10話 アズリア、新たなルーンを使う……そして
「ロ……ロシェット様っ!」
すると背後から複数の足音、しかも気配を隠す様子もない慌ただしい足音が洞窟に響き渡る。
そして聞き覚えのない名前を呼んだのは、聞き覚えのある声だった。
アタシの想像通り、氷穴の中に入ってきたのはリュゼ、その背後にはサイラスやルーナも一緒であった。
「リュゼ? それに、サイラスにルーナまで?」
三人は、山頂に位置する有翼族の集落までの道があまりに険しかったからか。リュゼなどはアタシが背負い、山頂を登り切り。
到着した途端に疲労で足から崩れ落ち、休養を取っていたと思っていたが。
まだ動ける余力が残っていたのか、とある意味では感心していたが。今のアタシの関心はそちらではない。
「それに、ロシェットって何だよ?」
初めて聞く単語に、疑問が尽きないアタシは。背後から現れたリュゼらに早速その言葉の正体を訊ねると。
リュゼは声を震わせながらも、アタシの質問に答えてくれる。
「それは、アズリア……お前の目の前で、氷の中にいるお方の名前だ」
そう言えばアタシは確か、リュゼと「ロシェットの素性を詮索しない」と約束をした。
とはいえ。子供ながらにリュゼや他の二人が捜索に来る程の立場となれば。相当な身分の人間である事は想像に難くない。
「ああぁぁ……も、申し訳ありませんロシェット様……私が、もう少し早く見つけていればっ……ううう……」
氷壁の中にいるロシェットの前で、膝を折りながら何度も頭を下げていたリュゼの肩に手を置くと。
「嘆くにゃ早いッての、リュゼ。氷の中の二人はまだ生きてるッてよ、まだね」
「ほ、本当か! 本当にまだロシェット様は生きてるんだなっ!」
「あ、ああ、まだ助けられるさ。それよりも──」
アイビーから先程聞かされた、二人はまだ存命だという話をリュゼにも話すと。
リュゼの態度が一転、興奮した様子でアタシにしがみついて何度も確認を求めてくる。
「なぁ、リュゼ? そろそろアタシにも色々と今の事情が理解出来るよう、一度ここにいる全員の話を整理したいんだけど……いいかねぇ?」
これ以上、事情を説明されないままではどうにもアタシは納得がいかない。
さすがにアイビーとリュゼの間には合意の上なのか強引に拐ったのかという誤解もあるわけだし。
ちょうどこの場所には、氷漬けとなった有翼族の王子を含めて、今回の一件の当事者全てが揃っている。
これ以上相応しい場所はないだろうと思ったのだ。
「わ、わかった……だが、全部は話せない。それでもいいなら」
「ああ、それでも。何も聞かされないよりは少しは気が晴れるって話さ。聞かせておくれよ、リュゼ」
こうしてアタシは、リュゼの口からロシェットなる少年が何者なのかを聞かされる。
どうやらロシェットは、次にアタシが目的地としていた黄金の国の貴族子息であり。
魔術師程ではないが、魔法の知識に詳しいという事で。有翼族らとも交友関係があったのだという。
有翼族の部族の中で稀有な雄種が、この洞窟に仕掛けられた謎の魔法術式によって目の前にある氷の壁の中に氷漬けとなって封じ込められてしまい。
そこで、解除方法を求めてロシェットの元へ訪れた──というのだ。
「ロシェット様はまだ、一〇歳という年齢ではありますが。魔法の研究に関しては大人も顔負けの知識を持ち合わせています」
「だからこそ、自分でどうにかしたいと先走ってしまい。誰にも知らせる事なく、一人で有翼族の危機に挑んだのでしょう……」
サイラスやルーナもまた、リュゼの説明を横から補足するように、それぞれがロシェットの事を語り始める。
ロシェットの事を話す三人の態度を見ていると。貴族子息とその配下という身分の違いは見えず、寧ろ家族に近い雰囲気を感じていたが。
「……はぁ」
だからこそアタシは、ロシェットの無謀としか言えない行動に思わず溜め息が漏れる。
友好関係のあった有翼族の危機を聞いて、どうにか力になりたいというロシェットの気持ちは理解出来なくもないが。
もし、山中で偶然にアタシとリュゼら三人と遭遇をせず。今この場でリュゼやサイラスらの、有翼族に対する誤解が解けなければ。下手をすれば事情を知る前に、三人と有翼族が不幸な衝突をしていたかもしれなかった。
一〇歳の貴族子息が、誰にも事情を告げずに外に出ればどれほどの騒動となるか。聡明な頭を持つというのなら、リュゼらの懸念も考えて欲しかったという率直な気持ちが。
溜め息となって口から漏れ出てしまったのだ。
「さて……事情は飲み込めたところで、問題は有翼族の王子とロシェット、二人をどうやって氷の壁から救い出すか、だけど」
「しかし……冷えるな、この洞窟の中は」
「ああ、下手すりゃ外より遥かに寒いんじゃないかねぇ……」
二人が閉じ込められている洞窟の内部は、周囲を覆う氷壁からの冷気によって外よりも格段に肌寒いためか。
雨の中、山道を登り。肌や衣服を濡らしていた今のアタシらが長く留まるには不向きな場所であった。
「……こりゃ、長居は難しいかもしれないね」
だが、力任せな救出方法は、まだ僅かに生命を繋ぐ二人の命脈を絶ってしまう危険がある。
あくまで力技は最後の手段だ。
アタシはまず、氷壁のある洞窟に何かしらの魔術の痕跡が残ってないかを調べることにした。勿論一人で、ではなく。
「リュゼ、それにサイラスにルーナ。何か変わった物があったら、アタシに教えてくれないか?」
「「ああ」」
こうしてアタシら四人は、氷壁に覆われた洞窟の内部の探索を始めたが。
驚くほど早く、探索の成果は現れたのだ。
「お、おい? ここ、この壁に彫られた文字、これって……人間が使う字じゃないよな。じゃあ、妖精族の?」
「い、いえ、これは……妖精族の文字でもない」
異常を発見したのは、護衛の騎士であったサイラス。
氷に覆われていなかった剥き出しの岩壁に彫られた謎の文字を、サイラスに呼ばれた妖精族のリュゼと二人で凝視していたが。
「……ん? もしかしてこの文字って」
もしかしなくても、これは魔術文字だ。
教えてくれたその岩壁に描かれていた文字とは、アタシが探し求めていた魔術文字。
「なあ、アイビー。この氷の壁……もしかしたらアタシが何とか出来るかもしれないよ」
「ほ、本当かニンゲン?」
「ああ、だから頼みがある。アタシにこの魔術文字を──くれないか?」
あらためて確認するまでもなく、氷壁の洞窟はアイビーら有翼族の領域だ。つまり、彫られた魔術文字は有翼族に重要な役割を持つ可能性だってある。
だから、他人の所持物に無断で手を出す事を良しとしなかったアタシは。この場で唯一、魔術文字を譲渡出来る権限を持つアイビーに許可を求めた。
「構わない」
アイビーが首を縦に振ったと同時に、アタシはその魔術文字と新しく契約するために指に切り傷を作り。
その傷から流れる血で新しく「is」の文字をまず自身の右手の甲に描いていった。
「is」。
──停滞と氷を意味する魔術文字。
新しく魔術文字を得たアタシは。
その効果を発揮するために、頭に浮かび上がる力ある言葉を一語一句間違えることなく口にし。得たばかりの「is」の血文字を、目の前の氷壁に描いていく。
「我、堰き止め凍りついた刻の針を戻せ──is」
アタシが描いた血文字に魔力を流した、その瞬間。
氷の壁が、いや……この場にいたアイビーやリュゼ達を含んだアタシら五人は。突然の光の奔流に包まれ、何も出来ずに飲み込まれてしまった。




