80話 アズリア、読めない敵の真意
背伸びをしながら、まるで自分の鼻先をアタシの顔に衝突させる勢いで間近にまで迫ってくるフブキ。
「お、おいフブキッ……まずは、落ち着けってえ、のッ!」
アタシはそんな彼女の両肩に手を置くと。一旦冷静にさせるために寄せてきた彼女の身体を、力で引き剥がしていく。
「はっ? ご、ごめんなさいっ、興奮しちゃって、つい……」
「いや、動揺するのは当然さね。敵が魔竜を操る、なんて聞きゃ、そりゃ驚くなってのが無茶な話だろうからねぇ」
フブキが驚きの声を出すのも無理はない。
何しろ、一度は地の底に封じられたと聞いた八頭魔竜は。その暴れっぷりを制御出来なかったからこそ封印された、という過去のこの国の事情がある。
何しろ首一本でも、周囲を腐らせる吐息を吐いたり、土砂を自在に操ってみたり。果ては、ひと睨みで魔術文字の魔力すら打ち消す瞳すら持っているのだから。
一本でも脅威となる首が八本揃って暴れ出せば、たとえ一国の軍隊が立ち塞がろうとも。容易に蹴散らされるのは想像に難くない。
そんな魔竜を操る術を、ジャトラが有していると聞けば。平静を装うほうが無理というものだろう。
問題は、誰が制御の方法をジャトラに吹き込み。
一体、どのような方法で魔竜の制御を実行している……という話になるが。
「ね、ねえっアズリア? それって……療養所で行き倒れの女が話してたっ」
「ああ。アタシもちょうど今、とある人間の名前が頭に浮かんだよ。その人物の名は──」
どうやらフブキの頭も、アタシと同じ結論に達し。アタシらは同じ人物の名前を思い返していたようで。
アタシとフブキは同じ名前を揃って口にした。
「「エイプル」」
それは……フルベの街で、アタシやモリサカの治療に。そしてフブキを匿うのに世話になったのが、治癒術師ウコンが孫のヤエと営む小さな療養所での話に登場した人物の名前だった。
海底都市でアタシと戦い、一度は自爆して果てた筈の密偵の少女・ナズナ。そんな彼女が海底都市に棲まう海魔族らに生命を救われ、モリュウ運河の川辺に流れ着いていたところ。何の因果かアタシが療養所へと運んできたわけだが。
ウコン爺さんの治療により、意識を取り戻したナズナは。生命を救われた礼にと、自分が知っている情報を明かしてくれた。
大陸との交流を断つこの国に外部から堂々と入り込み。権力者に「八頭魔竜の復活」を進言し、誑かしたその人物の名前こそ。
今、アタシとフブキが同時に口にした「エイプル」という人物だというのだ。
「で、でもアズリアっ? それじゃ少し理屈がおかしいわ。じゃあ何で……ジャトラは自分の家族を魔物になんか変えられちゃったりしてたのよっ」
「そこだよ、問題は」
フブキの言う通り、ジャトラによる魔竜の制御が上手く機能していたのなら。家族が魔物に変貌させられるような真似を、とても容認などしないだろう。
「なあ、覚えてる限りでイイ。ジャトラは、自分の奥さんや息子を嫌っていたとかいう噂なんかは……なかったかねぇ?」
「ううん」
或いは、ジャトラの夫婦仲が悪く。邪魔な妻子を始末するため、魔竜を利用した……という説を。アタシはたった今、頭の中で組み立ててみたのだった。
大陸では、貴族階級の連中が妻を複数娶るというのは日常化していた。建前では、自分の地位を継承させるために、より優れた子を求めるためだが。その真実は……ただ権威と財力を使い、意中の女性と無理やり婚姻関係を結ぶのが現実だったりする。
そのためか。今までにアタシが見てきた貴族階級の連中は、半分ほどが夫婦の関係が険悪だったりした。
ジャトラもまた、その例に漏れず。夫婦仲が上手くいってなかったと予想したのだが。
アタシの予想は、フブキに簡単に否定されてしまう。
「むしろ、その逆。ジャトラは、娶った妻と一人息子のタツトラをとても大事にしていたそうよ。噂に聞いた話じゃ──」
続けてフブキの口から語られたのは、まだフブキが十二歳を迎えた頃……つまり四年前の事。
シラヌヒに潜入した「影」と呼ぶ密偵によって、城や街中に火が放たれたのだったが。
当時は当主だった姉マツリに仕える補佐役の筆頭老中として、当主の無事を確認した直後。
城の離れに住居を貰っていた妻サラサと息子タツトラの安否を確かめるため。その他の些事に目も暮れず、全速で妻と子の元に駆け付けたという噂だった。
「つまり……少なくとも、四年前までは三人の仲は良好だった、というワケかい」
「ええ。でも、まあ……姉様から意図的に遠ざけられてた私は、あまりジャトラを目にする機会がなかったから。噂(うわさの真偽は定かじゃないけど」
フブキはあくまで噂だ、と念を押すが。それでもこの国の、カガリ家の事情の一切を知らないアタシにとっては貴重な情報源であることに違いはない。
「それに、ジャトラに限った話じゃないわ。もし本当に夫婦仲が悪かったとしても、それを表に出す真似はこの国の武侠なら絶対にしないと思うわよ」
「……ん? そりゃまた、一体どういう理屈だい?」
権力者の夫婦仲が悪いという噂は、確かにあまり広がりすぎては家名や評判を下げる事に繋がる。だから屋敷の使用人や住人らに箝口令を敷き、悪い噂を拡散させまいとする者もいるにはいるが。
アタシは、フブキの言葉の中に「この国の武侠なら」と含まれていたのが引っ掛かり。言葉の真意を訊ねていくと。
「武侠にはね、生涯ただ一人の伴侶を娶り、末期まで大事にすべし……って掟があるのよ」
「それってのはつまり、男は妻を一人しか持てないッてえ……コトかい?」
「えっ……え? 大陸じゃ、違うの?」
ジャトラの夫婦仲に話題が移ったつい先程から、フブキとの会話に微妙な差異を感じていたアタシだったが。
たった今、その理由が判明した。
大陸では、貴族階級のみ複数の妻との婚姻が許されているが。この国ではたとえ権力者であっても大陸の習慣とは違い、複数の妻を娶る事は許されてはいないようだ。
「だとすりゃ……ジャトラが新しい妻を手にするために、邪魔な今の妻子を魔竜に頼んで蛇人間に変えちまった、って案はナシだねぇ」
今、アタシが口にしたように。ただ「夫婦仲が悪かった」という理由のみで魔竜に頼んで、妻子を蛇人間へと変貌させてしまったという仮定は、アタシの頭から外された。
遠く離れ、事情を知らないアタシらでさえこの結論には行き着くのだ。ましてやジャトラが当主の座に強引に就いたのを快く思わない人間が知れば。
ジャトラの武侠としての意義を問われる、後々の禍根になるのは間違いないからだ。
アタシは胸の前で腕を組み、顎に手を置きながら。今、自分の手の内にある情報を整理していく。
「なるほど……ねぇ」
フブキの語る噂話が本当であるなら、何故に母親と子は蛇人間などに姿を変えられてしまったのか。
妻子が夫を、父親を案ずるあまり。父親の力になるために自ら魔竜の力を受け入れ、蛇人間になったのでは……と考えてはみたが。
だとすれば。子供が息を引き取った際に、父親と一緒に母親の名を口にする筈がない。何しろ、その母親と一緒にアタシらを襲撃してきたのだから。
その事から、少なくとも子供は母親が自分と同じ蛇人間に変貌した事実を知らなかった……と考えるのが自然だ。
だが……そこから先は、アタシがいくら頭を悩ませても。今知り得る情報の限りでは、ジャトラの真意と敵の事情を割り出すことは難しかった。




