばなかったとはいえ、酷い火傷を負っているのは間違いない。今ならばまだ治療が間に合えば、生命は助かると思っての提案でもあったのだが。
「……ま、まだ……だ、っ」
先程まで爆発の衝撃で意識が朦朧とし、頭を左右に不安定に揺らしていたオニメだったが。
彼女の両眼からはまだ戦意が喪失してはおらず。魔剣の赤い輝きや、周囲に張り巡らせた灼熱の結界もまた、失われてはいなかった。




