74話 アズリア、眷属の最後の罠
はぁ……と溜め息を吐いたヘイゼルは、少し身を屈めて馬上からアタシの肩をぽんぽんと叩きながら。
「あんたが化け物じみた女だってのは知ってたけど……まさか、毒まで効かない鈍感だったとは驚きだよ、まったく……」
魔術文字の効果で毒を排出したアタシを「鈍感だ」と決め付けてくる、そんな彼女の態度に。
正直、苛立ちを覚えたアタシではあったが。
「鈍感ッて……いや、まあ。もうイイよ……それで」
だがヘイゼルには、魔術文字の一切を教えておらず。ただ「魔法が使えない」と伝えていた事情もあり。
ここで今さら、魔術文字について彼女に語るのも面倒だし。フブキやユーノもアタシらが無事に戻ってくるのを待っているだろう。
なのでアタシは、ヘイゼルの誤解を敢えてそのまま放置し。
「それじゃユーノたちのところに戻るよ。途中で拾った子供も気になるし、ねぇ」
周囲には蛇人間の気配は既にないのを確認してから、馬上のヘイゼルに指と腕で合図を送り。
血塗れになって道に倒れていたジャトラの子供と、それを発見したユーノ。そして、シュテンに乗せたままのフブキと合流することにした。
ユーノが発見した子供が、タツトラというジャトラの子供だと判明したのは。同乗していたフブキが子供の顔を記憶していたから、だが。
父親の元から逃げ出してきた理由が理由ならば。助けた子供から、もしかしたら有益な情報を聞き出せるかも……という僅かな期待もある。
「あっ……お姉ちゃんっ? よかったあ……ぶじだったんだねっ」
「おーい、どうだいユーノッ? 子供は目を覚ましそうかい?」
蛇人間との交戦の位置は、子供が倒れていた場所とは大した距離を空けていなかったためか。ユーノらとはすぐに合流することが出来たが。
「ううん……ぜんぜんだよっ。さっきからこのこども、うんともすんともいわないよぅ……」
ユーノが左右に首を振りながら言うように。地面に座り込んだ彼女の膝に、頭を置いた状態の男の子はというと。蛇人間と交戦する前と変わらず意識のないままだった。
そう言えば。この子供を拾い上げたユーノは、発見してすぐに簡単な治癒魔法を使ったという話をしていたが。
それでも目を覚まさないとなると、身体のどこかに大きな傷を負っているのかもしれないが。何しろ子供の身体は群野犬の血に塗れており、一見しただけでは身体の傷の箇所を特定するのは難しい。
治療するにしても、まずは水場に行って身体に付着した血を拭わないことにはどうにも出来ない。
「よし。それじゃユーノ、その子はヘイゼルの馬に乗せてやりなッ」
「う、うん、わかったっ」
幸い、昨晩に野営をした側に流れていた小川は。アタシらが通る山道からあまり離れていない場所を流れていた。
なので、子供の身体に付着した血を洗い流すために。アタシはユーノに対して、子供の身柄をヘイゼルが騎乗する馬の背に乗せるよう指示するが。
その決定に異議を挟むのは、ヘイゼルだった。
「お、おい! あたいに相談なしに勝手に決めんじゃないよっ……大体その子供は誰なんだっての?」
確かにヘイゼルの馬に騎乗していたのは、ヘイゼルただ一人ではあったが。馬の腰にはアタシとフブキ、ユーノと四人分の野営に必要な荷物が積まれていた。
しかもヘイゼルの馬は、アタシの馬と比較して少しだけ見劣りする体格をしている。だからヘイゼルが反対する理由も、理解は出来たのだが。
アタシは、自分が乗るべきシュテンの背中を指差してヘイゼルに言い返す。
「仕方ないだろ。アタシの馬はもう二人乗せてんだし、背がいっぱいいっぱいなんだよッ」
「そりゃ、まあ、そうだけど……よぉ」
そう。いくら体格の優れたシュテンだが。身体の大きなアタシが跨がり、さらにその背後にフブキが騎乗してしまうと。
まだ意識がある子供なら、フブキにしがみつけば何とか乗れそうな余裕はあっても。さすがに意識のない子供の身体を載せる程の空間の余裕は、シュテンの背中に残ってはいなかった。
「わかった、わかったッ。ヘイゼル……アンタの積荷は、次の野営の時にいくらかこっちでも引き受けてやるからさ」
「……その約束、忘れんじゃないよっ」
なので、さすがに出発を急ぐ今には無理だが、陽が落ちて野営の時に。
子供を載せたのと同じ程度のヘイゼルの馬の積荷を、アタシの馬に積み換える案で納得して貰う。
実は、子供の血を洗い落とすだけなら。別に川辺に向かわなくても方法は、ある。
アタシが師と呼ぶ大樹の精霊から授かったのが「生命と豊穣」の魔術文字なら。
メルーナ砂漠で出会った水の精霊から授かった、「生命の水滴」の魔術文字には。子供の身体を洗う程度の量の水を生み出す効果を発揮出来る。
水で身体を綺麗にし、負傷の箇所や具合を確認出来れば。今度こそ治療のために「生命と豊穣」の魔術文字を使えばよい……のだが。
これから黒幕が待ち受ける敵の本拠地に突入するにあたり。魔力の消耗は出来る限り抑えておきたい本音もある。
フルベ領主の屋敷に強襲を仕掛けた際に、魔力が底を尽きかけていた状態だったアタシは。護衛の武侠や死霊術師に想定以上の苦戦を強いられることとなった、苦い記憶があったからだ。
「それに……アタシらにゃ、ここを早く離れなきゃいけない理由があるんだっての」
アタシがこの場を離れようと急く理由、それは。
ジャトラの子が、カガリ家の秘密の抜け道を知ってか知らずか使ってしまい。その後を蛇人間が追跡し、挙げ句にアタシらを待ち構える罠まで仕掛けていた時点で。
この抜け道は最早、敵に認知されていない安全な場所ではなくなってしまっていたからだ。
ヘイゼルにも許可を貰ったことで。アタシはユーノに目配せをして、倒れて意識のない子供を手早く馬に乗せるよう急かしていく。
「予定通り子供はヘイゼルの馬に乗せて、すぐにこの場を移動するよッ!」
「それじゃ……んしょっ」
──この時。
アタシは先を急ぐ事にばかり気が入ってしまい。ユーノらの周囲を一度「魔視」で確認していた事もあってか。
だから、絶対に魔竜と関係している蛇人間が。「群野犬の死骸を操る」「爪に毒を仕込んでいた」などと度重ねての罠を仕掛けていた事を忘れ。
子供への警戒心をすっかり解いてしまっていたのだ。
「ひ──ぐぅっっっっ⁉︎」
突如。ユーノが妙な叫び声を口走るまでは。




