84話 アズリア、蘇る過去の記憶
「あのねえ、アズリア……」
「まったく……ユーノもこんな面倒な奴とずっと旅をしてたなんてな、同情するぜ」
アタシはただ、ユーノを馬に乗せるために手を伸ばしただけなのに。
何故に今アタシは。二人に責め立てられるような言葉をぶつけられているのだろうか。
「まあ、気を落とすなって。アズリアがああいう女なのは今さら……わかってるだろ?」
「そ、そうだけど……っ」
ヘイゼルは馬上から、落胆した様子のユーノの頭を撫でてやっていた。
フブキはアタシよりも先に、近くに落ちていた手頃な大きさの岩を踏み台にし、馬の背中に跨がると。
フブキが伸ばした手を、アタシの時のような変わった反応を見せずに掴んたユーノは。踏み台の岩を使わずに軽々と跳躍し、馬の背に飛び乗っていく。
「ほら、何をぼーっと突っ立ってるのよ、アズリアっ」
襲って来た敵を倒し、ユーノの毒を浄化しただけなのに。
何故か一度は機嫌を直したユーノは再び顔を曇らせ、ヘイゼルとフブキには責められるという理不尽な状況に。どうにも納得がいかなかったアタシに。
既に出発の準備を済ませていた三人を代表し、フブキが声を掛けてくる。
「お、おいッ、お前まで急かすんじゃないよ……ッたく」
しかも、馬までがアタシの腰巻きの布地を噛んで。まるでフブキに味方をするように、アタシの騎乗を要求してきたのだ。
この時点で、周囲にはアタシの味方は誰一人としていないと悟り。
「わかった、わかったッての。さっさと本拠地向かいやイイんだろッ……」
今、この場でユーノに何を弁解しても、まともには取り合ってはもらえず。逆にヘイゼルには妙な理屈で言い包められ、フブキに感情で押し切られる可能性が高い。
ならば、ユーノの機嫌を回復させるのは。太陽が落ちて野営となり、この日の夜食を取る機会にしようと思い。
アタシは大人しく会話の流れに従い、馬に跨がろうとした。
ちょうど──その瞬間だった。
「……ふお、おおッ⁉︎」
突如としてアタシの頭の中に閃光が走り、身体の中心を突き抜け地面に抜けていく感覚。
それはまるで、頭頂部に落雷が直撃したかと勘違いする程であり。思わずアタシの口から叫び声が漏れる。
この場にいた全員が、アタシの絶叫にまず驚き。何が起きたのかと視線を集中させる中で。
頭の中に、先程までまるでなかった記憶が少しずつ、しかし確実な形となって構築されていく。
「この記憶は……あの女将軍との決着の時の?」
それは、まさにホルハイム戦役を終結させたといってもいい。アタシと紅薔薇軍を率いていた将軍・ロゼリアとの一騎討ちにおいて。
後で知った話だが、「焔将軍」という二つ名を持つロゼリアの強力な火属性の攻撃魔法に。左脚を真っ黒に焼かれたアタシは、まさに敗北必至の窮地に追い詰められていたが。
氷の精霊の力を借りて辛くも勝利し、後の禍根を断つためにロゼリアの生命を奪おうとした時の記憶だった。
だが、驚いたのは焔将軍にではない。
「あの真っ赤な髪……そ、そうだッ! あの時、アタシの腕を掴んで邪魔した、焔将軍の飼い主と同じなんだよ……ッ!」
昨晩、見張り番まで休息していたアタシが微睡みの中、見ていた夢に現れた赤髪の帝国貴族の顔と。
アタシの最後の一撃を邪魔し、敗北したロゼリアを転移魔法で連れ帰っていった人物の顔や印象が一致したからだ。
そして、その赤髪の貴族の正体というのが。
「……紅薔薇公、ジーク」
十八歳までアタシの故郷だった北の軍事大国・ドライゼル帝国には。皇帝が統治する中央部を取り囲むように、「帝国の三薔薇」と呼ばれる三公爵が自治権を持つ三つの公爵領が配置されている。
白薔薇。
青薔薇。
そして、紅薔薇。
アタシが生まれ、幼少期を過ごしていたのは白薔薇公領であり。白薔薇公爵の一人娘・ベルローゼとは因縁浅からぬ関係であるのだが。
少なくともアタシが帝国にいた頃に、他の公爵領やましてや中央部に移住した記憶などなく。紅薔薇公爵やロゼリアの話も、他の地域で聞いた噂話でしかない。
次々に頭に浮かんでくる疑問を整理・分析するために、アタシは一旦馬に乗るのを止め。考え事をする時の癖で顎に握った拳を当てながら、その場に座り込んでしまう。
本当ならば、もう少し落ち着いた場所で考えたい内容ではあったが。
気になってしまったら、少なくともある一定の段階までは自分の中で結論を出しておかないと。今、思考を躊躇した事が後になって思わぬ障害となる可能性だってあるからだ。
「なら……一体何で、アタシの夢の中に紅薔薇公爵なんて大物が出てきやがったんだ……?」
こうして数々の記憶を辿り、頭を悩ませた結果。アタシの頭には二つの結論が導き出された。
まず、最初の結論は……記憶の混合だ。
夢、というのは決して自分が見た真実をありのままに映し出す便利なモノでは決してない。夢を見た人物の都合の良いように、内容が変わっている事も不思議ではないのだ。
昨晩、朧げながらに見た夢の中身が、本当にアタシの記憶の中にあるものかどうかも実はまだ疑わしい。
何しろ……夢の中で最後を看取った壮年の男の顔を、アタシは知らなかったのだから。
「それならそれでイイんだ……問題は」
アタシが導き出したもう一つの結論、それは。
夢の内容が、アタシが憶えていないだけの紛うことない真実である、という可能性だ。
つまり、紅薔薇公ジークと遭遇したのは一度ではなく二度目で。かつ、今も何者か思い出せない壮年の男を、アタシは知っているという話になる。
「もし、そうなるなら……十六より、前ってコトになる……よねぇ?」
アタシが帝国を出奔し、現在の流浪の一人旅を始めたのは十八歳だったが。
その二年前、十六歳の時には。天涯孤独で住む家にも困り、かつ女の身だったにもかかわらず。類い稀な膂力が噂となっていたのか。兵士養成校に無理やり編入させられる事になっていたからである。
当然、養成校に在籍していた際に帝国貴族を敵に回す事態になるとは思えない。だからアタシは「十六歳より前の記憶」と断言したのだ。
勿論、旅の最中にも傭兵稼業では帝国の軍を進んで敵に回していはしたが。
衝突の理由はいずれも国境付近での軍同士の小競り合い、といった程度のもので。わざわざ紅薔薇公爵が登場するような規模の戦いではなかった。
「だとすりゃ、アタシがまだ子供だった頃……紅薔薇公爵とも会ったコトが……あるぅ?」
自分が口にした言葉に、自分で首を傾げてしまう。
それ程に、アタシが口にしたのは荒唐無稽な話だったからだ。
白薔薇公爵の一人娘・ベルローゼと因縁があったのは、まだ自分の領地内なのだからあり得ない話ではないが。
名誉や面子を重要視する貴族、中でも帝国では皇帝に次ぐ権力者の一人である紅薔薇公爵が。他公爵家の領地に騎士を連れて現れ、わざわざ実力行使などするだろうか。
壮年の男が何者であっても。騎士や配下の貴族らに顎で命令し、捕らえるなり始末させれば良いだけではないか。
「……どれもこれも、あり得ない、ねぇ」
考えれば考える程。微睡みの中、アタシが見た夢の内容に違和感を覚えざるを得ない。




