95話 アズリア、ジャトラの思考を読む
暗闇の中、かろうじて背中が見える距離を空けて先頭を歩いていたユーノが小走りで近付いてくると。
騎乗するアタシに、道の先を指差してくる。
「お姉ちゃん、あれ」
ユーノが示した方向には、薄っすらとだが光が漏れていた。
それも、炬火や角灯の炎の色でも、魔法で生み出した眩しい光でもなく。外から差し込む太陽の、柔らかな光の加減。
「ありゃ……出口、みたいだけど」
「うん。さっきみたけど、そとのけしきがみえたから、まちがいないよっ」
洞穴内を歩いた距離があまりに短かったため、最初は出口である事を疑い。もしかしたら壁や天井の割れ目から外の光が漏れているのかもしれないとも思ったが。
ユーノの発言で、アタシの懸念は見事に払拭される。やはり、眼の良いユーノを先頭に行かせたのは間違いではなかった。
そんな彼女にアタシが声を掛けようとすると。
「……ぶう」
だがよく見ると、しっかりと先頭で歩く役割を果たした筈のユーノは。
まるで木の実を頬張る小動物のように頬を膨らませ、不機嫌そうな顔をしていた。
「何だい、そんな顔して。何か変なモンでも見つけたのかい?」
「……ちがうよ、そのぎゃく」
洞穴内に待ち伏せや奇襲があるやもしれない、と警戒は怠らなかったアタシだが。
もし敵が潜んでいたのを察知していたのなら。ユーノが敵から視線を切り、アタシを見たり、下を向いたりはしない筈だ。
ならばユーノが不機嫌を露わにしたのは何故なのか、アタシが本人に訊ねると。
「だって。だれもおそってこなかったんだもん」
ユーノの口から出たのは意外にも。
アタシの胸中と同じ言葉だった。
ここは本来、カガリ家の人間しか知らない秘密の抜け道だが。アタシらは既に一度、敵の襲撃を受けていた。
ならば黒幕であるジャトラは抜け道の存在を知っていて、当然シラヌヒ側の出口に待ち伏せの兵を置いていると想定していた……が。
アタシはそんな事を一度も口にはしていない。
にもかかわらず、そこまでの理屈には至っていないにせよ。この洞穴に敵が潜んでいるかもしれない事を、ユーノもまた本能的に察知していたのだ。
見た目こそまだ幼い少女なれど、さすがは二月ほど一緒に旅を続けていただけはある。
「あ……あっははははッ!」
アタシはユーノが同じ発想に至った事に嬉しさを覚え、思わず笑いが込み上げてきてしまった。
「えっ? な、なになに、お姉ちゃん……っ?」
「いや、何でもないよ。ははッ、さすがだねぇユーノ」
突然笑い出したアタシを見て、きょとんとした顔を浮かべたユーノは。今度は心配そうな表情で、アタシに声を掛けてくるが。
そんなユーノの頭をアタシは馬上から手を伸ばし、癖のある短い金髪をくしゃくしゃに撫でてやると。
「うわっ? え、えへへっ……ありがとっ」
先程までの不機嫌な顔を一変させ、首をすくめながらアタシが頭を撫でるのを満面の笑みで受け入れていた。
──その背後で。
「ね、ねえ、ヘイゼル……ずっと疑問だったんだけど、ユーノって一体何者なの?」
「そうさねえ……言うなりゃ魔王の右腕、ってところかねえ」
アタシの後ろ、同じ馬に騎乗していたフブキと。最後尾にいたヘイゼルが交わす会話は、こちらの耳にも聞こえていた。
ヘイゼルが口にした「魔王の右腕」なる喩えには、アタシも口を挟みたくはなったが。まるっきりの偽りでもないのが、また質の悪い言葉選びだった。
確かに魔王領におけるユーノの立場は、魔王リュカオーンに次ぐ実力者四人に与えられる称号・四天将の一人ではあるが。
四天将の他三名に加え、魔王を補佐する意地の悪い魔女までいるのだから。「右腕」と喩えるのは、少し誇張のし過ぎではないか──と思ったのは正直な気持ちではあったが。
「まあ……間違いじゃねえから、イっか」
フブキが勘違いしたところで、何か悪影響が出るわけではなさそうなので。
敢えて訂正をする必要もないと思い、アタシは最初から聞いていなかった……という態度を取ることを選び。
沈黙を貫いたまま、ユーノの頭を撫で続ける。
「んー……ふんふーんっ」
いつの間にかユーノの笑顔は、うっとりと恍惚な表情へと変わり、鼻歌まで歌い出していた。
こうなってしまっては、どこで頭を撫でるのを止めてよいものか。アタシは撫でる手の止め時を選び倦ねていたが。
「なあユーノ? そろそろアタシゃ、先に進みたいんだけどさぁ……」
「あっ、そっか」
止める、と口にすると。意外なほどあっさりとアタシを解放してくれるユーノ。
頭を撫でられるのを好む彼女は、事ある毎にアタシに頭を撫でられたがるのだが。一度撫で始めると、しばらくは手を止めるのを嫌がる程なのだが。
どうやら満足してくれたのか、撫でる手を途中で止めても機嫌を損ねずにいてくれていた。
再びユーノを先頭に、アタシらは洞穴の出口へと歩を進めていく。
待ち伏せも奇襲もない、安全な洞穴を。
「……待てよ、アタシ」
予想していた襲撃が無かった事で、腑抜けていたアタシの頭だったが。
出口での襲撃がないとすれば。カガリ家当主という権力を手に入れ、カガリ家の軍勢を意のままに出来るジャトラは一体何処に兵を配置するのか。
「考えろ……思い返せアタシ。今までの出来事を」
フルベの街を出発してから四日。
アタシが負傷と魔力の回復に療養していた日数を加算すれば、フルベ領主リィエンを倒してから既に十日は経過していた。
もし、ジャトラが攻撃的な性格だとすれば。当主の座を頂いたにもかかわらず、自分の支配下から強引に逃れたフルベの街をそのまま捨ては置けない。即座に兵士を派遣するだろう。
だが、ヘイゼルの持つ遠見の筒を借り。アタシは毎晩、野営の度にこの山の麓に位置しているフルベの様子を確認していたが。戦が始まっている気配は微塵もなかった。
思えば、アタシらを襲撃したのもジャトラの配下の武侠などではなく。魔竜の眷属四体のみだ。
さらに遡れば、フブキが幽閉場所から脱走したと知った時点で。フルベに戦力を差し向ける事だって出来た筈なのに。
三つの事実から導き出された結論は。
「そうか……黒幕にゃ攻めっ気がない。全くと断言してイイくらいに……ねぇ」
これまでの性格や行動がどうか、までは。この国に来て間もないアタシが知る由はないが。
少なくとも、今に至るまでのジャトラの手口を見返してみると。攻撃的な要素は何一つない、完全に守りに入った発想なのが窺い知れる。
そんなジャトラが、抜け道の出口に戦力を配置しなかった場合。果たして何処へ戦力を置くのだろうか。
答えは、一つしかない。
「……ユーノ。出口を抜ける前に、ちょいと頼まれてはくれないかい?」
「ん、なになに、お姉ちゃん?」
ユーノには、敵意を持つ相手の気配を感じ取り。その数や位置を察知する驚異的な感知能力が備わっている。
魔竜の眷属が隠れ蓑に使った、強烈な臭いの群野犬の血のように。優れた感知の網を誤魔化す手段は幾つかあるが。
今、この場において。ユーノの強力な感知能力を邪魔する要素は何一つない。
「なあフブキ。さっき話に出てた一つめの門ってのは、洞穴からどっちの方角だい?」
「え? あ、ああ……一の門はね──」
ジャトラの保守的な思考を読み取った以上、何処へ軍勢を置いたかは容易に想像が付く。
だからアタシは、向かう先で待ち受けているであろうジャトラの軍勢の数のみをユーノへと問うため。
後ろにいるフブキに、多数の軍勢が配置されているだろう城門の位置を聞き出していく。




