94話 アズリア、岩壁を潜り抜けて
アタシとの会話を途中で遮られた事に一瞬、割り込む二人にムッとした顔を覗かせるユーノだったが。
またすぐに、晴れやかな笑顔に戻り。
「うんっ! お姉ちゃんにきらわれてないなら、ボク、もうぜんぜんきにしないっっ」
ヘイゼルの背後、山道を駆け揺れる馬の背に体勢を崩すことなく立ったユーノが。ふわりと足を馬の背から浮かせ、馬の後ろへと落下していく。
「ちょ、ちょ?……な、何してるのユーノっ! アズリアっ、大変よユーノがっ?」
「何が大変だって? フブキ」
落馬するユーノの一部始終を見ていたフブキが、慌てた様子で一緒に騎乗していたアタシの背中を揺らしていたが。
同じく横目でユーノが馬から落ちていく様を見ていたアタシは、少しも大事だとは思っていなかった。
「そ、そりゃ何がって……え、あ、あれ?」
フブキは、ユーノが意図せずに落馬し。おそらくは次の瞬間、馬が走る速度で地面へと衝突してしまうと思い込んでいたのだが。
当人はというと、空中で体勢をしっかりと整えて両脚で音もなく軽やかに着地し。着地の衝撃で脚を痛めた様子もなく、馬の後ろを走ってついて来ていた。
平然とした顔で走るユーノの姿に、驚きを隠せずにアタシとユーノを交互に何度も見返していたフブキ。
「な。ありゃ落馬したんじゃない、ユーノなりの気遣いってえヤツさね」
「な、なるほどね……ぇっ」
先程、落馬したとフブキが見間違えた理由は。ユーノが跳躍のために足蹴にしていた馬の背を蹴らなかったためだが。
もし、ユーノが馬から離れる際に背中を蹴っていたとしたら。踏まれた衝撃で下手をしたら馬が暴れ、ヘイゼルが馬を制御出来なくなっていたかもしれない。
魔王領ではユーノが馬に乗っている姿を見たことはなく、海の王国でも騎乗する機会はほとんどなかったが。
さすがは獣人族だけあり、馬が嫌がる行為を本能的に察知したのだろう。
街道や街中と違い、決して一直線ではない山道ではあったが。少しばかり賢馬に身を預け、手綱を握りながら。
アタシとフブキは、後ろを走るユーノに視線を向けていたが。
「おい、ありゃあ……な、なあっ、抜け道の入り口にあったような岩壁じゃねえか、あれ?」
この場でただ一人前を向いて馬を走らせていたヘイゼルが、余所見をしていたアタシらに大声を発する。
見れば、彼女が周囲の状況を見渡す時によく使っていた魔導具・遠見の筒を片目に当てており。
彼女の言葉からも、筒から覗いていた山道の先に何かを発見した様子だ。
アタシは確認のため、後ろに乗せていたフブキの顔を背中越しに一瞥すると。
「うん、そろそろ到着する頃だと思ってたわ」
ヘイゼルは「抜け道の入り口にあったような岩壁」と口にしていたが。
確かに、フルベの街から本来シラヌヒへ向かう道を逸れ、脇の山道を半日ほど進んだ辺りに。岩壁で隠された抜け道の入り口を見つける事が出来た。
……あの時は、抜け道を唯一知っているフブキが入り口の場所を忘れてしまい、一時はどうなる事かと思ったが。
ユーノがカガリ家の紋章が刻まれた岩壁と洞穴を見つけ、何とか抜け道に入ることが出来た……という誤算があったが。
どうやらフブキが呟いたように。
秘密の抜け道のシラヌヒ側の入り口にも。おそらくは抜け道が人目に晒されないよう、同じような岩壁が建てられているのだろう。
「……これを、抜けた先に」
「ええ。城下街を通らないで、一直線に城に到達出来る場所に出るわ……多分ね」
ヘイゼルの報告の後、周囲を警戒しながら山道を進むと。
アタシらの目の前には岩壁と、人の手で掘られたであろう洞穴がぽっかりと口を開けて待っていた。
唯一、抜け道を知っているフブキだが、どうにも歯切れの悪い話し方をするのは。行きに抜け道の入り口を忘れていたのを思い出したのだろうか。
「さて、どう進もうか、ねぇ──」
ここから先は、ジャトラの配下が身を潜めて奇襲を行うには絶好の環境だ。何しろ、行きの洞穴の内部は照明の類いはなく、身を隠す岩陰が山ほど存在しているのだから。
行きの時は、周囲を魔法の光で照らす「|灯り(イグニス」や「光条」を使わずに強引に洞穴内を突破したが。
奇襲や待ち伏せが想定される今回ばかりは、光で敵に発見されやすくなる不利な点こそあれど。暗闇で視界が遮断されるほうが遥かに深刻な事態だ、と判断したアタシは。
「なあ、フブキ。確か、アンタは照明の魔法が使えるって言ってた……よねぇ?」
「ええ、使えるけど」
後ろにいるフブキに、あらためて照明の魔法が使えるかどうかを確認していく。
何度も言うようだが。アタシは魔術文字を右眼に宿していたのが原因か、魔力こそあれど通常の魔法の一切を使うことが不可能だったりする。
旅の道中に幾つか、持って生まれた魔術文字の他にも入手はしたが。漆黒の闇を周囲に纏い、暗闇に身を隠すことは出来ても。暗闇を照らす光を生み出すことは出来ない。
ならば、と。フブキに洞穴内の暗闇を照らし、視界を確保して欲しいと頼もうとした時だった。
「ねえお姉ちゃん。ここはボクにさき、いかせてくれないかなっ?」
洞穴の前で立ち止まっていたアタシらとヘイゼル、二頭の馬の前に出てきたユーノが。先頭で洞穴に入ると言い出したのだ。
アタシは最初、先程聞いたばかりのユーノの「アタシに嫌われたくない」という懸念が、まだ解消出来ていなかったが故の発言かと思い。
前に出ようとしたユーノを止めようとしたが。
「おい──い、いや……ちょっと待てよ」
少しばかり冷静になって、ユーノとの今までの経験を振り返れば。
確か……ユーノは夜でも昼間と変わらずに辺りを見れていた気がする。もしかして、ユーノは魔法を用いずとも夜の闇を見通す能力を有しているのかもしれない。
だとすれば、元々獣人族として鋭敏な感覚や脅威的な感知力を。まさに今、存分に発揮出来る状況なのではないか。
それに、ユーノは油断して毒に侵されたという失策を、どこかで取り返したいのだろう。
それならば、アタシがユーノを止める理由はない。
「……よし。ユーノ、先頭を頼むよ」
「う……うんっ!」
アタシの言葉に、これ以上ないくらい嬉しそうな声とともに首を縦に振るユーノ。
両の拳を打ち合わせ、活力を漲らせながら、洞穴へと歩みを進めていく彼女だったが。
ふと、後ろにいたアタシへと振り向き。
「ありがとねっ、お姉ちゃん」
まるでアタシの頭の内を読み取ったかのような感謝の言葉を、晴れやかな笑顔を浮かべながら口にすると。
ぽっかりと開いた洞穴へと足を踏み入れていく。
「よし、アタシらも続くよッ」
先頭を行かせたユーノに遅れること二十数歩ほど。
アタシは握っていた手綱を緩め、跨がる馬の腹に踵で触れ。洞穴の中へと侵入していく。
あくまで敵の目的は、城にいるであろう元当主のマツリとフブキを顔合わせさせない事。一番に狙われるのはフブキだからこそ。
先頭は暗闇を見通せるユーノ。
真ん中にはフブキを乗せたアタシが護衛し。
最後尾にはヘイゼルを置く。
今に至るまで、眷属以外の襲撃のない状況ならば。洞穴にアタシらが入った後、背後から奇襲を受ける可能性は低い。
それに接近戦こそ、アタシやユーノに遅れを取るヘイゼルではあったが。
ヘイゼルが手にする単発銃の威力は、直撃すれば魔竜の眷属の頭すら吹き飛ばし。一撃で倒せるだけの破壊力を持つ。
万全の陣形で、アタシら一行は周囲への警戒を怠ることなく。岩壁の洞穴の中を照明無しで歩き、シラヌヒを目指していくと。




