85話 アズリア、本拠地へ走り出す
そもそも。何故、今になって紅薔薇公などを夢になど見たのだろうか。
確かに、自分の脚を黒焦げになるまで焼いた強敵にトドメを刺すのを邪魔をされたのは悔しかったし。
あの時、公爵と接したのはほんの僅かな時間であったが。アタシの右眼に宿る魔術文字について、何かを知っているような口ぶりだったのは今でもハッキリと憶えている。
状況が状況だっただけに、あの時は何の追及もせずにただ首を縦に振り。ただロゼリアを引き渡し、逃げるのを許してしまったが。
考えれば、今まで魔術文字を知っていたのは師匠ら精霊のみだった。だが、紅薔薇公ジークは確かに言ったのだ。
太古の魔導の欠片をその目に宿した、と。
「ああ……そういやぁ……帝国にいた時、聞いたコトがあった、ねぇ」
最早、誰も憶えている者のいない太古の魔術だった魔術文字を。何故、紅薔薇公は知っていたのか。
その疑問が頭を過ぎった時に、アタシはふと。白薔薇公の一人娘・ベルローゼが口にしていた話や、兵士養成校で耳に挟んだ帝国の情勢を思い返す中。
ある、一つの奇妙な話をアタシは思い出した。
「紅薔薇公爵の妙な噂を、さ」
それは、帝国が建国されたのがほぼ百年前。大陸を統一した「英雄王」クレウサの死後間もなく、北の大地に帝国を建てたのだが。
建国当初から帝国のために尽力していたという紅薔薇公の姿が。百年が経過しているというのに全く変わらないという不思議な話だった。
紅薔薇公爵ジークは未婚であり、子息はおらず。当然ながら次代に継承した話も皆無だ。
となると、紅薔薇公が妖精族などの長命な人間以外の種族かもという疑問も出てくるが。帝国は人間以外の亜種族を差別的に見る傾向が強いため、皇帝に次ぐ権力者が妖精族という可能性は限りなく低い。
「百年、かあ……それだけ長く生きてりゃ、もしかしたら、あるいは……魔術文字のコトを知ってても不思議じゃないのかも、ねぇ」
だが、噂が真実であるなら。
一体どうやって百年もの間、老いを克服し紅薔薇公爵の椅子に鎮座し続けているのか。
考えを巡らせれば巡らせる程、紅薔薇公爵の正体が何なのかが見えなくなっていく。
まだ見ぬ魔術文字の手掛かりを知るためには、もしかしたら紅薔薇公爵の正体を探るのは避けては通れない道かもしれないが。
ここにきて、旅に出てから帝国との因縁もあり。故郷の話題を聞くのを無意識に避けていた態度が仇となり。
紅薔薇の正体を導き出すには、あまりに情報が不足していることに気付く。
「……ぐ、むむむ……むうぅ……ッ」
地面に座り込み、腕を組みながら。あまりに考えが纏まらずに歯軋りをし、目を閉じながら思案していたアタシだったが。
「一人で考えに耽ってるんじゃないよっ」
「──あうッ?」
不意に頭に軽い衝撃を感じ、振り返って衝撃の正体を確認すると。
馬上のヘイゼルが、腰に挿していた刺突剣を鞘に入れたままで手に持ち。その鞘でアタシの頭を叩いたのだ。
「お、おい、何しやがるんだ……コッチは考え事してんだぞッ!」
「……へえ。あたいらを放置して、かい?」
「え?」
重大な思案を無理やり頭を叩かれて中断させられ、感情的になったアタシは大声で叱責する。
だが、怒鳴りつけた相手であるヘイゼルが指差す方向へと視線を移すと。昂る感情が急速に冷えていくのがわかる。
何しろヘイゼルが指差した先には、寂しそうな眼でこちらをジッと見つめるシュテンと。すっかり苛立ち不機嫌な表情のユーノと、何故か笑顔のフブキが既に馬の背中に騎乗していたからだ。
「……ねえ、アズリア? こんな事言えた義理ではないけど。私たちは、いつまで待ってたら良いのかしら?」
「え? ええ?──ま、まさかッ」
確かに笑顔ではあったが、そうアタシに問い掛けるフブキの声には陽気さは一切含まれてはおらず。アタシを見る彼女の目の奥も、全然笑ってはいなかった。
アタシは慌てて、真上に生い茂る木々の枝葉の隙間から覗く空を見上げ、太陽の位置を確認すると。
「な……なんてこった……ッ」
ユーノの身体を蝕む毒を魔術文字で浄化した時からかなりの位置、太陽が動いていた事に驚いてしまう。
てっきり、アタシが思案に耽っていたのはほんの僅かな時間だとばかり思っていたのに。
これだけ太陽が動いたとなると、一回の食事を作り、食べ終えてしまっていてもおかしくない程だ。
「あたいが止めたのも納得したかい?」
「……はい」
「それじゃ、早く乗りなさいよアズリアっ」
「……はい」
それ程の時間、三人を待たせてしまったアタシはもう何も弁解の言葉が浮かばず。
ヘイゼルの言葉にも、フブキの言葉にもただ黙って頷き、大人しく従う以外の選択肢は残されていなかった。
調子に乗ったヘイゼルに鞘に納めた刺突剣で背中を突かれながら、フブキの言うがままに愛馬に跨がる。
「……悪かったねぇ、シュテン。だいぶ、待たせちまってさ」
鬣を撫でながら、寂しそうな眼をしていたシュテンに謝罪の言葉を掛けると。
ブルルル……と鼻を鳴らしながら、首を左右に振る仕草はまるで「そんな事ない」と言ってくれているようだった。
愛馬が見せた態度で、少しだけ心が救われたアタシは。あらためて馬の腹に踵で触れていくと。
「──行くよッ!」
アタシと愛馬は、本拠地までの山道を再び駆け出していく。
確かに、紅薔薇公の正体は気にはなるが。
今は本拠地シラヌヒに突入し、黒幕であるジャトラからカガリ家を奪還するのが最優先だからだ。
◇
だが、アズリアらを襲撃した蛇人間……魔竜の眷属は全部で四体。
対して、本拠地の地下に棲まう魔竜が生み出した眷属の数は五体。
あと一体は、途中でアズリアらを待ち伏せているのだろうか。
答えは、否。
残り一体の眷属は。人望と信頼が足らずに兵力が思うように集結せず、侵攻を断念したフルベの街に向かっていたのだ。
ちなみに、紅薔薇公ジークの正体については。
番外編4ロゼリアの章にてその大半が語られていますので、気になるなら寄り道してみて下さい。




