104話 アズリア、短剣の罠を看破する
その時、不意にアタシの頭に浮かんだのは。
以前に対峙した、暗殺者の顔だった。
大陸はほぼ中央に位置するシルバニア王国にて、世話になった商人の一人娘が王国貴族に拉致される事態に遭遇し。
貴族の屋敷にアタシが突入した際、執事の姿をしていた老齢の暗殺者と生命のやり取りをした時の記憶だ。
確か、暗殺者の名は……エボン。
だが。何故、今になって過去の思い出を頭に浮かべていたのかというと──。
「知ってるよ。投げ付けた短剣は囮、本命は──」
風を切る音とともに、アタシの喉元を狙い飛んでくる一本目の短剣を。横に小さく跳んで、難無く回避しようとすると。
投擲された短剣の軌道が、突如二つに分離し。アタシの横を真っ直ぐに飛んでいく短剣とは別の、もう一本の短剣は。
回避したこちらの位置を読んでいたかのように、軌道を曲げてアタシの腹へと迫ってくるが。
「はッ、読めてんだよッ!」
アタシは素早く右手で握った大剣で、狙われた腹を庇い。軌道を曲げた二本目の短剣を、大剣の腹で弾いていった。
暗殺者エボンとの戦闘でも、彼は一本と見せかけて二本の短剣を同時に投擲し。
見え見えの囮の短剣とは別に、真っ黒に塗った短剣を一本目の影に巧妙に重ね。アタシの死角を狙ってくるという暗殺者に相応しい戦技を見せてきたのだ。
だから重ねて放った二本目の短剣の存在に、アタシは即座に気付くことが出来たし。
黒装束で覆い切れていない連中の眼に、まだ諦めの感情が宿っていないのを見たのと。
連中が姿を隠す時に使った魔法「黒影脚」が、さらにもう一本の短剣の存在にも気付かせてくれた。
「二本目も囮。本当に当てたかったのは、この三本目だろおッ!」
アタシは、二本目の短剣を弾いた直後に即座に大剣を構えると。
先程、黒装束らが移動のために地面に延ばしたままの影のある空間へと。構えた大剣を振り抜いていくと。
キィィィ────ィィィン!
大剣に何かが衝突する衝撃と金属音。
次の瞬間、地面に叩き落とされたのは。エボンが使ったのと同様に、全体を真っ黒に塗られた短剣だった。
エボンのよりも巧妙に、金属の刃が光を反射しないように。丁寧に表面を荒く擦る細工までされていたが。
一度、影に隠れている三本目の存在を疑ってさえしまえば。低空で足元目掛けて飛んでくる、黒塗りの短剣を発見するのは難しくはない。
「な、何だとっ⁉︎……二本目はともかく、『月影』すら見抜くかっ!」
本命の短剣を叩き落とされた事に、驚きを隠せずに声を荒らげる黒装束だったが。
驚きのあまり、自分が手持ちの武器を投げてしまっていた事に気付いてはいないようだった。
当然、アタシはそんな大きな隙を見逃がす筈もなく。
「はッ、残念だったねぇ! 月影だったっけ……その戦技は一度見たコトあんだよッッ!」
「ぐ……ま、間に合わんっっ!」
黒塗りの短剣を弾き飛ばしたのを、手に伝わる衝撃で確認したと同時に。四本目はないと確信して。
右眼で発動していた「筋力増強」の魔術文字の効果を脚へと巡らせ、地面を蹴って驚いていた黒装束との距離を一瞬で詰めていくと。
振り抜いて下を向いた大剣を握る手に力を込め、黒装束の真下から強引に斬り上げていく。
……かたや黒装束の男も。懐へと手を伸ばし、防御のために新しい武器を取り出そうとするが。アタシの攻撃が届くよりも一瞬遅く。
思わず黒装束が、大剣の刃を避けるために後ろへと大きく飛び退いていった。
アタシの放った剣閃が空を斬ったか、と一瞬その場にいた全員が思ったが。
大剣を握るアタシの手には、確かに硬い防具ごと肉を斬り、骨を断った感触が残っていた。
「ゔ?──お……っ、っっ」
後退し回避に成功したと思われた黒装束が、自分の胸を押さえた途端。
遅れて胸板が斜めにぱっくりと裂け、傷口から大量の真っ赤な血を流しながら。言葉にならない断末魔を口から漏らしながら、地面にぐしゃりと倒れていった。
「あっ……あ、あ……あ……っ」
息の合った動きの黒装束二人を既に倒され、残りの一人が呆然と立ち尽くす。
まだ、大剣の攻撃範囲からは遠く離れた位置にはいた黒装束だが。つい先程、仲間を仕留めた時のアタシの踏み込みの速度を見れば。安心出来る距離とは言い難いだろうが。
目の前の黒装束が、既に戦意を喪失しているのは知ってはいたが。真っ正直に向かってくる武侠と違い、影に潜んで奇襲を仕掛けてくるような連中だ。このまま見逃がしてしまえば、いつ武侠との戦闘に紛れて攻勢に出るかわかったものではない。
だから、アタシは。
「ほれ。仲間の忘れモノだよッ!」
地面に落ちていた黒塗りの短剣を、空いた左手で拾い上げると。
アタシに声を掛けられ、身体を小さく震わせ萎縮させた黒装束の生き残りに。
仲間が使っていた黒塗りの短剣を、投げ付けて返してやるのだった。
「──ぐ、げっ⁉︎」
大剣の間合いにまで踏み込んでこなかったことに油断をしていたのか。それとも、アタシへの恐怖で本当に動けなかったかは定かではないが。
とにかく。アタシが牽制に、と投げ付けた黒塗りの短剣は。綺麗に黒装束に直撃、喉に刃が突き刺さってしまい。
「……が……が、は……が、ががが」
口から血の泡をぶくぶくと吹きながら、短剣が刺さった喉を掻きむしる仕草とともに、地面に転がってしまう。
黒装束で覆われているため、顔色までは窺い知れないが。ただ短剣が首に刺さったにしては、苦しみ方が大袈裟過ぎる様子を見るに。
やはりシュテンの嗎き様から危惧したように、短剣の刃に毒が塗布してあったのだろう。
「……自分で塗った毒さね。まあ、精々苦しむがイイさ」
喉の傷は放っておけば致命傷にはなるが、即座に死ねる程に深傷ではない。本来、戦場では死に切れない傷を負った者は敵味方問わず、介錯して楽に死なせてやるのが道理だが。
どうせ、この黒装束らは。今までにも短剣に塗った毒で何人、いやそれより多くの人数を苦しめてきたかもしれない。
ならば死ぬ間際くらいは、自分が使った毒が与える苦痛を少しくらいは味わっても良いだろう……と思い。
敢えてアタシは、喉を掻きむしる黒装束を介錯せずに放置し。
「さて、もう一度聞くよ。大人しく、門を開けるか……それとも、アタシと戦って」
再び、三人の黒装束との戦闘を遠巻きに観戦していた武侠らに問い掛けると。
首のない胴体、或いは血溜まりに沈んだ黒装束。そして、未だに死に切れずにいた喉に短剣が刺さる黒装束を顎で差す。
「同じようなメに、遭いたいのなら。止めやしないけど、ねぇ」
「月影」
詳細は、第1章35話「アズリア、無双する」を参照して下さい。




