77話 アズリア、氷の罠を張った意図
すると、先に魔力を発動させていたフブキに追いつくように、アタシの足元の地面は軋む音を立て。
アタシの魔術文字と、フブキの氷の加護。二つの力を浴びる周囲の地面は急速に固く凍り付いていく。
そして……詠唱を終えたフブキがカッと目を見開き、術式を完成させると。
「毘沙那っ──零凍波ああっ!」
「地面よ凍り付け……凍結する刻ッッ!」
アタシとフブキが声を揃えると同時に、見渡せる範囲の周囲の地面には白く霜が浮き。
完全に表面が凍結しているからか、地面からの冷気で周囲さ薄っすらと霧掛かっている。
「……ふぅぅっ」
アタシも聞いた事のない氷属性の魔法の名を口にしていたフブキは。発動と同時に大きく息を吐くと、ぺたりと凍った地面に座り込んでしまった。
見ればフブキの顔には、魔力の消耗による疲労が色濃く浮かんでいる。
「いや……想像以上だったねぇ、この結果は」
これでもアタシは当初、想定していた範囲の地面を凍結させるのはほぼアタシで。フブキの魔力で少しばかり補助してくれれば良い、と考えていた。
だが実際には、想定の範囲のほぼ半分ずつをアタシとフブキの魔力がそれぞれ凍結させる結果となった。
普段、氷の加護の力を使っていないフブキにとって。これだけの魔力量の放出は、さぞ身体に堪えただろうが。
「だけど。そのおかげで、アタシは随分と魔力を温存出来たよ……ありがとな、フブキ」
「え、ええ……どう、いたしまして……っ」
アタシは予想した以上の結果を見せ、地面に座り込んでいたフブキに歩み寄っていくと。起き上がろうとする彼女の肩に軽く手を置いて、労いの言葉を掛ける。
「イイって、無理しなさんな。アンタが頑張った分、アタシがさっさと終わらせてくるから」
「え、ええ……?」
そう断言するアタシの態度を不思議に思う様子のフブキだったが。
周囲の地面を凍結させてしまえば、もうこちらの優位は揺るがない。アタシはそう確信していた。
まず、蛇のように鱗を持つ生物は例外なく冷気や寒さに弱い、という特徴を持つ。
それを証拠に、寒い季の長い北の地・帝国では。毒蛇や蜥蜴の類いをほぼ姿を見なかったりする。
地面に潜って、こちらの警戒が緩むのを地中で待ち構えているのが。先にアタシとヘイゼルが戦った蛇人間と同様ならば。
地面を凍結させ、冷気を地中へと伝わらせれば或いは。寒さに耐えかねて顔を見せるのではないかとアタシは考えたのだ。
それと、地面を固く凍らせたのにはもう一つ理由があった。
その瞬間を聞き漏らすまいとアタシが耳を澄ましていると。
──ピ、キッ……パキ……パキ……
とある箇所から、不自然な凍結した地面が割れる甲高い破砕音が鳴り。アタシに敵の出現位置を教えてくれる。
「お、おいアズリア……今の音って、まさか?」
「……地面に潜ったならさ。凍った土を割らないコトにゃ、表に出てこられやしないんだからねぇ」
地表に張った氷が割れる音の不自然さに、ヘイゼルもまた音の異変に気付き、地面を指差して騒ぎ立てるが。
アタシは一本立てた指を唇に置き、何とかヘイゼルに聞こえるくらいの音量に抑えた声で。地面を凍結させた理由を説明していく。
先程、ヘイゼルと共闘し倒した三体の蛇人間もまた、地面に潜って姿を隠していたが。連中の姿を魔力で捉えた「魔視」で視ていた限りでは、地中を自在に動き回る様子は確認出来なかった。
それに地中を動き回れるならば。操っていた群野犬の動く屍体が倒された時点で、その場に留まらず奇襲に最適な位置へ移動を開始するだろう。
だからアタシは、地中での移動はない。もし移動出来ても大した距離を動けないと踏んで。周囲一帯の地面を凍結させたのだ。
これなら、凍結した地面の冷気で地中に潜ったままの敵の持久戦を許さず。寒さに我慢出来ずに顔を出せば、氷が割れる音が位置を知らせてくれる。
「……来るよッ」
「ああ、単発銃の準備は出来てるぜ」
こうして地面の割れる箇所を特定したアタシとヘイゼルは、それぞれの武器を構えてみせた。
勿論……またヘイゼルに背中から単発銃で撃たれそうになっては堪らない。
「次はアタシに当てるんじゃないよッ」
「い……いや、さっきも当てちゃいないっての!」
同士討ちを避けるためアタシは、馬上で単発銃ヘイゼルの射線とは交わらない位置で大剣を構える。
互いに軽口を叩いてはいたが、地面から出てきた敵を一撃で仕留める、という気持ちでは珍しく一致していた。
──と、いうのも。
アタシとヘイゼル、そしてフブキの視線の先には。
首筋を押さえて、力無く座り込むユーノの姿があった。心なしか、手で押さえる噛み傷が黒く変色している箇所が少し前に見たより広がっているのではないか。
アタシが治療出来るのは毒や化膿が精々であり、失った身体の部位まで再生することは不可能だ。
ハクタク村に出現した魔竜の吐息を浴びた村人は、その肉が腐って溶け落ち、骨が露出していた者もいた。もし、ユーノの身体を蝕む毒が肉を腐らせ溶かす類いの毒ならば。手遅れになる前に治療する必要がある。
「……急がないと、ねぇ」
一度、息を吐いたアタシは。氷の割れる音のする箇所に意識を集中し直す。
こちらが氷が割れる音から、飛び出す位置を把握しようとしている意図を知られたなら。死骸を操ったり、血の匂いで感知を避けようとした知性の持ち主だ。或いは地表を覆う氷にある程度亀裂を入れ、場所を変える虚撃的行動を取られる可能性もあったが。
視線が集中する箇所の氷の亀裂はバキバキ……と徐々に大きくなり、地面が急激に迫り上がってくる。
「攻撃を先んじれば、戦いには勝てる……それ、即ち先手必勝だよッッ!」
地面から姿を見せたと同時に相手を仕留めるため、アタシは自ら凍らせた地面を滑るように突撃し。
構えた大剣を、大きく真後ろへと弓に番える矢のごとく引き絞り。地面から飛び出してくると確信して渾身の力を込め、予測した位置へと鋭い刺突を繰り出していく。
もし攻撃を外しても、後方にはヘイゼルの単発銃が待ち構えているし。蛇人間の毒がアタシには効かないのも前の戦闘で実践済みだった。
だから、なのだろうか。
何の憂慮のなく、アタシが前方へと放った一撃は。今まで以上に力と体重が大剣に乗った、まさに「渾身」と呼ぶに相応しい一撃となり。
『ギェェェヤアァァァァア゛ッ⁉︎』
まさか、地面から頭を出した途端に攻撃が待っているとは露にも思ってみなかっただろう。子供の姿から、すっかり蛇人間に変貌していたその胸板ど真ん中に。
アタシの放った大剣が深々と突き刺さっていき、ユーノを噛んだ口からは苦悶に満ちた断末魔が発せられた。
先程もだったが蛇人間の身体からは一滴の血も流れはしなかったが。胸を貫通した一撃は間違いなく致命傷を与えた、と確信したアタシの目前で。
「お、おいアズリアっ、何だよっ、この黒い煙はッ?」
「……う、嘘、だろッ……?」
蛇人間だった身体のあちこちから、まるで瘴気のようなどす黒い煙を発しながら。その姿が再び、ユーノが拾い上げたジャトラの子供の姿へと変わっていった。
「毘沙那零凍波」
本来ならばカガリ家ではなく八葉の一角・シラカミ家の血統が持つ雪の守護神ビシャナの力と、始祖たる凍の女皇カイの加護を具現化し、氷の精霊が司るのとほぼ同等の冷気を操り。
術者の周囲に極低温の空気を発生させて、範囲内の物質に影響を与える。水は瞬時に凍結し、長く留まれば生物も致命的な凍傷を負うこととなる。
実は、カガリ家の始祖・焔の女皇エレとシラカミ家の始祖・は凍の女皇カイ同じ血が流れる姉妹だったため。
マツリとフブキのように双子が誕生した際には、ごく稀に、片側に凍の女皇カイの加護が顕現する可能性がある。




