146話 ジャトラ、まさかの襲撃に
『────三つ!』
当主の間の前に押し寄せた数人の武侠らが、声を揃えて三つ目の数を唱えた後。それでも扉が開けられる様子がないのを、少しの間、待った上で確認をすると。
全員で顔を見合わせ、こくんと首を頷き合い。腰に挿していた武器をすぐにでも鞘から抜ける構えを取りながら。
『カガリ家に仇為す逆賊め──覚悟せよっジャトラっっ!』
掛け声とともに。
間の扉を強引に蹴破っていく。
だが、当主の間に踏み込んだ武侠らが見たものは。
ジャトラはおろか、誰一人として存在しない部屋の中。まさに裳抜けの殻だったからだ。
「な……何だ、と? だ、だが先程は確かに声がっ……」
武侠らが驚くのも無理はない。
今いる場所、当主の間は。五階層で建てられたシラヌヒ城の最上階にあり。
部屋から逃げるためには、武侠らが待ち受ける扉を開けるか。外を見渡せる窓と外梁から、地上へと飛び降りるかしかないのだから。
「まさか……叶わぬと悟り、身投げを?」
武侠の一人が、外梁から身を乗り出し、城の真下へと視線を凝らし覗き込むも。地面には落下したジャトラの亡骸はおろか、負傷して逃げた痕跡は見られなかった。
「いや……本当に窓から落ちたのなら、飛行の魔法が使えぬ以上、生きていたとしても無事では済むまい……だが」
空を飛ぶ魔法の使い手はこの国でも稀にしか見ない。武侠らも、ジャトラが飛行の魔法が使える……などという話は今まで耳に挟んだことがない。
ならば、五階という高さから何の準備もなく落下すれば、幸運に助かったとしても身体の数箇所は負傷するのが当然だ。なのに、地面には重いモノが落ちた痕跡も。血の一滴さえ残っていなかったのだから。
あと一歩のところまで追い詰めながらも、完全にジャトラの位置を喪失してしまった武侠らは。
誰もいない当主の間に、まだ身を潜めているのではないかと右往左往していた──同じ時。
「はぁ、っ……はぁ、っ……く、くそ……っ」
ジャトラは、僅かな光に照らされた、薄暗く狭い通路を、ただひたすら前に前に走っていた。
息を切らし走る男の顔には、焦りと困惑、そして疲労のためか汗がびっしりと浮かぶ。
「ど、どうだ影よっ? 後ろから連中が追い付いてくる気配はあるかっ!」
「──いえ、今のところは」
影の言う、天守閣で追い詰められた際の逃走経路。秘密の抜け道を使い、武侠らの厳しい追及から見事に逃げ果せたジャトラは。
先導に、ではなく。抜け道を発見され、追撃の手が及んでも良い様。影を自分の後方へと配置していた。
「ジャトラ様、もうすぐ城の外です──警戒を」
「そ、そうかっ!」
影の言葉通り、ジャトラの視界は。薄暗い通路の先に眩い光を捉える。
城を脱出し、武侠らの追及を一時は逃れたところで、ジャトラを取り巻く状況が変わるわけではない。
いや、逃亡した時点で。他の武侠らは真実、とまではいかなくとも。ジャトラが用意したフブキが偽者であると気付くだろう。事態はより悪い方へと傾いてしまう。
だが、それでも。
今のジャトラは背中から迫ってくるであろう圧力から、何としてでも逃げ出したかったのだ。
「はぁ、っ……や、やっと逃げ果せたわ、ざ、ざまあ、みろ……っ!」
そして、薄暗い通路から光当たる場所に出た途端、ようやく安堵出来たのか。
今しがた自分が駆け抜けてきた暗闇に向き直り、堰を切ったように悪態を吐くジャトラ。
そんなジャトラの頬を。
風を切り裂く音と同時に、何かが掠めた。
「──は?」
一瞬、自分の頬に感じたのが何なのか、その正体がわからないまま。困惑しながら、ジャトラは頬を指で撫でる。
その指の先には、赤い染みが付着していた。
そして、目の前の足元に突き刺さった矢。
「ひ……ひいぃぃぃっ! な、何者だあああ!」
頬の違和感、指に付いた血、そして足元の矢。
これだけ物的証拠が揃えば、自分が何者かから狙われている事実に気付くのは容易と言えた。狙われたジャトラは困惑を超えて恐慌に陥り、悲鳴を上げながら腰の鞘から曲刀を抜き放ち。
振り向きざまに背後へと剣閃を奔らせる。
だが、ジャトラが握る曲刀の刃は虚しく。
何度を空を斬るのみだった。
冷静に考えれば、弓矢で狙った相手が真後ろになどいるわけがない……というのは。通常の心理状態ならすぐに分かる事だが。
今のジャトラは、安堵し、緊張感を緩めた瞬間に矢の洗礼を受けたことで。心が恐怖で支配されてしまっていた。
「くそおっ! このっ! このおっ、ひ、卑怯だぞ姿を見せろおっ!」
冷静さを欠いてしまったジャトラは、ただひたすらに何もない空間に武器を振るい続けていた。
忠誠を誓った主人を諫める事に、躊躇していた影だったが。
警戒の網に引っ掛かる、複数の気配。
「……そこに隠れているのは、誰だっ!」
感知した気配の全てに向けて。影は懐から素早く取り出した小型の投擲用短剣を──音を立てずに放つ。
投擲した短剣の数は、七本。
その内の四本は、周囲に満遍なく広がるように放たれていき。短剣の軌道は、草木の茂みの中に消えていくが。
残り三本は近くの木の上へと投擲され、樹の幹に突き刺さる音を響かせたが。
「──ひっ⁉︎」
「むっ、今の声はっ?」
と同時に、悲鳴が。
声が聞こえた箇所へと影が視線を向けると。
「あれは……童かっ!」
大人が乗ればたちまちに折れてしまいそうな木の枝の上に、小柄な身体の少女が弓を構えて立っていたのが見えた。
「ちっ、見つかっちまったか……っ?」
影に発見されてしまった少女は、慌てた様子でその場を離れ、影の視界から逃がれようとするが。
あのような少女が何故、城の内部に侵入していたのかを問い詰めるために。少女を追おうとした。
その時だった。
投げられた短剣が合図だ、と言わんばかりに。茂みから飛び出してきたのは、三人の男の姿だった。
「気付かれてんなら、もう隠れる必要はねぇな、バン」
「いつもの通りだ。同時にやるぞ」
「はッはあ! 任せときなっトオミネ! ムカダ!」
一人は短剣を胸の前に構え。
一人は素手。
そして最後の一人は鉄製の鎖を振り回していた。
「お、お前らはっ? 確か──カムロギのっっ!」
襲撃を仕掛けてきた三人の顔を、ジャトラは見覚えがあった。
自分の立場を盤石のものにするため、一度は解散したとされていたこの国最強の傭兵団「韃靼」。
その構成員である四人を招集した際、その内の一人・カムロギに同伴していた集団の中に見た顔であった。
「ああ、そうさ。今まで気ままに盗賊団をしていたカムロギの親分が、何で手前なんかの下に付いたのか不思議だったんでな!」
「勝手ながら、俺らであんたの事を調べさせてもらったってわけだ」
「……冗談じゃねえ! 魔竜の支配なんぞに力を貸せるわきゃねえだろが!」
……そう、実は。
ジャトラの招集に応えたカムロギの真意に、ずっと疑問を抱いていた盗賊団の一味は。
カムロギの配下として城や本拠地の出入りが自由となった立場を利用し、周辺の都市を含めて情報収集に乗り出していた。
三人の中には、元は八葉家に仕えていた影だった者もいる。情報収集の方法はその男──ムカダから細かい指示が出されていた。
その結果、全員は恐ろしい事実に辿り着いてしまう。
ジャトラは魔竜に操られている、と。




