143話 アズリア、姿見せぬ敵への秘策
大きな叫び声を出したユーノの頭に浮かぶのは。
アタシが今口にした「生き残りが立て籠もった小屋」に、部下の魔族が試しに放った強力な炎を。木製の小屋は火が燃え移ることなく、びくともしなかった記憶だ。
「そ、そうだよっ、あのとき……なんでこやがもえなかったのか、ふしぎだったんだよねっ?」
類い稀な身体能力を持っていたからか、それとも魔王様の実妹だったからか。幼い頃から戦いの中に身を置いていたユーノだが、それでも「乾燥した木材は火に弱い」程度の知識はある。
当然ながら、何も細工をしないのであれば。ユーノの知識の通り、木製の小屋に魔族が放った炎が燃え移っていた筈だ。
「その答えが、コイツさね」
「あれ? それとおなじの、あのときもみたよっ」
アタシは、指先から血を滴らせた左手で。騎乗していたシュテンの後頭部へと、一つの魔術文字を描いていく。
描かれたのは「赤檮の守護」の魔術文字。
本気……ではないにせよ、魔王リュカオーンの攻撃を弾くことの出来る防御結界を張り巡らせる効果を発揮する魔術文字だ。
ユーノの指摘通り、木製の小屋が魔族が放った強力な炎で燃えなかった理由は。
小屋に張り巡らせた「赤檮の守護」の魔術文字によって、炎を完全に防御したからだ。
ユーノの疑問が解消され、大人しくアタシの後ろへと回ってくれた一方で。今度は背後から声が。
「あ、アズリアっ、その血……っ?」
「ああ、この怪我かい」
知らぬ間に血を流していたアタシの指を見て、フブキが一瞬息を飲み、驚いた声を出す。
通常の魔法の一切が行使出来ないアタシが、唯一使うことが出来るのが。右眼に宿したのと同じ「魔術文字」なのだが。
魔術文字の発動には、触媒にアタシの血を必要とする。だからフブキも何度か、魔術文字を使う際にわざと指先を傷つけ、血を流すのを見てきただけに。
後ろにいたフブキは、いつアタシが指を傷つけたのか不思議だったのだろう。
しかも血は、指先からではなく籠手で守られた腕から流れていたようで。アタシの指は赤く染まっていた。
「つい、さっきさ。矢を弾いた時に籠手を砕かれた時に……ちょっと、ね」
「ちょ? そ、それっ──」
思わずフブキが言葉を詰まらせたのは。
魔術文字を描いた左腕と。装備していた籠手が破損した箇所にあった傷を、彼女へと見せたからだ。
腕の傷の原因は、アタシが防御したばかりの鉄矢だ。
フブキに当たらぬよう、左腕で矢を弾いて防御に成功こそしたのだが。風を斬り裂く凄まじい速度で飛来した矢の威力は、左腕の籠手を破壊し。
装甲で守られていた筈の腕をも、傷を負わせたのだ。「赤檮の守護」の魔術文字を描いた血は、腕の傷から指へと滴った血だった。
「……まあ。おかげで一手間省けたんだけどねぇ」
意外、と思うかもしれないが。魔術文字の発動の触媒として、指を切って傷を作る一連の行動。
アレは結構な手間だとアタシは常日頃から感じていた。
お陰で、よく切り傷を作るアタシの指の腹は皮が分厚くなり。世辞でも女の指とは思えない、無骨な太い指になってしまっていたからだ。
「と、とにかくだッ! アタシが『赤檮の守護』の魔術文字で防御を張りながら、全速で三の門まで駆け抜ける!……で」
「あたいらは、堅いアズリアを盾にして、一緒に三の門まで進みゃいいと」
作戦を説明するアタシに、何の疑問も持たずにアタシの背後へと着いたヘイゼルが便乗しだす。
まあ、確かにこちらの作戦の意図が伝わっているのは、本来ならば良い事なのだが。
「……なんか、アンタにそう言われると。無性に腹が立つねぇ……」
「はは、そうかい? まあ、気にするなって」
どこかヘイゼルの言葉の端々から、アタシを小馬鹿にするような感情が見え隠れし。後ろにいたヘイゼルへと、目を細めて睨んだ視線をぶつけてみるも。
何事もなかったかのように躱されてしまうが。
もう一人、ヘイゼルの言葉に不満を見せたのは。
「うぅー……ボク、お姉ちゃんをたてにするの、なんかいやだけどぉ」
「何だい? まだ納得いってないのかいユーノは」
ヘイゼルの乗る馬の背中に、軽快に跳び乗ったユーノは。アタシの視線から逃がれようと逸らしたヘイゼルへと、鼻先が触れるか触れないかの距離まで顔をグイと寄せ。
不機嫌そうに頬を膨らませていく。
「……やれやれ、だねぇ」
ヘイゼルとユーノ、二人のやり取りを遠目で眺めながら、軽く溜め息を吐くアタシだったが。
思えば、海の王国の海上にて一度は敵対したヘイゼルが。「一緒に連れて行け」と言い出し、同行させていた時。
ヘイゼルをずっと警戒していたユーノは、そこまで親しげな会話を交わす様子は見られなかったが。
やはり……アタシが海に落ちてから、この国までの航路を二人きりで過ごしてきた経験が、二人の心の距離を縮めたのだろう。
「そもそも今回はあたいが言い出したんじゃなく、アズリアの提案なんだ。わかったらとっとと走る準備しなっ」
「むうぅ……わ、わかったよっ」
……まあ、ユーノがヘイゼルに不満を見せているのは。フルベで領主の屋敷に、三人で突入を仕掛けた際。
見事にヘイゼルに乗せられ、正面の囮役をする羽目になったアタシが。魔力は枯渇一歩手前だわ、数日は療養が必要な負傷をするわと散々だった事もあるのだろうが。
そう考えれば、二人の言い合いもまた。
眺めているとなんだか、安堵にも似た気持ちが胸中に湧いてくる、が。
「は、っ──?」
頬を膨らませ、ヘイゼルと言葉を交わしていたユーノの頭上の獣耳が突然、ピンと反応し。
ヘイゼルとの言い合いを中断して。先程、鉄矢が飛んできた方向をジッと睨み付ける。
直後。
「お姉ちゃんっっ!」
「──来たねッ!」
アタシの名を呼び、ユーノが指差した真正面から。
風を貫く轟音とともに、鉄矢が飛来するのをユーノに遅れて、アタシも耳と目で察知した。
二撃目は一本ではなく。
同時に三本。
しかも矢は綺麗にそれぞれアタシの頭に胸、そして騎乗するシュテンの額を正確に狙い飛来していた。
「ユーノッ……気配は?」
アタシは再び、襲撃者の正体を探ろうと。感知能力に優れたユーノに弓兵の位置を訊ねるも。
ユーノは黙ったまま左右に首を振り「察知出来なかった」という仕草を見せる。
「ちぃッ! あっちからはこちらは見えて、アタシらからは見えない……ッてのはどういう理屈だよッ?」
姿を見せぬ弓兵からの一方的な攻撃に、愚痴を漏らすアタシだったが。
不意を突かれた第一射と比較すれば、今回の二撃目は早く察知出来たこともあり。アタシはようやく背中の巨大剣を構えることが許された。
小型の盾程の幅広い刀身を持つアタシの大剣と、「赤檮の守護」の魔術文字の効果があれば。
一本が三本に増えたところで問題はない。
「よし、二人ともッ。アタシが合図を出したら前進するから……離れずにしっかり着いて来るんだよッ、イイね?」
襲撃者の姿は見えずとも、これ程に正確で強力な射撃。
やはり、距離を詰めなければ。ただ一方的にこちらが狙われ、少しでも気を抜けば一撃で急所を射抜かれ、生命を落とすだろう。
アタシは後ろに同乗していたフブキ。そして馬に乗るヘイゼルと、地面に降りたユーノへと声を掛け。
三人が揃ってこくん、と小さく頷く。
ちなみに。
今回、ユーノとの会話の話題に出た回想は。第5章は68話「アズリア、第二波に対策する」にありますので。
是非、そちらも読んでみて下さい。




