13話余談 アズリア、幼い生命を繋ぐ
元より氷壁に囲まれた洞窟の内部で火を焚き、籠った熱で氷が解けると。洞窟や氷壁が崩壊する危険があったが。
そもそもの話。
この場には、火を焚くために必要な薪木など、当然ながら存在しないからだ。
「ここじゃ焚き火は起こせない」
リュゼら三人も「この場で暖を取る」という選択には至れたようだが。アタシと同様に、火を維持する解決策が思い浮かばずに頭を抱える。
いくら火を起こせたとしても、燃え盛る火を維持するための燃料がなければ、火はすぐに燃え尽きてしまうからだ。
「本当に……どうにかならないのか? どうにか氷の壁からロシェット様を救い出せても、このままではっ……」
枯れ木を拾おうにも、洞窟内に落ちている筈もなく、しかも外は激しい風雨だ。
仮に落ちていた枝を拾えても、雨で濡れた枝は最早、薪としては使い物にはならないからだ。
ロシェットの生存に一瞬、目の輝きを取り戻したリュゼら三人だったが。火を起こせなければ、いずれロシェットの心の臓は止まってしまうのは明白だ。
何も出来ない不甲斐なさからか、再び三人の表情が曇り出す。
しかし、アタシは既に解決策を見出していた。
まず最初に、自分の荷物を運ぶ用途で持っていた革袋に燃料用の油をぶち撒けた後に。
「サイラス。アンタの槍を貰うよ」
「な、っ! お、俺の武器をどうするつもりだっ?」
急を要する状況下で、アタシは「is」の魔術文字の時のようにサイラス本人の承諾を待つ事なく。
背中にぶら下げていた長槍を、勝手に取り上げたアタシは。
「こうするんだよッ!」
背中から自分の愛用の大剣を取り出し、サイラスから取り上げた長槍の柄の部分に躊躇なく振り下ろしていく。
サイラスが所持していた槍は穂先こそ鉄製だが、長い柄は鉄製ではなく持ち運びが容易な木製であり。お陰で大剣で容易に切断が出来た。
「そ、そうかっ……サイラスの槍、木製の部分を薪木代わりにしたわけか!」
「ご名答」
しかも武器に使われる木は、燃料用の薪木などよりも余程良質で、火に焚べても長持ちする燃料に使える。
過去に傭兵として幾度となく戦場に出ていた時の経験が、ここで活かせたという訳だ。
おそらくはロシェットの家に仕えているであろう騎士であるサイラスは、自分の武器を薪木にされた事に不服そうな表情を浮かべていたが。
「それなら、そうと言ってくれれば……」
「そんな顔しなさんな、サイラス。アタシなんて革袋に換えの服まで燃やしたんだからさ」
油が染み込んだ革袋は、確かに火を燃やし続ける燃料にはなるものの、最初の火種にはなり得ない。だからアタシは胸や腰に巻く衣服代わりの布地を、同じく油を染み込ませ。
サイラスの槍の柄の切れ端と一緒に、洞窟の床に積んでみせると。
ようやく焚き火を発す事に成功し。
「これで、王子も……」
毛布とともにアイビーに抱かれた有翼族の王子は。ロシェットよりも寒さによる影響が軽度だったためか、徐々に肌に赤みが戻っていった事に。
安堵し、顔がみるみる緩んでいたアイビー。
しかし、ロシェットの状態はというと。
アイビーから借り受けた毛布を身体に巻き、同じくリュゼに抱かれていたにもかかわらず。肌は青白いままで、息も戻らない状態が続いていた。
これはあくまでアタシの推測だが。有翼族の王子とやらがロシェットより軽度で済んだのは。
元より山頂に集落を作る有翼族という種族と。何不自由ない貴族として生活してきたロシェットとの差ではないかと。
アイビーとは対照的に、焦りの色が濃くなるリュゼの表情。
「ロシェット様っ……お願いです、お願いですから、死なないで下さいっ……」
「わ、私も協力しますリュゼ様っ!」
リュゼの焦りを察し、ルーナもまた。ロシェットを暖めるように、リュゼと反対側から幼いロシェットの身体を抱き締めていくも。
ロシェットの状態には一切の好転がない。
アタシはここで、気付いてしまった。
「……そうか。そういうコトかい」
思い返せば、最初にリュゼらと遭遇した時も。
風雨に晒されたサイラスとルーナは冷えた身体を震わせながら、何の対策を行ってはいなかったではないか。
つまりは──おそらく三人には、寒さで動けなくなった人間へ対処する知識が、元より欠如していたのだ。貴族に仕えている以上、過酷な環境への対処など必要ないだろうから当然と言えば当然だ。
だからリュゼは、有翼族の王子が回復した様子から。同じ方法を取れば、ロシェットもじき回復するだろう……と踏んだのだろうが。
今のリュゼの方法を続けていれば、顔に血の気が戻る前に。おそらくは心の臓が止まるのが先だろう。
──だから。
「リュゼ。その子供を助けたいかい?」
「と、当然だろうっ、ロシェット様が助かるなら、私は何でもする覚悟はある!」
どうやら、リュゼがロシェットを気遣うのは、命令や義務ではなく。心の底からロシェットという少年の身を案じているかららしい。
もしリュゼが、命令だ貴族に仕える義務だ、などと口にしたなら。見殺しにしても別に良かったのだけど。
「なら、アタシのやり方に口を挟まないで欲しいんだ。後ろの二人も」
「お、おい? 君の事は信頼してるつもりだが、一体ロシェット様に何をするつもりなんだっ……」
アタシの提案に承諾こそしたものの、明らかに困惑の顔を浮かべていたリュゼ。そのリュゼからロシェットを引き離し、身体を包んでいた毛布を剥ぎ取ったアタシは。
ロシェットの衣服を全部、乱暴に脱がし始めたのだ。
氷壁の中に閉じ込められた事で、冷水が染み込んだ衣服を、上から下まで全て。
「な、何をしてるんだアズリア、こんな時にっ⁉︎」
突然の暴挙とも思える衣服の剥ぎ取りに、思わず悲鳴に似た声でアタシを責めるリュゼだったが。
強烈な冷気が漂う洞窟内で、濡れた衣服を纏っていれば。いくら火を焚いても熱は身体に伝わらず、いずれは心の臓を止める程にロシェットを冷やしてしまうだろう。だから脱がしたのだ。
そして、息が止まっているロシェットの口に顔を寄せていくと。徐々にアタシの口唇との距離が縮まっていき。
「お、おいアズリア! い、いくら約束したとは言え、ろ、ロシェット様にそれ以上の暴挙は──う、うわ、や、止めろっ!」
リュゼの制止の声を無視して、アタシはロシェットの口唇に自分の口を重ねていく。
一見すれば男女間の親愛を表す「接吻」だが。アタシは同時にロシェットの鼻を摘み、重ねた口からロシェットの口内へ息を吹き入れていく。
川で溺れた等で、心の臓は動いてても息が止まった者に対し、息を吹き返させるために行う応急処置を。
アタシはロシェットに行ってみせたのだ。




