159話 シュパヤ、奥の手を披露する
結果的に、フブキが作った好機を活かして。シュパヤを吹き飛ばしたユーノだったが。
「はぁ、っ……はぁ、どうだっ──ぐっっ!」
子供を殴り付けた右腕を思い切り振り抜いたはずのユーノの顔が、途端に苦痛に歪む。
体勢を整え、右拳を繰り出せるまでにはユーノの体力は回復したものの。先程のシュパヤの連続攻撃で、折れた肋骨まで治癒したわけではなかったため。腕を振り抜いた振動で、再び胸の痛みが襲ってきたのだ。
「ゆ、ユーノっ?」
ユーノの状態が気になり、敵であるシュパヤが離れたこともあって。
フブキは慌てた様子で、痛みで顔をしかめたユーノの元へと駆け寄っていく。
何しろ腕や脚の骨が折れたのなら、他人から見てもすぐに負傷箇所が分かるのだが。肋骨ともなると、見た目ではどこを負傷しているのかが全く分からないからだ。
「あ、ありがとっ……だ、だいじょぶだよ、フブキっ……それよりも」
だが、まだ相手に一撃を与えただけのユーノは。駆け寄るフブキに肩を借り、身体を支えてもらいながらも。
吹き飛ばした子供から視線を外さなかった。
「く、くそ……っ、油断したよ。まさか、お姫様と二人掛かりとは……ねっ」
一方のシュパヤは、というと。
盛大に背後に吹き飛んでいった身体は、そのままなら背中から地面に激突し。少なからず傷を負わせられた算段だったが。
同じく足の裏が凍結した地面に貼り付き、動きを封じられていた紙の魔巨像が。無理やりに凍る地面から足を剥がし、吹き飛ぶ子供の背中を受け止めた事で。
子供の肉体的損傷は、ユーノに殴られた顔面のみで済んだのだが。
「でも、このくらいで──ぺっ!」
紙の巨像の大きな身体に背中を支えられていたシュパヤは、どうやらユーノの鉄拳を喰らい口の中を切ったのだろう。
ユーノを睨みながら、悪態とともに吐き出した唾には、真っ赤な血が多量に混じっていた。
そして、腕で口を拭う仕草を見せ。
「う、あぁ……っっ? お、オイラが、鼻血をっ……」
口元を拭いた腕に、鼻から垂らしていた血がべっとりと付着しているのを見た子供が。予想外なまでに驚いていたのだ。
ユーノやフブキ側から見れば、子供が今の一撃で鼻血を出していたのは一目瞭然だったためか。
何故に子供が驚いていたのか、理解に苦しむ二人だったが。
驚きの反応を見せていた子供は、次に自分を殴り飛ばしたユーノを激しく睨み付け。
「う……ううう……許さない、許さないぞお、お前らっっ!」
と、怒りの感情を剥き出しにしてくるが。鼻血を出した程度で怒りの視線を向けられているユーノは、その視線の主であるシュパヤに肋骨を折られていたのだ。
ユーノからすれば、鼻血程度で激昂されるのは心外であり。寧ろ子供の身勝手な反応に、ユーノもまた沸々と怒りの感情が湧いてくる。
「ゆ……ゆるさないのはボクのせりふだよっ!」
身体を支えていたフブキの手を振り払い、前に進みながら。怒りの言葉を子供へと言い放つユーノ。
怒りで一時的に、折れた肋骨が軋む胸の痛みを忘れることは出来たが。身体の反応までは騙すことが出来なかったのか、ユーノの額にはびっしりと脂汗が浮かぶ。
「ゆ、ユーノっ、ま、待ってっ、まずは回復をっ?」
治癒魔法を得意とする聖職者や治癒術師ほどではないにしろ、フブキもまた傷を塞ぐ程度の魔法ならば使うことが出来る。
つい先程まで顔を歪め、必死に痛みに耐えていたユーノの態度から、ユーノがどこか負傷しているのだけはフブキにも理解出来ていたが。
外から見る限りでは血を流す大きな傷はなく。フブキにはユーノの負傷箇所の見当が、全くと言っていいほど付いていなかったのだ。
だが、ユーノはフブキの制止の声を振り切って。紙の巨像に身体を支えられてる子供との距離を一歩、一歩と詰めていく。
「だいじょぶ、だからっ……フブキはうしろにいて。でないと、ボクがお姉ちゃんにおこられちゃう、からっ」
「ゆ……ユーノっ……」
ユーノがフブキの治療を頑なに受けようとしなかったのは、怒りの感情で痛みを忘れていたからでは決してなく。
戦闘の最中に、自分が痛めた箇所をわざわざ敵に教える真似を、ユーノは嫌ったからだ。
治癒魔法は、ただ闇雲に傷を負った対象に発動するだけでは効果は減少する。傷を負った箇所を術者が的確に見つけ、傷のみに効果範囲を絞り、発動させる必要がある。
という事はつまり、フブキの治療を受ければ。ユーノが胸、おそらくは肋骨を痛めている事実を敵である子供にも知られてしまうことに繋がる。
となれば、敵は痛めた箇所を弱点と見做し、その箇所を狙い打ちしてくるだろう事は想像に難くない。
「つぎは、きめるっ!」
「く、っ……調子に乗るなよ、たかが顔面に一発当てたくらいでっ!」
徐々に距離を縮めてくるユーノに対抗するために、シュパヤもまた紙の巨像の腕を振り払って自分の脚で立ち上がると。
何故か、目の前に迫るユーノから視線を外し。背後に立っていた紙の巨像をジッと見つめ。
「そろそろ見せてやるよ、オイラと式皇子の本当の力を、さあ!」
「……ほんとの?」
「力、ですって?」
子供が言い放つ言葉に、フブキは不可思議な表情を浮かべ。ユーノは戦慄を覚える。
ユーノ以上の機動力を見せる子供と、ユーノの鉄拳を受け止めるだけの腕力を持つ紙の魔巨像との連携攻撃に。先程、ユーノは劣勢に追い込まれ、肋骨を折る深傷を負った。
あれが本当の力でないなら、一体何を見せるというのか。
「式皇子っ!」
すると、子供が呼び掛ける声を合図にしたのか。紙の巨像の胴体部を覆う真っ白な草紙が次々に捲れていき。
やがて、ぽっかりと胴体に大きな空洞を開かせていくと。
子供はその短躯を丸め、紙の巨像の胴体に空いた空洞へと飛び込んでいった。
大きな空洞は、子供の小柄な身体をしっかりと飲み込んでいった後。再び、剥がれた草紙が胴体部に貼り付き、子供が入った空洞を塞いでいく。
「……え?」「……は?」
目の前で繰り広げられる光景に、一体何が起こっているのかがまるで理解出来ず。
まるで紙の巨像に喰われてしまったかのような子供の所業を、ただ指を咥えて見ていただけのユーノとフブキだったが。
「待たせたね、雑魚ども」
聞き覚えのある、子供の声が。飛び込んだ紙の巨像の胴体部の内側からではなく。紙の巨像の頭部から発せられる。
「み、見てユーノっ、あの白い巨像の顔っ!」
見れば、先程までは簡素な顔を模した模様が浮かんでいた紙の巨像の頭部には。まるで子供の顔を真似たような模様が浮かび上がっていた。
しかも模様で書かれた口が動き、子供の声までも模していたのだから。
「こ、これって……もしかしてっ」
そんな紙の魔巨像の異変を目にしたユーノの頭に。その時、再び浮かび上がってきたのは。
魔獣・鵺の最後の一撃を横取りされた、まさにその瞬間だった。
鵺を攻撃したのは白い巨像だったが。思い返せばあの時、ユーノに割り込んできた白い巨像と子供は一緒ではなかった。
しかも鵺に放った素早い動きと蹴りは、子供が先程ユーノに見せた動きに他ならない。
それ故にユーノは子供と紙の巨像を相手にしている時、ずっと。頭のどこかに違和感を抱えていたのだったが。
ユーノの違和感の答えが、今、目の前に現れたのだ。
「さて、と。それじゃ、さっさと始めよっか」
紙の巨像が、無邪気な声で一歩ずつ迫ってくる。




