82話 アズリア、毒を浄化する手順
「ん……ぐッ、んぷッ」
アタシは腰にぶら下げていた鉄製の筒。
シルバニア王国に黄金の国と、二国に渡って世話になった商人ランドルから受け取った水袋代わりの魔導具。
その鉄筒の中の水を口に含み、口中で噛み砕いた薬草と混ぜ合わせ。
毒に倒れていたユーノの身体を仰向けにひっくり返し、顔が見える体勢にしていくと。
「……あ……あぐぐ……はぁっ、はぁっ……」
「ね、ねえユーノっ、大丈夫? 大丈夫よねっ?」
つい先程までは、薬草を口に入れるのを絶対に拒絶する素振りを見せられていたユーノだったが。
アタシが身体の向きを変えた時には、さらに毒の侵蝕が進行し。びっしりと汗を浮かべた顔は血の気が完全に引き、息を荒らげ、言葉を話せないくらいに弱ってしまっていた。
いつの間にか、三人の蛇人間だった亡骸が転がる場所からユーノに駆け寄っていたフブキが。
衰弱したユーノの背中へ腕を回し、上半身を起こして何度か呼び掛けるが。苦しそうに息を荒らげ、呻き声を漏らすのみで。フブキの言葉に反応を返す余力がない様子だ。
不安そうな顔でこちらを見るフブキに対して。
口中が水と噛み砕いた薬草で満たされて口を開けないアタシは、指と手で「心配するな」と宥める仕草を取ると。
「──う、むぅっ?」
半開きのユーノの口を、アタシの口が塞いでいき。
口内に溜めていた水と噛み砕いた薬草が混ざり合ったモノを、突然の事に驚き、固まっていたユーノの口に流し込んでいった。
謂わゆる、口移しという方法だ。
「うぶ⁉︎……ぶぶぶぶぶぶぶぶぅ!」
水で少しは薄まっていたとはいえ、まだかなりの苦味には違いない。そんな苦い水を口に注ぎ込まれ、困惑するユーノ。
本来なら口移しという方法は、自分の力で食事や薬草を食べられなくなる程に衰弱した相手へ摂取してもらうための手段なのだが。
あれだけ薬草を口に入れるのを嫌がっていたユーノに、薬草の効果がまともに出るまで噛んでもらうのは至難の業だとアタシは踏んだのだ。
……というのも。
爺さんが薬草を手渡す際に、薬草の使い方を丁寧に教えてくれたのだが。今回使った「竜髭草」は、ただ食べるだけでは効果が薄く。口の中で細かく噛み砕いて葉の汁を飲まないと効果が上手く発揮されないという代物だったためだ。
「うぶぶぶぶっ?……むゔゔぅっ! んっ! んんんっっ!」
あまりの強烈な苦味に、アタシの口から飲ませた薬草と水を吐き出そうとするが。
唯一の水の出口たるユーノの口は、残念ながらアタシの唇で塞がれているため。もう一つの道である喉に流し込む以外に、口を襲う苦味から逃れる術は残されていなかったユーノは。
少しばかり暴れる様子を見せはしたが、毒で弱ってる腕力では。アタシを振り払うなんて到底出来る筈もなく。
ゴキュ、ゴキュと喉を鳴らしながら。アタシが飲ませた薬草を、ようやくユーノが全部飲み込んでいくのを確認し。
「ぷ……はあっ!」
「うしッ! これで薬草は飲ませたよッ……それじゃお次は、コッチこそが本番さあッ!」
アタシはユーノの口から唇を離していくと同時に、背中にぶら下げていた大剣へと手を回し。
本格的な手入れはしばらく行っていないにもかかわらず、鋭い切れ味を保ち続けているクロイツ鋼製の大剣の刃を指の腹でなぞり。すっ……と出来た赤い線から滲んてきた血で、ユーノの身体に魔術文字を描いていく。
描いたのは当然、「生命と豊穣」の魔術文字だ。
後は魔術文字に魔力を注ぎ、発動するだけ……となり。
これが負傷ならば、見た目の傷の深さや漏れ出た血の量などから負傷の度合いを推察し。魔力量の加減が可能なのだが。
アタシは今、ユーノを蝕んでいる蛇人間の毒がどれ程の強さなのかを全く知らなかったりする。魔力量の加減が読み切れず、一度は躊躇してしまうアタシだったが。
「なら、加減だなんて言ってらんないよねぇ!」
幸運にも、師匠から戴いた魔術文字による治療は。通常の強力な治癒魔法に見られる、生命力や魔力の永久的な減衰といった術者への代償は見られない。
それに、毒が与えた影響で衰弱したユーノの体力の回復も兼ねる必要がある。
アタシは、今出来得る最大限の治療をユーノに施すべきだと判断し。
まだ薬草の苦味が残る口から力ある言葉を紡ぐとともに、ユーノの身体に刻んだ魔術文字へと魔力を注ぎ込んでいく。
「……我、大地の恵みと生命の息吹を──ing」
魔術文字が発動し、まるで植物の葉を思わせる緑色の輝きがユーノの身体を包み込むのと同時に。
首筋にあった噛み傷からは黒い煙が生じ、ユーノが苦しそうに身体を震わせ、悲鳴を漏らさぬよう必死に歯を噛み合わせていた。
「ふっ⁉︎……ぐぐぐぐうっ?……ふぐうぅぅぅぅ!」
海底都市で、ナヅナらに襲撃された海魔族を解毒した際には。今のユーノのように苦しむ反応は見られなかった。
時間の近い二つの解毒に対する反応がこれ程に違うのは、ナヅナらの使った麻痺毒よりも蛇人間の毒が強力だったということなのだろう。
だが、ユーノが苦しむ反応を見せたのはほんの僅かな時間のみであり。
「み、見ろよっ……ユーノの顔に色が戻ってっ……」
「ああ。無事に毒の浄化は済んだみたいだねぇ」
傷口から生じた黒い煙が、魔術文字から発せられる緑色の光の中に消え去っていくと。
ヘイゼルが言うように、先程まで血の気が引いて顔面蒼白だったユーノの顔にはみるみる肌の色が戻ってくると。
ドス黒く変色していた首筋の傷口も痕を残さず消え、すっかり元通りの張りのある肌に戻り。荒くなっていたユーノの息遣いも、穏やかな息に落ち着いてくると。
「は、はひぃ……た、たすかったあああっ……」
フブキの腕に支えられずとも、上半身を起こせるまでに状態と体力が回復したユーノが。一際大きく息を吐いて、自分の目の前で拳を握ったり閉じたりしてみせていた。
少し調子を取り戻した様子のユーノは、アタシの顔を見るや先程まで真っ白だった頬を真っ赤にして。
「お、おおお、お姉ちゃんっ、さ、さっき、ぼ、ぼ、ボクにっ……」
アタシはてっきり、苦い薬草を無理やり口移しで飲ませた事に文句の一つでも言ってくるものだと身構えていたが。
ユーノはわなわなと震える指で自分の唇をぺたぺたと触りながら、アタシの名前を口にしている癖に微妙にアタシからは目線を逸らす。
「何だい?……言いたいコトあるなら、ハッキリ言いなよ。なあ、フブキ」
そう言えば、たった今思い出したのだが。
アタシが騎乗している馬の名付けに選ばれなかった事に腹を立て、機嫌を損ねたユーノはアタシを避けていた。
そのせいで勝手に山道を先行した挙げ句、先に子供の姿を取った蛇人間を拾う罠に掛かってしまったわけだ。
そろそろ機嫌を戻してもらいたいという意図で、アタシはフブキに会話に割って入ってもらおうと思ったのだが。
「………………」
何故か、話を振られたフブキが呆けた顔のまま、身動き一つ取らなくなっていたのだ。




