91話 アズリア、本拠地を目の前にして
アタシらが位置する崖の真下に広がっていたのは、正面の入り口以外の三方を山壁に囲まれていた都市部と。
中央部に築かれていた、石材を積んで塔を並べて造られる大陸の城とはまるで違う材質や。平家を縦に並べたような構造の巨大な建造物だった。
「ねぇねえ、お姉ちゃんっ。でも、あのまち……ぶきもったニンゲンしかいないよ?」
「ん? どれどれ──」
アタシの横を並んで走っていたユーノが、近くの木の枝へと飛び乗って。崖下に広がる都市部の様子を眺めながら、何箇所かを指差していたので。
ユーノより遠くが見えるわけではないアタシは、目を凝らして何とか街中の様子を覗いていくと。
「なるほど……随分と物騒な街の様子だ、ねぇ」
崖下から目を凝らして見た限りだったが。フルベの街と違い、城下街を歩くほぼ全員の住人が武器を所持していた。
つまりは……街の住人がこの国の戦闘階級である武侠という事になる。
さすがは黒幕が君臨する本拠地だけはある、といったところか。
「……あの連中を強引に突破するのは、さすがに骨が折れるって話だよ」
背後から聞こえてきたのは、ヘイゼルの声。
アタシが愛馬の脚を止め、崖下に広がっていた目的地を眺めていると。後から追いついてきたヘイゼルの馬が並んで止まったのだ。
ヘイゼルの言う通り、シラヌヒの城下街に控えている武侠は十や二十、といった数ではない。悠に百は越えるだろう。
入り口が一つである以上、シラヌヒに突入するとなれば街の武侠と衝突するのは避けられないが。こちらの戦力はたった四人。
城に突入するまでは極力、一つも戦闘を行いたくないのがアタシの本音である……が。
「おいおい、だからって……もう囮役をやらされるのは御免被るぜ、ヘイゼル?」
思い出されたのは、フルベ領主の屋敷に突入した時の話だ。
あの時ヘイゼルは、自分らが楽に潜入するために。一人で正面突破をさせ、敵の注意を惹き付ける囮の役割をアタシに無理やり押し付けたのだ。
ヘイゼルは「根に持つ」と軽口を叩いたが。囮役を果たしはしたが、あの後アタシは死ぬ程の深傷を負ったのだ。
「あはは、まだ言うのかい。案外、根に持つ性格だね、アズリア」
「まあ……そりゃあ、ねぇ……」
確かにアタシらの目的は、敵の殲滅でも、黒幕ジャトラを討ち果たす事でもない。あくまでフブキを姉マツリと再会させるのが目的だ……が。
シラヌヒを防衛する人数は、フルベの屋敷にいた人数とは比較にならない数だし。フルベ領主を射殺した謎の弓兵や、下手をすれば魔竜の首までもが登場する可能性は高く。
もし今回、ヘイゼルらにフブキを任せてアタシ一人で正面突破を仕掛けたとしたら。今度こそ、アタシは生きて帰れる保証はない。
「あはは、安心しなってアズリア」
また囮役を押し付けてはきやしないか、とヘイゼルの動向を注視し、警戒していたアタシだったが。
まさかそんな目で見られているとは微塵も思っていない様子のヘイゼルは、笑顔でアタシの肩を何度か軽く叩きながら。
「今回ばかりはあんたにゃ……フブキとあたいを守ってもらわにゃいけないんだから、さ」
「いや……全然、嬉しくない理由だね、そりゃ」
あくまで自分の護衛が目的という、一貫したヘイゼルの身勝手さに。
聞いたアタシは警戒していた分、張っていた気が削がれ。思わず呆れ顔になってしまう。
「──ねえねえっ?」
すると、近くの木の上に登ってシラヌヒの様子を覗き込んでいた筈のユーノが。
枝に脚を絡ませながら逆さにぶら下がった状態で、アタシとヘイゼルの会話に割り込んできた。
「う、うわあっっ! な、なんだ、ユーノかよっ……」
木の枝に登っていたことを知っていたアタシと違って、後から合流したヘイゼルは。突然、頭上から姿を現したユーノに盛大に驚く。
その驚きぶりは大きな声を出してしまっただけでなく、手が腰にあった単発銃に伸びていた程だった。
「で、ユーノ。一体、何なんだい?」
「あのさ、つぎはボクがまっしょうめんからとつげきしてもいいよっ? てか、させてっ?」
枝にぶら下がりながら、驚くヘイゼルを全く意に介さず、右手を突き出して何を言い出すかと思えば。
アタシでも躊躇する、単独での正面突破に名乗りを上げるユーノに。
「「……は?」」
アタシとヘイゼルは意図せずに同時に声を上げ、囮役に立候補したユーノに疑問を投げ掛けてしまう。
するとユーノは、二人の疑問に答えようと。脚を絡めていた木の枝を離し、空中で丸めた身体を一、二回転ほどしながら、見事に両足で着地すると。
「だってボク、ぜんぜんたたかえてなくて、うでもあしも……うずうずしてるんだもんっ」
地面に立ったユーノは、握った拳で何度も空を切りながら、戦闘欲求が止められない素振りを見せる。
ユーノがアタシの旅に同行してもう二月ほど経過しているが。
自分から「戦いたい」などと口にするのは島に滞在していた時も含め、これが初めての事だ。
「あ、そういや。こないだの蛇人間の時。ユーノは一切戦ってなかったもんな、ユーノ」
しかし、思い返してみれば。領主の屋敷内でもユーノは、敵の死霊術師が召喚していた特殊な亡者に足止めされていた記憶が蘇る。
アタシの記憶が確かであれば、ユーノがまともに拳を振るって見せたのは。今から十日ほど前……爺さんの療養所の前でアタシと合流した時が、最後だったのではないか。
二日前の蛇人間……おそらくは魔竜の眷属からの襲撃でも、戦闘に参加することのなかったユーノ。
つまりは、戦いたくて身体が疼いているのだろう。
これでもユーノは、魔王領を統治する魔王リュカオーンの実妹で。魔王領の中では「四天将」と呼ばれる立場の実力者だ。
アタシが訪れた時の魔王領は、領地に勝手に神聖帝国なる国家を建てた人間らと、絶えず戦争を繰り返しており。一日とて戦闘のない日が無い状況だった。
戦争が終結した後は、戦闘が起きない日もユーノは経験していた筈ではあったが。それでも、十日という長い日数、戦闘を我慢した経験は彼女にはなかったのだろう。
……だが。
「いや、駄目だ。ユーノを囮にゃ出来ない」
「えっ? な、なんでなのっお姉ちゃんっ」
だからといって、ユーノを単独で無謀な戦場に放り出すわけにはいかない。
戦闘には常に生命の危険が付き纏うのは当然だが、危険と「無謀」は似ているようで全くの別物だ。
アタシはユーノの提案を、首を左右に振り、少し語気を強めて却下していく。
「ね、ねえ……何で、正面から誰かが突入する話になってるわけ?」
アタシの背後から肩越しに顔を覗かせ、恐る恐る小声で会話に割り込んできたのは。今回の依頼主でもあるフブキであった。
これまでのアタシらの話を聞いていなかったのか、話の経緯を訊ねてきた彼女に対し。アタシ……ではなく、隣の馬に跨がっていたヘイゼルが崖下を指差しながら。
「そりゃ、本拠地の入り口は一つしかないから、どうやって敵の目を誤魔化すかの話じゃねえか」
だが、ヘイゼルの説明を聞いたフブキは。勝ち誇るような笑顔を浮かべながら。
「なら心配はいらないわ。入り口はね、もう一つあるんだから」




