116話 アズリア、閉ざされた門の前に立つ
「──だけど、さ」
アタシは一度、言葉を止めてフブキを見る。
「突然、村に現れた武侠が言ったんだよ。チドリを生贄に差し出せ、ッて……ねぇ」
「そ、それって!……もしかして。魔竜への捧げ物に、ってこと?」
「……ああ、その通りさ」
生贄、と聞いて。ハッ、と何かに気付いたように目を見開いたフブキは。
この国で恐怖を撒き散らす存在・八頭魔竜の名前を口に出す。
遥か昔、この国の勇気ある者らによって地下深くに埋められ、封印されていたとされる八つの蛇の首を持つ魔獣だったが。
エイプル、という大陸の人間の手によって封印を解く手段を得たこの国の連中は。魔竜復活と制御のため、海魔族が棲み処とする海底都市に。イズナとナズナ、二人の「影」と呼ばれる斥候を送り込み。海魔族の三種の至宝の一つ、王女エルナーシャの首飾りを強奪していったのだ。
アタシがこの国にやってきたのも、奪われた至宝の首飾りを取り返すのが目的だった……のだが。
「いくら、目的とは違うからッて。アタシは目の前で子供が犠牲になるのを放っておける性分じゃないみたいだったんでねぇ」
「そっか、それで……あんな童を連れてたってわけね」
チドリを助けるため、アタシは村に派遣された武侠を。
そして、生贄を喰らうために村に出現した魔竜の首を。アタシは撃退したのだったが。
ハクタク村の一件だけが、アタシを動かした理由ではない。
「それに、当主がマツリだった頃より住人の生活が窮屈になるのは、フルベの街の孤児らから聞いたよ」
以前のフルベ領主は、ジャトラへの献金を用意するために住人へ重い税を掛けていたらしいし。身寄りのない孤児が子供だけで生活出来るための制度まで、領主の権限で廃止した。
もし、領主の交代があと少し遅れていたら、生活する手段を失くした孤児らは路頭に迷い。武器を持つ事も許されないこの国では、盗賊に身を落とすことも出来ず。
最悪、ほとんどの孤児が飢えで野垂れ死にしただろう。
「時々、アズリアが療養所から抜け出してたのは。ただ買い食いしてただけじゃなかったのね」
「そ、そりゃ……まあ、そうだッての」
……まあ、話を聞けたのは偶然の産物であって。
フブキの指摘の通り、療養所で出される食事だけでは腹が満たされず。この国の食事情を知りたいがために、屋台を回っていたのは紛れもなく事実なのだが。
「……ホントに?」
「も、もうイイだろッての、この話はさッ」
目を細め、こちらに疑いの視線を向けてくるフブキに事実を悟られまいと。何とか平静を装おうとするアタシだったが。
分が悪くなりそうだったので無理やりに話題を変えることにする。
「最後に、コイツさ」
話の途中でアタシが、腰にぶら下げていた小物を入れるための小さな革袋から取り出したのは。
真っ黒な、一枚の鱗だった。
「そ、それって?」
「ああ。ここに来る途中で襲ってきた、あの蛇人間の身体からちょいと、ねぇ」
シラヌヒまでを、フブキが知っていた秘密の山道を馬で駆けてきたことで。本来の道ならば十日ほど必要とする日程を、たったの四日に短縮することが出来たアタシらだが。
山道に待ち伏せし、アタシらに奇襲を仕掛けてきたのは四体の、蛇の頭をし全身を黒い鱗で覆った蛇人間──魔竜の眷属だった。
しかも、眷属の正体というのが。
「蛇人間って……ジャトラの妻方と、息子が変えられてたっていう、あの?」
蛇人間が死ぬ間際、人間の姿に戻ったのだが。
フブキが言うには、四体のうち二体が戻った人間の正体というのが。何故か、黒幕であるジャトラの妻サラサと子供のタツトラだというのだ。
今まさにカガリ家当主という最高権力者の座に就いている筈の人物、その家族が魔竜によって魔物に変貌していたのか。アタシは詳細な事情を窺い知ることは出来ないが。
「ああ、アレを見て。アタシゃあらためて思ったのさ。コイツにだけは当主の立場を渡しちゃいけないんだって、ね」
そう口にするアタシの語気には、徐々に怒気が込もっていく。
もし妻と子供が望んで魔物に変貌を望んだ、としてもだ。父親ならば何としてでも阻止するべきだったろう。
ジャトラが地位を手放すまい、と手駒欲しさに妻と子を無理やり魔物に変えたのなら、まさに論外。
そのような冷酷無比な手段に出る男など、生きている価値も資格もないと思っていたからだ。
「……家族を生贄に差し出してまで魔物の力を借りる側が正しい、なんて。アタシは死んでも思いたくなかったんでねぇ」
「アズリア……」
「こんな理由だけど、納得してくれたかい?」
こうしてアタシは、フブキの質問に何一つ隠す事なく洗いざらい吐き出していったのだが。
「……ッて、はは。アンタの顔を見りゃ丸分かりか」
「え? そ、そう?」
十日程もずっと抱えていた疑問の答えを聞いたフブキの表情を見ると、既に口元には笑みが浮かんでいたからだ。
彼女の顔を見れば、アタシの答えに満足してくれたのは一目瞭然だった。
「うん……まあ、そうね。アズリアに頼んた私の目に間違いはなかったって、思えたから……かなっ」
何度か表情を取り繕うとするが、口元がニヤけるのを隠し切れないフブキは。
一度、咳払いをしてから何かを話そうとする。
「ねえ……ア──」
だが、フブキの続けての言葉はアタシの耳に入ることはなかった……何故なら。
「お姉ちゃあああああああん! こっちこっちいいいい!」
門の側にいたユーノが、周囲一帯に響き渡るほどの大声でアタシを呼んだからだ。
大声によってフブキの言葉は掻き消され、アタシの耳には届かなかったというわけだ。
思えば、今回はユーノの援護には一切回らず。弓兵隊を殲滅させたり、途中から門の警護隊を一人で任せてしまったり、と。ユーノに色々と任せ過ぎてしまった、という気持ちもあり。
アタシはフブキとの会話を終わらせ、何事かとユーノへと振り向き。
「ああ、待ってなユーノッ! 今すぐ行くッッ!」
「ちょ、ま、まだ話は終わ──」
フブキがまだ何かを言っていたが、先程アタシは「答えるのは一つだけ」と彼女に話しておいた。
「悪い、フブキ。門を突破してから聞くからッ」
なので今、優先すべきはユーノだと判断して。アタシはフブキを置いて、ユーノが待つ門へと駆け出していった。
「あっ、お姉ちゃんっ!」
「どうだい、門は開きそうかいッ?」
見れば、ユーノは馬を降りた他の武侠ら十数名と一緒に、一の門をこちら側から押し開けようとしていたようだ。
十数人の武侠が掛け声を揃え、両腕に力を込めて巨大な木製の門を押していく。
「「──うおおおぉぉぉぉっっ‼︎」
ユーノもまた、アタシに返答しながら大の男らに混じり。門を押すのに加わっていた。
「う、ううんっ……さっきからおもいっきりためしてるんだけどお……っ!」」
武侠らはともかく。鉄拳戦態を発動しているユーノの両腕の力は、魔術文字を使ったアタシと同等の膂力を有していた。
……だが。木製の門は大きく軋む音を立てはするものの、一の門は微動だにしていなかったからだ。




