130話 ナルザネ、二対一に持ち込むも
だが、それよりも。
手首を掴まれたジャオロンの脚が地面から浮き上がり、身体が空中へと舞うのが先だった。
「──な」
ジャオロンの視界が突然、空と地面が逆さになり混乱した状態で。不意に背中に走る、強い衝撃。
「が……はあ、っ⁉︎」
それが、老武侠が仕掛けた「組み手」と呼ばれる素手格闘の戦技だと気付いた時には。
逃げ場を失っていたジャオロンは、見事なまでに老武侠に投げられ、地面へと叩き付けられていたのだから。
「素手格闘が、羅王だけが得意とすると勘違いするな」
思わぬ加勢で有利に戦闘を進める筈が、一転。老武侠の仕掛けた投げ技で、地面に倒されてしまったジャオロンに。
老武侠の白槍が振り下ろされようとしていた。
「二人を相手にするのは、ちと骨が折れるのでな。まずは……一人」
だが、ジャオロンへの追撃をみすみす許すナルザネではない。
警告が間に合わなかった時から、既に救援に飛び込む準備をしていたナルザネは。白槍が地面に倒れたジャオロンの身体に届くより早く、老武侠へと突撃していた。
「させるかああっ!」
「やはり……来るかっ」
どうやら老武侠は、ジャオロンを倒してから警戒の対象を本来の対戦相手へと移し。ナルザネがどう動くのかを注意深く観察していたようで。
即座に白槍を構え直し、向かってくる黒槍を迎撃する。
「ジャオロンから離れろっ……白槍の!」
「おお、貴様に言われなくても離れてやるわっ」
再び、白槍と黒槍が空中で交差、衝突し。
剣を衝突させた時の甲高い金属音に混じり、重い鈍器同士を打ち合わせた時に鳴り響く打撃音が数度、生まれる。
ナルザネはあくまでジャオロンへの関心を逸らすのが目的だったため。
一方でブライもまた、いつ起き上がるか分からない敵が足元にいる場所に長居をする気はないようで。
「ふぅ……っ」
堪らず、とばかりに溜め息を一つ吐くと。老武侠が背後に大きく跳び、ジャオロンに止めを刺すのを諦める。
ようやく身体が動くようになったジャオロンは、身体を横にしたまま転がり。ナルザネのさらに後方へと転倒したまま移動すると。
ナルザネもまた、仕切り直すためにブライと同じく後方へと飛び退いてみせ。手にした黒槍を構え直すと。
「大丈夫か、ジャオロンよ」
「は、はい……何とか、っ」
少しだけ目線を目の前の老武侠から切り、地面に倒れたまま転がって移動したジャオロンの状態を確認する。
ようやく、片膝立ちで起き上がろうとしていたジャオロンだが。地面に叩き付けられた際に、背中やその他の部位を酷く痛めた様子は幸運にも見られなかった。
「ふぅ、参った……のう」
かたや、距離を空けた老武侠といえば、ナルザネが目線を切って隙を作ったのに気付いてはいたものの。
ジャオロンの拳が直撃した背中は、今になって激しく痛みを発するようになり。負傷を悟られまいと、息を荒らげないよう整えるのに精一杯だったため。
追撃を行う余裕は今の老武侠にはなかった。
「裏切り者とはいえ四本槍に、羅王の名を冠した者を二人……か。このままでは、分が悪い、か」
そう呟いた老武侠は、もう一度溜め息を吐くと。
二対一という不利な状況を打破するための手段を求めて──懐へと手を伸ばす。
「──ならば」
◇
同じく、二の門の前では。
アズリアと交戦し、落馬されられた隻眼の武侠は。ようやく立ち上がるまで体勢を整えることは出来たが。
乗っていた馬に跨がるよりも先に、足止めしようとする騎馬隊が数騎迫っていた。
「先程は不覚を取ったが! 次はそう上手くはいかぬぞっ!」
そう高らかに口上を発したのは、アカメの街の領主であるレンガ。
魚を模倣した装飾を兜を被り、イズミとともに打倒ジャトラを目的に駆け付けた彼は。手にしたこの国製の曲刀を頭上に掲げ。
駆け抜けざまに、一度は敗れた隻眼の武侠へと、馬上からの渾身の一撃を振り下ろす。
「はっ! こちらが馬に乗っていなければ、勝てるとでも勘違いしたか?」
が。馬の突進力だけでなく、先程競り負けた感情の込もった重い剣撃を。
レンガの言葉を聞いて鼻で笑った隻眼の武侠は、両手で巧みに槍を扱い。表情一つも変えることなく軽々と捌いてしまう。
「く、っ!……やはり、今の俺では届かぬかっ……」
自身が放った渾身の一撃を余裕の態度で防御されたことに、不快感を顕わにするアカメ領主レンガ。
胸中に生まれた不快感の正体。それは──嫉妬だ。
レンガもまた、戦場での武勇が認められた事でアカメという一つの都市を統治する役割を与えられた武侠だけに。二度ほど武器を交わし、自分と隻眼の武侠との実力差を痛い程に理解してしまった事に。
そして、自分が敵わないと認めてしまった隻眼の武侠をさも簡単に落馬させ。同じく四本槍のナルザネに一目置かれていた様子の、余所者の赤髪の女戦士に……だった。
「だ、だが!……これで終わりと思うなっ!」
攻撃を弾かれたレンガは、走り抜けながらそう口にする。最初、その言葉を耳にした隻眼の武侠は「負け惜しみ」と思ったが。
次の瞬間、レンガの言葉がただの負け惜しみでないと気付く。
「そうだ、ジンライ!……最早、この戦いは一騎討ちではないのだぞっ!」
攻撃を仕掛けたレンガが馬で通り過ぎた直後、背後から再び騎馬兵が迫っていたからだ。
馬上の武侠の兜には、この国での「龍」を表す文字を模倣した金属装飾が施されていたのを見て。
名乗りを聞かずとも。迫る騎馬兵の正体が、リュウアン領主のネズだと知り。
「その装飾……見ればアカメだけでなく、リュウアンや他の領主までもがナルザネの甘言に乗せられた……という事か」
さらにリュウアン領主ネズの背後には、コウガシャ領主ミナカタも。テンジンの領主ヒノエまで揃っているのを視認し。
隻眼の武侠は、本拠地を取り囲む大きな都市の領主がこぞって離反したという状況を、ようやく理解した。
「──面白れえ」
一対四、という。老武侠を上回る数的不利な状況となった隻眼の武侠だが。目の傷痕以外にも無数の傷が刻まれた、歴戦の貫禄を秘めた壮年の顔には。
ニヤリ……と不敵な笑みが浮かんでいた。
「はっ、四人もいれば。この俺に勝てる……そう思ったわけか、面白れえ、面白れえぞお前らああっっ!」
まるで獣が如き咆哮を発した隻眼の武侠は。徒歩のままで前方へと跳躍し、接近していたリュウアン領主ネズの横をすり抜けると。
その後方で攻撃の順番を待つため控えていた、残り二騎へと突進していく。
「「な、っ……何だとおおっ?」」
驚いた顔を見せたのは、攻撃を躱されたリュウアン領主ネズも、だったが。より驚愕したのは、攻撃の対象となったコウガシャ領主ミナカタとテンジン領主ヒノエの二人だろう。
まさか馬に跨がらずに、騎兵に正面から挑んでくるなど、正気の沙汰ではないからだ。
「はっははは! 楽しませてくれよおぉっ!」
だが、長槍を構えて。稲妻のような速度で突撃してくる隻眼の武侠の顔には、不敵な笑みが浮かべたままで。
まるで、歩兵と騎兵の戦力差など気にもしていない戦闘狂なのか。それとも、自分の勝利に絶対の自信があるからなのか。




