138話 ジンライ、四領主を圧倒する
この話の主な登場人物
ジンライ 四本腕に無くした眼が戻った四本槍の一人
ネズ リュウアン領主 ジャトラに叛旗を翻した一人
ミナカタ コウガシャ領主 ジャトラに叛旗を翻した一人
レンガ アカメ領主 ジャトラに叛旗を翻した一人
──その、横では。
老武侠と同じく、四本腕という異形へと変貌する様を。ただ呆然と見ていた、ネズ・ミナカタ・レンガ・ヒノエの四人の領主の前で。
自分の愛馬を呼び寄せ、その背中へと跨がり。
「それじゃ……仕切り直しと洒落こもうじゃねえか!」
潰れていた筈の眼には、鮮血のような赤い光を宿しながら。最早「隻眼」ではなくなった隻眼の武侠は、ニヤリ……と挑発的な笑みを浮かべ。
長槍と二本の曲刀を振り上げ、四人へと突進してきたのだ。
「くっ! ね……ネズ、レンガ。済まないが、前衛での迎撃を引き続きお願いするっ!」
四人の中で最初に口を開いたのは、ミナカタだった。彼は、この場から動かずに武器を構えかけていた二人の武侠に指示を出す。
「承知だ、このレンガに任せておけっ!」
大声で返答するレンガとは対照的に。無言のまま一度だけ首を縦に振り、黙って曲刀を構えて馬を走らせたのはリュウアン領主ネズ。
ネズとレンガは、それぞれ一度左右へと分かれ。突進してくるジンライの両側面からの挟撃を仕掛ける。
上手く一方の相手に構ってくれれば。側面から攻撃したもう一方は、騎乗しながら長槍を振るうジンライの背中を取れる可能性もある。
おそらくは指示を飛ばしたミナカタの意図も、どちらかが隙を生ませ、どちらかがその隙を突くという作戦なのだろう。
ならば……と。
「むうぅ──んっっ‼︎」
一歩、前に出て。誰よりも先に攻撃を開始したのは左側面から接近したネズだった。
真上へと大きく、両手で振り上げた曲刀の刃を。まさに稲妻のような速度で、ジンライの頭を真っ二つにする勢いで叩き落とす。
ネズが今、放った攻撃は。相手が回避や防御に成功し、その後に反撃する……という可能性を度外視した。まさに攻撃一辺倒の構え。
対して。
四本の腕には両手持ちの長槍に、左右それぞれの腕に曲刀が握られていたが。ネズの気迫を込めた大振りを受け止めるには、片手一本では無理だ、と判断したのだろう。
二本の腕で握る長槍の柄を頭上へと掲げ、凄まじい威力のネズの一撃を見事に受け切ったジンライ。
「ぐっ……ぅぅぅぅっっ‼︎」
歯を噛み締めながら渾身の力を込めるネズは、槍を押し切り、なんとかジンライの額へと刃を届かせようと粘るも。
「いい攻撃だ。俺でなかったら頭を割られていただろうな──だが」
「ぐ、っ……お、おおお、おおっ……っ!」
両手対、両手。ネズとジンライは全く同じ条件だったというのに。両腕に目一杯力を込め、顔を歪ませ、懸命な表情を浮かべていたネズに対して。
嘲笑じみた表情を見せるジンライは、まだ充分に余力を残している様子だった。
一見、互角に思えた武器同士の競り合いだったが。限界まで力を使っていたネズが、力の均衡を持続させるために見せた、力を抜き、息を整える一瞬の隙をジンライは見逃さなかった。
いや寧ろ、ジンライはその瞬間を狙っていた。
「──残念ながら、今の俺にはもう二本の腕がある」
何と、三本目の腕を巧みに動かし。
武器を擦り合わせる程に接近していたネズの腹に、真横から握られていた曲刀の刃が襲い掛かったのだ。
競り合いに集中するあまり、視野が狭くなり。他の二本の腕が見えなくなっていたネズに、真横からの斬撃に反応出来る筈もなく。
「なん……だ、と……っ?」
最初は、ジンライが放った言葉の意味が理解出来なかったネズだったが。
直後、自分の腹に一直線に奔った灼熱感と。遅れて感じた激痛、そして全身から力が抜けていく感覚。
違和感に駆られ、視線を落とした時にようやく。自分の腹が鎧ごと斬られていた事に気付いたネズは。
「俺の腕が二本ならよかったがな。そこまでが、貴様の限界だったなあっっ!」
ジンライが決着を付けようと、力が抜けて競り合いから解放されたばかりの長槍で攻撃姿勢を取ろうとするのを察知する。
「が、はっ……ぐ、だ、だが、っ……このまま──」
もし、このままジンライの槍で果ててしまえば。ネズは計画していた挟撃の囮役を果たすことが出来ず、無駄死にとなってしまう。
腹に受けた傷は深く、放置すればネズは生命尽き果てるだろう。このまま戦線を離脱し、治療に専念する選択肢もある中。
「むざむざと、っ、死ぬわけにはあっっっ!」
ネズが選択したのは、何としてでもレンガとの挟撃を成功させるために自分の生命を消費することだった。
リュウアン、という一つの都市の統治を預かる立場の人間が、簡単に生命を捨てる選択をするのは愚策と評価されても仕方がないが。
ここで四人まとめて敗北し、四本槍を三の門へ進ませる事態となれば。ジャトラへの叛乱が失敗してしまうのは必至である。生き残ったとしてもどうせ処刑される身だ。ならばせめて、他の三人の領主を生存させようと。ネズは判断したのだ。
腹から流れる血とともに、全身から抜けていくような感覚に、歯を食い縛り耐えながら。ジンライに体重を預けるように寄り掛かり、長槍を掴んで武器の自由を奪う。
「はぁっ……はぁっ……こ、これで、槍は使えなく、なったなぁ……っ、ジンライよ」
次の瞬間。ジンライの背後に迫ったのはアカメ領主のレンガだった。
ネズを相手にしたことで、ネズとは逆の方向から接近するレンガに背中を向けることになったジンライ。
背後で真上へと大きく曲刀を振り上げたレンガの構えは、先程のネズと同じく。一切の防御を捨てた構えだった。
「頼んだ、ぞ……レンガ」
背後にいる事を悟られまいと、本当に力無く、小声を漏らしたネズ。
二人の構えが酷似している理由。
そしてもう一つ、大義とは別に。ネズが自分の生命を顧みずに、レンガとの挟撃を成功させようとしていた理由──それは。
レンガの剣の師匠こそ、ネズだったからだ。
自分が剣を教えた情。それが同じ剣の構えをし、レンガの一撃に勝利を委ねた理由だった。
後はレンガの振るった剣でジンライを討ち取る、その瞬間を見届ける算段であった。
だが、様子がおかしい。
既にレンガはジンライを攻撃の間合いに十分に捉えている。それなのに、頭上高く振り上げた曲刀が一向に振り下ろされる気配がないのだ。
慎重に慎重を重ねているのか。
もたもたしていては、ジンライに気配を勘付かれて反撃を受けてしまうかもしれないのに。
「両手で俺の槍を掴んだのはそういう理由だったとは、な。随分とつまらない手を使う──だが」
「──が、はっっっ‼︎」
レンガは曲刀を構えたまま、大きく目を見開き、口から突然真っ赤な血を吐き出したのだ。
直後、レンガが騎乗していた馬の太い首に赤い線が真横に走り、線に沿ってズルズルと首と胴が両断されていき。
地面に着いていた四本の脚が力を失い、崩れ落ちるのに背中に跨がっていたレンガも巻き込まれ、地面に落下していく。
「れ、レンガあああああああ⁉︎」
見れば、ネズの腹を鎧ごと斬り裂いたのとは別の腕が。背中側に人間には決して出来ない曲がり方をしながら、刃に付着した馬の血を払っていた。
確かに、ネズが押さえていたのは長槍だけで。他の二本の腕は自由に動くまでは理解している。
ジンライが、もしくは背後から迫るレンガの気配を察知出来ていたかもしれない……そこまではネズも想像出来た。
だが、ジンライの視線はずっとネズを凝視し、背中を向けていた。レンガの気配を察したところで攻撃を放てる姿勢ではなかった筈だ。
「忘れてないか? 俺は『四人まとめて相手にする』と言ったのを、な」
ジンライの言葉を聞いたネズの全身から、完全に力が抜ける。
いよいよ腹を裂かれ、血が流れ過ぎたのもあったが。生命を捨ててまでレンガに託した想いが、完全に無駄に終わったばかりか。想いを託した相手が先に倒れてしまった結果に心が折れ。
「む……無駄死に、だった、と、いう、わけ……か……」
ネズの身体もまた、騎乗していた馬から滑り落ちていった。




