13話 アズリア、ロシェットの危機に
「──ズリア!……大丈夫かっ、アズリア?」
光に飲まれ再び目を開けると、目の前には心配そうな表情でアタシの名前を呼んでるリュゼの顔が間近にあった。
ふと、周囲を見渡すとアイビー、サイラスにルーナが皆、倒れているアタシを心配げな表情で見ていた。
「……ああ、無事に人間の世界に戻って来れたんだね、アタシ」
「……な、何を言ってるんだアズリア? お前が壁に彫られた文字を模写した後、氷の壁が突如消えた──と思ったら、アズリアがそこに倒れてたんだぞ」
ただ二つ違う点が、洞窟奥の開けた場所にそびえ立っていた氷の壁が消えていたということと。
アイビーが大事そうに毛布に包まった氷漬けになっていた筈の王子を抱えていた、という点だ。
「……そ、そういやッ!」
だが、有翼族の王子の他にもう一人、氷壁の中に閉じ込められていた子供がいた筈だ。
リュゼらが探索していたロシェットという貴族の子息だが。
アタシは身体を起こし、辺りを見渡すと。
「いたッ!」
洞窟全体を覆っていた氷壁が消え去った地面に倒れた金髪の少年を、すぐに発見する事が出来た。
アイビーが王子に駆け寄ったように、アタシもロシェットを起こそうと試みる。
しかし。
「う、うお⁉︎ は、肌、冷たッ……」
触れた途端、指先が感じたあまりの冷たさにアタシは驚き、思わず手を引っ込めてしまう。
一体どれだけの時間、氷の精霊の魔力の暴走により発生した厚い氷壁に閉じ込められていたかはもう知る由もないが。
ロシェットの身体は完全に冷え切ってしまっており。当然ながら、アタシが肌に触れても一切の反応を返す事はなかった。
アタシは冷静に、ロシェットの口や鼻の前に一度舐めて唾で濡らした手の甲を当て。息をしているかどうかを確認する。
まだ息をしていれば、口や鼻から漏れた息が手の甲に当たり何かしらの感触を残す筈だが。残念ながら、アタシの手の甲には何の感触もない。
救出前、アイビーは確かに「まだ生きている」と言ってはいたが。冷えた身体に触れたアタシは、その言葉が嘘にしか思えなかった。
アタシも驚いたが、それ以上にロシェットの今の状態に衝撃を受けていたのは。
「な、何で……どうしてロシェット様だけがっ……」
そう力無く呟いて、アタシとロシェットの前で両膝から崩れ落ちたのはリュゼだ。
無理もない。
険しい山の頂までロシェット捜索に訪れ、ようやく発見したら厚い氷壁の中で寒さで死にかけていたのだから。
見れば、アイビーが助け起こした有翼族の王子とやらも、まだ目覚める気配こそないが。呻き声を漏らしている時点で、まだ確実に生きてはおり。
ロシェットほど深刻な状態ではないのが分かる。
先程のリュゼの言葉は、有翼族の王子とロシェット──同じく氷壁に閉じ込められていた二人の運命が。
生と死という明確な結果に分かれてしまったのか、という悔しさの感情でもあったのだろう。
「うっ……ぅぅぅ……」
発見が遅れたばかりに最悪の結果を招いてしまった事を悔いているのか。声を殺しながら泣き崩れるリュゼだったが。
諦めの悪いアタシは、突然ロシェットが着ていた衣服を捲り、冷え切った胸板を露出させる。
息をしてないのは分かったが、心の臓が止まったかを確認するまで完全に「死んだ」とは判断が出来ない。
「な……ろ、ロシェット様に、何をして──うぷっ⁉︎」
「しッ!」
アタシは騒ぐリュゼへ手を伸ばし、直接口を塞いで静かにさせたと同時に。露出させたロシェットの胸に耳と頬を当てる。
心の臓がまだ動いているかを確認するためだ。
すると。
「いや……リュゼ。まだ、かろうじて生きてる」
弱々しくはあるが、微かにロシェットの心の臓は動いていた。
それは、ロシェットがまだ生きている確かな証。
「ほ、本当かっ……アズリア?」
「ああ」
心の臓の鼓動を確認したアタシの言葉を聞いて、激しく落胆していたリュゼの顔と眼に、希望が灯るのが一目で分かる。
何しろ一度は「死んだ」と思い込んだロシェットが、実は生きていたのだから。
しかし、ロシェットが危機的状態にある事実はまだ変わらない。
「だけど、このままじゃホントに死んじまう。早く身体を暖めないとッ」
早急に暖を取り、冷え切ったロシェットの身体を暖めなければ今度こそ本当に心の臓まで止まってしまう。
アタシらが今いる洞窟の中は、今でこそ洞窟内部を覆っていた氷壁は完全に消えていたものの。内部に籠っていた冷気までが消え去ったわけではない。
有翼族の集落に移動し、雨風を凌げる場所で火を起こし、身体を暖めるのが最良の方法なのだが。
今のアタシらには、移動をする余裕がなかった。
第一に、山頂に到達し集落ではなく、この洞窟へと案内された時点で。アタシらは有翼族の集落への行き方を知らない。
集落に向かうには、アイビーの案内が必要不可欠なのだが。
そのアイビーが何故か洞窟の入り口で、有翼族の王子を抱えたまま、茫然と立ち尽くしていたのだ。
「この悪天候では……飛んで移動が出来ないではないか」
そう。
アイビーの案内で、スカイアの山頂に到着した際には穏やかだった雨風が。アタシらが洞窟にいた間に強くなっていたのだ。
この地域一帯を棲み処とする有翼族が、空を飛ぶのを躊躇う程に。
これではアタシらだけロシェットを連れ、移動する事も出来ない。
第二に、リュゼやサイラス、ルーナの体力の不安だ。
ロシェットを発見した騒ぎで、本人らもすっかり忘れてしまっているようだが。険しい山道を歩き続けた事に加え、途中の悪天候。さらには飛竜との戦闘まで経験したのだ。
山頂に到着した際、三人の体力の消耗は限界に達し、その場から動けない程だったのは記憶にまだ新しい。
とてもではないが、有翼族であるアイビーが移動を躊躇する悪天候で。
三人を連れ、何処か分からぬ有翼族の集落を探すのはさすがに無理がある。
第三……というより、これが一番重要な理由なのだが。
心の臓こそ動いてはいたが、息が止まっているロシェットを下手にこの場から動かすのは、体力以上に生命を失う危険がある。
ふとアタシの頭に、嫌な女の顔が浮かぶ。
「……そういや、お嬢も神聖魔法を使えたッけ」
この場に治癒術師、あるいは神聖魔法の扱える神職者のどちらかがいれば。ロシェットの生命を繋ぎ止める治癒魔法を使って貰えたのだが。
残念ながらこの場には、そのどちらも存在しない。まあ、アタシが頭に浮かべた人物がこの場に居合わせたら、ロシェットの治療どころの話ではなくなるのだが。
「なら、ここで二人を暖めるしかないねぇ──けど」
ならば方法は一つ。洞窟の中で火を焚き、暖を取る以外にないのだが。
即座に実行出来ない理由が存在したのだ。




