129話 ナルザネ、黒槍と白槍の激突
そして再び、黒槍と白槍が空中で激突した。
一度、白槍を弾いた勢いのままに。地面を踏み抜く勢いで前に出たナルザネの黒槍が気合では勝っていたのか。
堪らぬ、とばかりに後ろに飛ばされてしまうが。ナルザネより経験を積んだ老武侠は、表情一つ変えずに身体の軸をズラし、攻撃の威力を横へと逸らしていく。
好機、とばかりにナルザネの黒槍がさらに体勢を崩した老武侠を追い込もうとするが。
ナルザネの予想とは違い、瞬時に体勢を整えた老武侠の白槍が。追い詰められての死んだ勢いではなく、威力が乗った槍閃が迫っていた。
「く……っ!」
このまま黒槍を放てば、或いは老武侠に傷を負わせることは出来るが。迫る白槍の刃はまず間違いなく、こちらの胸を深々と貫くだろう。
相討ちを嫌ったナルザネは、槍の軌道を少し下げ攻撃を諦め。迫る白槍の先端を打ち合わせることで、思わぬ老武侠の反撃を防御する。
四度、五度……と。白槍と黒槍が幾度となく激突する度、ナルザネもブライも姿勢が崩れたり、威力負けし身体を押されたりする事もあったが。
二人の対決はほぼ互角のまま。
激突の回数は、ついに十五に達したその時。
「はぁ、はぁ……っ」
「ど、どうした……っ、息が上がってるでは、ないか、っ」
ついに二人は槍を振るう腕が止まり、同時に距離を空けると。
互いを睨みながらも、肩を上下に揺らしながら息を整えてみせた。
十五、という回数も激しく打ち合わせたというのに。互いの白槍と黒槍は刃毀れも、柄が軋み破損した様子もない。
だが、ナルザネも、老武侠も。持ち主である人間は息をしなければ生きることが出来ない。
攻撃の最中も二人は別段、息を止めていたわけではないが。攻勢に出ている時はどうしても吸う息よりも、吐く息の量が多くなり。結果として息切れを起こす……丁度、今のように。
同じ程度の息切れならば。回復は老齢のブライよりもまだ年齢が若いナルザネに分がある、と思われたが。
「は……ははっ、これしきの攻撃でっ、裏切り者に遅れを取るわけには、いかぬ──っ!」
予想に反し。先に息を整え、槍を構え直したのは老武侠だった。
まだ肩を上下させ、息を整えるのが終わらず焦るナルザネに向けて。白槍の先端を真っ直ぐに突き付けていき。
「そもそも、政事を含めればともかく。ただ純粋な武勇で、この白槍がブライにナルザネ……主が勝てると思っているのかっ!」
「はぁ……っ、た、確かに。同じ四本槍ではあるが、ブライ殿の武勇と肩を並べたなどと思った事は……ただの一度もないわ、っ」
目を伏せ、首を左右に振るナルザネを見て。満足そうにニヤリと口角を釣り上げ、歯を見せる笑みを浮かべる老武侠は。
「カガリ家が守護神、迦楼羅よ。我に、敵を打ち砕く力を──」
そう小声で唱えた老武侠の身体が、淡い光で包まれた、次の瞬間。
白槍を構えたまま、先程までの踏み込みがまるで手を抜いていたかのような凄まじい速度で。一度距離を空けたナルザネとの間合いを一気に詰める。
それは、互いに必殺の一撃を放てる距離。
「ぐ……く、くそっ⁉︎」
まだ腕が少し重く、息が回復していないことに悪態を吐きながらも、自分の身を守るため仕方なく。息を整える動作を中断し、迎撃にと咄嗟に黒槍を構えたナルザネは。
脇腹を狙った鋭い槍先を、何とか柄の部分で外側へと逸らすのに成功するものの。
先程までの十五度とは、槍に乗った威力が段違いに強かったためか。槍刃こそ逸らせたものの、突きの威力を完全に殺すことが出来ず。
「──う、うおおおっっ?」
ナルザネの身体は後方へと大きく吹き飛ぶ。
勢いに逆らわずに後ろに跳躍する機転を利かせたことで、何とか無様に地面に転倒するのは避けたものの。
転倒しないよう、身体の均衡を保つのに精一杯で。老武侠の続く二撃目に備えるのを完全に念頭から外れていた。
「……失望したぞ、ナルザネ。これが、我が白槍と対になる黒槍を授かった者の全力とはな」
当然、こんな隙を見逃がしてくれる程、四本槍が一人「白槍の」ブライは甘い相手ではない。
ナルザネが焦点を身体の均衡から、敵である老武侠へと戻した時には。既に老武侠の得物である白槍は、力を溜める予備動作から解き放たれ。
「もっとも……裏切り者ならば当然の結果だが、な」
嘲笑するかのような言葉を吐き捨てながら、放った鋭い槍先がナルザネの無防備な身体を貫こうとしていた。
槍先と身体との位置は最早、防御も回避も不可能なまでの距離に縮まっており。
槍がナルザネの身体に到達するまでの間、為す術は何も残されてはいなかった。
「無念……フブキ、様っ」
死、を覚悟したナルザネは、かつての仲間が手にする白槍に急所を貫かれる瞬間。
両眼を閉じ、かつてフブキに刃を向けてしまった事への悔悟の念を小声で口にした。
だが。
『北天黒蛇拳──奥義・亀甲羅割り!』
「があっっ⁉︎」
目を閉じていたナルザネの耳に入ってきたのは、聞き覚えのある戦技の名乗りと。老武侠と思える人物の痛みで呻く絶叫だった。
一度は死を覚悟はしたが、耳から得た外部の情報があまりに気になり、再び目を開けたナルザネの視界には。
アズリアらとの戦闘で負傷し、今回連れて来なかった配下のジャオロンが。老武侠の背後に現れ、拳を直撃させていた光景が飛び込んでくる。
「危ないところ、でしたな。ナルザネ様っ!」
「じゃ、ジャオロン? 何故お前がここへっ?」
ジャオロンは「羅王」と呼ばれる、この国で広く伝承されている素手格闘術の一つ・北天黒蛇拳の使い手だ。
ナルザネはてっきり、息子のイズミと行動を共にしているとばかり思っていたのだったが……
それでも、自分の絶対絶命の不利な状況を救ってくれた部下に。ナルザネが労いの言葉を掛けようとした、その時だった。
「──なっ?」
「ぐ……き、効いたぞ……そうか、貴様、ナルザネの手の者か──」
老武侠の背中に拳を直撃させたジャオロンの顔に驚愕の色が浮かぶ。
何故なら、ジャオロンの戦技を受けた筈の老武侠が。拳を放った彼の手首を掴んでみせたからだ。
ジャオロンの使う北天黒蛇拳とは。
衝撃を伝える術に長けており、使い手は鎧に身を固めた相手の肉体へ、装甲の厚さなどなかったかのように打撃を与えることが可能だ、と聞く。
そんな打撃がまともに背中に直撃したのだ。倒せずとも、ジャオロンの加勢に感謝する程度の時間くらいは作れた……と。
ナルザネも当人すら思っていただけに。
「ぐ、っ……は、放せ……っ!」
「逃が、さん、ぞっっ‼︎」
焦ったジャオロンは、掴まれた手首を解いて一旦距離を取ろうとするが。
いくら力を込め、手首を前後左右へと振っても、老武侠の指が離れはしなかった。
身体が密着する程の間合いであれば、老武侠の得意武器である白槍による攻撃はない。
だが、老武侠の眼に込められた戦意の炎に気付いたナルザネは。
不意に背中がぞわっと冷たくなる感覚に襲われた。
「は、離れよっジャオロン、今すぐにだっっ!」
一瞬、肌に走った悪寒、自身の直感を信じて。
ジャオロンに向かって警告を発する。




