90話 アズリア、本拠地に到達する
最初にその人物の接近に気付いたのは、防御に徹していたカサンドラだった。
「お、お嬢様っ、あんた、確か街に向かったんじゃ……?」
視線の先の人物とは、ベルローゼ・デア・エーデワルト。
帝国と白薔薇の紋章を刻んだ純白の鎧を身に纏い、艶のある波打つ長い金髪をなびかせた女性。
カサンドラら三人が護衛役となり、アズリアを追ってニンブルグ海を大型帆船で越えてきた無謀な人物であり。
その正体こそ「帝国の三薔薇」と称される内の一家・白薔薇公爵その人である。
ベルローゼが颯爽と登場したのは、カサンドラら三人が滞在していた小屋とは反対側。黒く変貌した農民が歩いてきた方向、つまり蛇人間の背後からだった。
だから最前衛に入れ替わったカサンドラが、一番最初にベルローゼを見つける事が出来たのだが。
「ええ、思ったより簡単に行き先が判明したので。貴女たちの合流を今か、今かと待っていたのです」
「い、いや……そりゃ、お嬢様が『街で早く休みたい』と言って情報収集を拒否したからでっ……」
ベルローゼの乗船した大型帆船も、ニンブルグ海を渡るのに半月以上を浪費していた。
それだけの期間を船に揺られ、地に足を着かない生活を続けていれば。普段は何不自由ない生活をしていた帝国貴族でなくても、揺れない寝床で休息を取りたくなるというのが心情だろう。
カサンドラら三人は、大型帆船を操る船員たちと同様に海の王国出身なため。海上で揺れる船に慣れていたため、平気だったというのもあるが。
休息を取っていたお嬢様に代わり、三人はわざわざ街を離れて情報収集に出ていたという状況だ。
風刃戦態と攻撃魔法の詠唱を準備していた他の二人も、カサンドラの会話を聞いて。少し遅れてこの場にベルローゼが現れたことを知る。
「……ですが。待てども待てども、貴女たちは一向に街に姿を見せない」
突然の人物の来訪に驚く三人をよそに。ベルローゼは腰に挿した聖銀製の刺突剣には手を触れず。
場にそぐわない笑顔を浮かべながら、これまたゆっくりとした歩調で。蛇人間とカサンドラの元へと歩み寄ってくる。
「お、お嬢様っ、蛇人間は今まで見たことがない危険な魔物だっ! 無闇に近寄っちゃ──」
無造作に接近してくるお嬢様に対し、警告の言葉を大声で発するカサンドラ。
だが、彼女が言葉にするよりも一瞬早く。
「あっ、危ないっっ⁉︎」
カサンドラと対峙していた蛇人間は、突然身体を反転させて彼女へ背を向け。
武器も持たずに自分へと近寄ってくるベルローゼに狙いを定め、飛び掛かっていった。
当然ながら背を向け、無防備な姿を晒した蛇人間に対してカサンドラは即座に反応する。
大楯の裏に忍ばせていた戦杖を、素早く片手で持ち替えると。蛇人間の後頭部目掛けて、握っていた鈍器を勢い良く振り下ろしていく……だが。
カサンドラの振るった戦杖は虚しく空を切る。
「し……しまっ!」
一度は防御に徹するため、戦杖を手離して大楯を両手で構えていた。だから盾から戦杖に持ち替える際に一瞬、隙が生じ。
蛇人間の反応に遅れを取り、攻撃を避けられてしまうという結果になってしまったのだ。
確かにベルローゼは、ただの貴族ではなく。獣人族のカサンドラやエルザと同等、もしくはそれ以上の剣の腕を持つ立派な戦士でもある。
身に纏っている純白の鎧や聖銀製の刺突剣は、決して見栄えだけの装備ではない。
それでも、大陸では一度も遭遇したことのない未知の魔物相手に、どこまで対処出来るかは全くの未知数だ。
攻撃を外したカサンドラと同じく、攻撃の準備に集中していて声を発することすら出来ない他の二人もまた。
ただベルローゼへ視線を向ける以外出来なかったが。
「まったく……私」
ベルローゼが笑顔から突然、両の眼をカッと見開いて表情を一変させると。
腰に挿していた聖銀製の刺突剣、ではなく。
もう一本、背後に横に寝かせ挿していた、仰々(ぎょうぎょう)しい白薔薇の装飾が施された長剣へと手を伸ばし。
ゆっくりと鞘より抜き放つと、自ら蛇人間へと突進していき。
「もう、待ちくたびれましたわっっ!」
先に蛇人間の爪撃がベルローゼに襲い掛かるも、虚撃も変則的でもない、直線的な爪の一撃を。ベルローゼは攻撃する姿勢を崩さず、小さく横へと跳んで回避すると。
真夜中にもかかわらず、魔術師の少女の側に置かれた角灯の光を眩しく反射する長剣の刃が。
あれだけエルザが苦戦した、蛇人間の全身を覆う漆黒の鱗を割り、鱗の下の肉に沈んでいき。
蛇人間の胸板を真横に深く斬り裂いていった。
『ギッ……シャアアアアアアアアア⁉︎』
エルザの両斧槍で、腕を切り落とされても痛みに怯む様子を見せなかった蛇人間だったが。
胸の傷口からは黒い煙をもうもうと湧かせながら、苦悶に満ちた絶叫を上げて苦しんでいた。
そんな蛇人間の様子を、既に長剣を真上へと掲げ、次の攻撃の準備を終えていたベルローゼは。
まるで汚物を目にした時のように眉間に皺を寄せ、明らかに不快そうな表情で見下しながら。
「耳障りな鳴き声ですわね……お黙りなさいなっっ‼︎」
ベルローゼは、継承したばかりの白薔薇公爵家の当主の証たる長剣・銘剣「白薔薇」。
その刃を、蛇人間の首目掛けて振り下ろしていくと。
『ギィ……ィッ──』
伝説の金属・太陽鉱で出来た長剣は。
三人があれだけ苦戦を強いられた蛇人間の首を、いとも簡単に刎ねてしまう。
腕を斬り落とされてもなお、部分を再生していった蛇人間だったが。首を両断し、頭を斬り落とされてしまえばさすがに死は免れなかったようで。
脚をビクビクと震わせた後、完全に力が抜けて地面に崩れ落ちていった蛇人間の身体。
「……で。この魔物は一体何なんですの?」
首と胴体の切断面からは一滴の血も流してはおらず、代わりに黒い靄を湧かせている得体の知れない魔物を指差しながら。
ベルローゼは、三人へと状況説明を求めた。
◇
一方で──カガリ家のみ秘密の山道を駆け。一連の黒幕であるジャトラの待つ本拠地に向かうアタシら一行だったが。
四体の蛇人間の襲撃よりあれから、アタシらの道中に何の妨害もなく、丸二日が経過していた。
魔竜の眷属の毒に侵され弱っていたユーノも、その夜に食事をしっかりと取り、一晩休息を取ると。次の日から再び、アタシらが騎乗する馬と並んで走れるまでに体力は回復していた。
こうして、フルベの街を出発してから四日目の昼頃。
「見えてきたわ……あっちの道よ、アズリア。あの先に見えるのが、私たちカガリ家の本拠地・シラヌヒ」
アタシと一緒に騎乗していたフブキが突然、言葉とともに山道の先。
立ち並ぶ樹木が不自然に開けた場所を指差し、彼女の道案内の通りに馬を進めていくと──。




