142話 アズリア、見えない襲撃者
高速で頭を撃ち抜こうと迫る鉄矢を、下から弾くために。アタシに矢の先端が届くか、という距離を限界まで見極めた上で。
……本来ならば、一〇〇回挑んで一、二回成功すればよい程の難易度の所業に挑戦したアタシだったが。
視界の中で、ある異変が起きた。
「──えぇッ? な、何だい……矢が、ゆっくり?」
何故か、風斬る音を鳴らしながら距離を詰めてきた鉄矢の速度が。急にもったりと減速を始めたのだ。
いや、矢が減速したのではない。
矢を弾こうと動かすアタシの左腕の速度もまた、矢と同様に鈍くなってしまったのだから。
「な、何だよ……こりゃ……ッ!」
どんなに力を込めてもこれ以上、左腕の動きは速くはならなかったことに焦り、困惑するアタシ。
何とか回る頭で理解出来たのは、アタシの眼に見える範囲内だけは。全ての動きが緩慢としていた、という事だけだ。
「──待てよ? だッ、てんなら……もしかして」
だが、攻撃側の矢と防御のための左腕、その双方の速度が減衰したことで。却って矢を弾く絶好の機会を計り易くなる。
アタシは最初の思惑通り、じわじわと人が歩く程の速度で接近してくる鉄製の矢を。
同じくゆっくりと動く左腕の籠手の部分で、下から触れた──その途端。
視界で起きていた異変が突如、終わりを告げ。
「う、おぉッッ⁉︎」
矢の速度が元に戻ったのか。触れていた左腕の籠手に奔る強烈な衝撃、そして衝突時に響く鈍い金属音。
アタシが纏う部分鎧には、装甲の硬さを増すために巨大剣の材質でもあるクロイツ鋼が混ぜられているが。その籠手に鉄矢が命中した箇所には、大きな亀裂が入ったことが。今、飛んできた矢の威力を物語っていた。
下から矢を弾こうとする左腕の動きが不十分だったためか、矢の軌道を完全には逸らせずに。だが多少は上に軌道を逸らせたためか。
殺傷力抜群の鉄製の矢は、アタシの赤髪を掠めた後。フブキを大きく避けるように、斜め上へと飛び去っていった。
「……ふぅ、しかし、まあ」
とりあえず防御出来たことに、安堵の息を漏らしたアタシだった。
もしこの場に、ナルザネやイズミ。そして援軍として加勢した騎馬兵らを引き連れてきていたら……今の矢の餌食になっていたのは間違いない。
そう思うと、安堵したばかりのアタシの顔からサッと血の気が引く。
「さっきのアレは、一体何だったんだい……」
矢も腕の動きさえも緩慢となった、先程の現象の正体は一体何だったのか。
だが今は、原因を考えている時間の余裕はない。
何しろ手掛かりは一切ないのだから。
「お、おいっ、今の──」
「え? ええっ!……どこ、どこっ?」
この時点で、ようやく両隣にいたユーノとヘイゼルは。アタシが矢で射られた事実を理解したようで、姿の見えない襲撃者に備えようとしたが。
「な、なあユーノっ、矢は何処から──」
「それが……おかしいよっ。ちかくにぜんぜんけはいをかんじないんだよおっっ?」
耳を動かしたり、周囲に視線を巡らせて襲撃者の位置を探ろうとしていたユーノの表情がみるみる厳しくなっていく。
一の門でアタシらを待ち受けていた、二人掛かりで鉄矢を放つ弓兵が配置されていたなら。まず白塗りの壁の内側に、だろう。
飛来してきた矢の方向と合わせれば、獣人族の中でも抜きん出たユーノの感知能力なら位置を割り出せる。そうヘイゼルも、そして当のユーノ本人も思っていたのだろう。
「い、いや、だってさ、飛んできた方向はわかってるんだろ……それでも?」
ヘイゼルの問い掛けに、ユーノは無言ながらぶんぶんと左右に首を振って答えていく。
だが、ヘイゼルの目論見が見事に外れ。
ユーノが鉄矢の射手を察知出来なかった事に、彼女の顔からはあからさまに血の気が引く。
「な……なんて、ことだい……っ」
何しろ、アタシが何とか防御に成功した初撃の矢を。彼女は反応することすら出来ず、身体が動いたのはアタシが弾いた後だったのだ。
もし、狙われたのがアタシやフブキでなく、ヘイゼルやユーノだったら。気付かぬまま頭を射抜かれ絶命して、初めて矢を射られた事を知るかも知れなかったとなれば。
ヘイゼルが恐怖するのは当然とも言えるだろう。
諦めずに周囲へと警戒の網を張り、襲撃者の位置を何とか把握しようと躍起になっていたユーノ。
同じく警戒し、単発銃を腰から抜いて構えてはいるが。敵の位置がわからずに困惑していたヘイゼル。
まずアタシは、背中を掴んでいたフブキに一つ確認を取る。
「なあフブキ。今、アタシらがいる位置から三の門まで、あとどのくらいの距離だい?」
「えっ? そ、そうね……えっと」
それは、この場所から三の門までの距離だった。
門までの距離がまだ遠いならば。この場でどうにか襲撃者の位置を特定し、邪魔を続けるなら排除する必要があったが。
その逆……門までの距離が近いのであれば。襲撃者の撃退とはまた違った方法が取れる。
ユーノやヘイゼルが警戒を強める、緊張感が高まる空気の中で聞かれたフブキは。周囲の城壁を何度か見返しながら、アタシへの質問に真剣に回答しようとし。
「あと三つ。角を曲がって進めば、もう三の門は目の前のはずよ、うん……間違いないわ」
「三つ、ねぇ。それなら──」
そしてフブキの口から導き出された答えから。
アタシは「遠い」ではなく「近い」と判断し。
「ユーノッ……それにヘイゼル! 二人とも、アタシの後ろに着きなッ!」
警戒を強めるユーノとヘイゼルの二人に、アタシは大声で指示を飛ばす。
勿論ながらアタシの指示は、二人が第二撃以降の標的となるのを避ける意図があったからだ。
敵の位置がわからないままでは対抗策がみつからない。狡猾なヘイゼルは慌てて馬の手綱を操り、指示通りにアタシの背後へと回るが。
戦士としての意地があるユーノが、おいそれと承諾する筈もなく。
「そ、それって、お姉ちゃんがたてになるってことっ?」
「まあ、簡単に言やあ。そういうコトになるねぇ」
冷たい言い方かもしれないが、襲撃者の放つ鉄矢に反応出来たのは現状、アタシだけなのだ。
矢が放たれる方向こそわかれば、第二撃以降は反応し、防御も出来るのかもしれないが。三の門に到着する前に、ユーノが深傷や致命傷を負う真似は避けたいのが本音だ。
それに──アタシには、秘策がある。
「ユーノ。覚えてるかい? 神聖帝国に襲われた村での出来事を、さ」
「え……な、なんだよいきなり、お姉ちゃんっ?」
「イイから。アタシとユーノが初めて一緒に戦った時のことだよ」
ユーノに問い掛けたのは、まだアタシが魔王領に連れて来られたばかりの頃。
初めて島に住む魔族や獣人族と、島に流れ着いた人間の国家──神聖帝国が。長きに渡る戦争を繰り広げていた事実を知った時の話だ。
いつ、第二撃が飛来してくるかもわからぬ状況で。呑気に思い出話に華を咲かせている余裕がないのは、アタシも承知しているが。
索敵を成功しないまま、無理やり指示に従わせてアタシに守られるよりは。ユーノには納得して指示を聞いてもらいたい。
ユーノが納得するための秘策の説明には、過去の記憶は必須だった。
「あの時、村の住人が立て籠もった小屋に。アタシが何をしたか……思い出したかい?」
「え? えっと、え……っとお」
魔王様に味方し、人間側の敵になったアタシにとっては印象的な出来事だったかもしれないが。
ユーノにとっては、長きに続いた戦争のごく僅かな出来事でしかない。
それでもユーノは、アタシの言葉を頼りにしながら。腕を組んで左右に首を傾げ、「うーん」と唸りながらも。何とか人間に襲撃され、燃え盛る村での記憶を思い出そうとしていた。
次の瞬間、ユーノが大きく目を見開き。
「……あ。あ────っっ⁉︎」




