157話 ユーノ、身体の動かぬ窮地に
見事なまでの子供と紙の魔巨像との連携攻撃を喰らってしまったユーノは。
悔しさと身体に奔る痛みで、歯をギリ……と音が鳴るほどに強く噛み締めながら。
「く……ま、まだ、だよ。まだっ……」
既に勝ち誇った子供の顔を見て。
まだ勝負は着いていないとばかりに、身体に奔った激痛を我慢して、何とか立ち上がろうとするが。
「……あ、あれっ?」
地面に手を着いて、上半身を起こそうとしたその時。身体を支えていた腕から急に力が抜け、起こしかけた身体は再び地面へと倒れてしまうユーノ。
もう一度、起きあがろうと試みるも。腕にこれ以上力が入らないのか、再び身体を起こすことが出来なかった。
「か、からだに、ちからがっ──」
「へへ、だろうね」
起き上がることが出来ないユーノは、自分を見下すように立っていた子供を睨み付けるが。
流れるようなシュパヤの連続攻撃が、ユーノの身体に与えた肉体的損傷は。ユーノが考えていたよりも深刻な悪影響を及ぼしていた。
「オイラの鷲爪脚があんな綺麗に決まったんだ。もう、立てるわけないだろっての」
側頭部での蹴りで、まだユーノの視界の中はグラグラと揺れており。地面に強く叩きつけられた衝撃で身体のあちこちが痛い。
何より、子供がユーノの身体に乗ったまま。地面に衝突した際にユーノの胸部に膝を立てたことで。地面からの落下の衝撃と子供の膝に挟まれ、肋骨を何本かが折れてしまっていたからだ。
力の入らない腕に何とか身体を支えられるだけの力を取り戻そうと、息を整えようとするユーノだったが。
息をする度に、折れた肋骨が軋むように痛みを発し。
「はぁ、っ……はぁ、っ、いっっ──?」
苦痛の度に身体が痺れ、力が抜けていく。
とてもではないが、戦闘を続行出来るような状態ではないのは。自分だけではなく、敵であるシュパヤですら理解していたようで。
先程までは勝ち誇ったような得意げな顔を見せていたのだったが。途端にその表情を曇らせる子供が、その場へと屈み込むと。
まるでユーノから興味が失せたかのように、退屈そうな表情を浮かべた顔を。肋骨が折れた胸だけではなく、全身の苦痛に歪めたユーノの顔へと近付け。
「ちぇっ……思ったよりつまんなかったなあ。鵺との戦いぶり見てたら、もう少しは楽しめると思ったのに、さ」
さらに続けて、シュパヤの口から吐かれたのは。
あまりにも屈辱的な言葉だった。
「そのまま寝てたら。殺さないでおいてやるよ」
最初、ユーノは眼前にまで顔を寄せてきた子供が、一体何を言っているのかを。痛みを耐えていたからか、頭が直ぐに理解出来なかったが。
遅れてようやく子供の言葉を飲み込んだユーノの口から出てきたのは。
「……は、あ?」
「だ・か・らあ。頭悪いなあ……弱かったから助けてやる、って言ってるんだよ」
さすがに今度の子供の言葉は、即座に理解することが出来た。
確かに、先程までの攻防で。残像を作る程の高速の動きが出来る子供が放つ、蹴撃の威力は勿論だが。
突撃で勢いを乗せたユーノの鉄拳を何なく止め、ユーノの身体を軽々と上空高くに放り投げた程の紙の魔巨像の単純な腕力もまた。
負傷の影響で身動きが取れないユーノに対し、どちらの攻撃も勝負を決着する決定打となり得るだろう。
今、その決定打を喰らうわけにはいかない。
本来ならば、この場は返事を先延ばしにして。少しでも息を整え、体力を回復し。もう一度、身体に力が巡るのを待つのが得策だと思えた。
だが同時に「弱い」という侮辱に。
腹の底からユーノは、瞬時に憤慨する。
「じょ、じょうだんじゃ……ないよおぉぉぉっっ!」
見た目こそ年齢相応の短躯な少女だが。
これでもユーノは、魔王領を統べる獣の魔王リュカオーンに次ぐ四人の強者「四天将」の一人に名を連ねている程の実力を持ち。魔王領の外へと旅立った後も、その実力を遺憾無く発揮していった。
当然、その肩書きと結果は、ユーノ自身の自信に繋がっていた。
魔王領の外へと旅立った後に、今ほどに手酷く傷を負ったのも。ユーノには初めての経験だったが。
手酷い傷を負わせた張本人による屈辱的な言葉は、目の前の敵に……だけでなく。敵の攻撃をむざむざ喰らってしまったユーノ自身に対しても、怒りが渦巻くには充分過ぎる要素だった。
「がっ!……ぐううぅっっ……うわああぁぁぁっ!」
今、ユーノは全身に奔る激痛を。怒りの力で忘れたかのように絶叫を発しながら、無理やりに上半身を起こしていくと。
「……へえ。助けてやる、って言ってるのに。まだ頑張る気なんだ、弱いのに健気じゃん」
「ボクのことっ……よわい、って……いうなああぁぁぁあ!」
軽口を叩いてみせるシュパヤの前で、ふらふらと身体を弱々しく震わせながらではあったが。上半身を起こした後、片膝を立てて、両の脚で地面に立とうとするユーノは。
またしても「弱い」と口にした子供に対し、怒りの矛先を向けるかのように、殺気を込めた視線を放つ。
だが、敵意を剥き出しにしたユーノの視線を受けてもなお。シュパヤは軽く受け流し、自分の提案を無視した相手に制裁を与えようと。
「だったら……覚悟しろよ。次はないからな」
何とか立ち上がったものの、まだ足元はフラつき不安定な体勢で。とても戦闘を続行出来るような状態ではないユーノに対し。
より強力な蹴撃を叩き込むために、構えを取ろうとした──その瞬間。
「へ、っ?」
シュパヤは自分の身体の異変に気が付く。
脚が、地面から離れなかったのだ。
「な、何だよ、ど、どういう、ことっ?」
思わず足元を見た子供は、何故動かそうとした自分の脚が動かなかったのか、その理由を知る。
蹴りの威力を高めるために履いていた戦靴と、いつの間にか白く霜の張っていた地面と接している部分が凍結して付着していたからだ。
見れば、地面が凍り付いていたのは。シュパヤと紙の魔巨像の周囲だけであり。ユーノのいる位置の地面には、白い霜は張ってはいなかった。
「だ、誰だよっ! こ……こんなことしやがったのはぁっ?」
シュパヤがまず疑ったのは、目の前で深傷を負いながらも立ち上がったユーノだった。地面が凍結する、という異常事態に彼女が巻き込まれていないのだから。子供の反応は当然なのだが。
「はぁ、っ……はぁ、っっ──」
子供から観察したユーノの状態は、いまだ激痛のためか息も荒く。とても魔法を発動する集中が出来る様子には見えなかった。
ならば、ユーノ側に加勢する援軍がいる筈だと踏んだ子供は。今度はユーノから目線を切り、注意しながら周囲を見渡す。
だが、イスルギとヘイゼルは睨み合いを続け。
オニメは黒い鎧の女戦士と大剣同士を交えている最中だったし。
カムロギは三の門へと寄り掛かり、誰にも加勢する気配を見せようとはしなかった。
「じゃ、じゃあ、誰がオイラの脚をっ?」
疑問の答えが出ないまま、キョロキョロと慌てた様子で見渡した子供の、そんな視線の先には。
白い髪をなびかせた少女──とはいえ子供から見れば三、四歳は上の少女が立ち。胸の前で両手の指を組み、明らかに魔力を地面へと放出していた姿を、ようやく捉えることが出来る。
それは、騎乗していた馬から降りたフブキだった。




