73話 アズリア、眷属のもう一つの罠
「──おおおおおオオオオオオオッッ‼︎」
周囲の空気がびりびりと震える程の咆哮を口から吐きながら、アタシの手より放たれた大剣の一撃は。
頭を庇おうと、蛇人間の堅い鱗をびっしりと生やし防御の姿勢を取って交差させていた両腕を。まるで釣り上げた魚を捌くように簡単に斬り落とす。だが、両腕を切断してもなお大剣の威力が減衰することはなく。
勢いのままに大剣の刃は、両腕が斬り落とされ驚愕する蛇人間の頭蓋を容易に叩き割り。それだけで終わらず、頭を両断した大剣は蛇人間の身体を縦に両断していった。
「……ふぅ、終わったねぇ」
頭から真っ二つになった蛇人間の身体が、ゆっくりと左右別に割かれながら地面へと崩れ落ちていくのを見て。
胴体を上下に両断され、或いは頭を吹き飛ばされ。既に地面に倒れていた二体の蛇人間が動く様子を見せていないのを確認したアタシは。
ようやく敵の襲撃が終わった、と息を吐くと。
「それはそうと……おいヘイゼルッッ!」
アタシは戦闘に起きたとある出来事を思い返すと、沸々と湧き上がってきた怒りを抑え切れず。つい馬で周囲を駆けていたヘイゼルを大声で呼び止める。
「何だい、何だい。戦いは終わったってのに、カリカリとしやがってっ」
「何だ、じゃないだろッ!」
怒声にも似た呼び声を耳にしたからか、手綱を強く引いて馬の脚を止め。惚けた態度と軽い口調で反応したヘイゼルに。
アタシは無遠慮に少々乱暴な歩調で歩み寄っていくと。脚を止めた馬の前に立ち、怒りの理由を口にしていった。
「アンタ! あそこでアタシがすぐに頭を下げたから良かったものの……下げなかったらアタシに鉄球が当たったかもしれないじゃないかッ!」
「……ああ、あの時の単発銃かい」
アタシがここまで憤慨していたのは、二体目の蛇人間の頭をヘイゼルの単発銃が吹き飛ばした時の状況だ。
あの時、ヘイゼルが「頭を下げろ」と突然アタシに指示を飛ばしてきたが。その時点でアタシは眼前に迫る蛇人間を迎撃するために、続けて攻撃の態勢に入るまさに直前だった。
しかも、蛇人間の頭に単発銃の鉄球が炸裂したのは。アタシが呼び掛けに反応し、頭を屈めて間もなく、だったと記憶している。
「あの時、アタシが咄嗟に身体屈めたから上手くいったけどッ……」
つまり、アタシがヘイゼルの呼び掛けに応えずに。そのまま大剣での攻撃姿勢を崩さなかったら、下手をしたら彼女単発銃から放った鉄球はアタシの背中、もしくは頭に命中し。蛇人間と同じ運命を辿っていたかもしれないからだ。
「おいおい、そんな怒んなって。この場でアンタに倒れられたら困るし、あたいだってそのくらいは考えてあったさあ」
「だ、だけど……あ、アンタさぁッ──」
だが、アタシの憤りを聞いてなお。まるで反省する様子も見せず、変わらず軽い口調でこちらを宥めようとするヘイゼルの態度に。
アタシは馬の前からヘイゼルが跨がる馬の横へと移動し、一旦彼女を馬から引きずり下ろしてやろうと画策するが。
「ちッ……目に、血が入ってきやがった……」
少し身体を動かしたことで、側頭部の傷口から流れていた血が僅かに目に入る。
蛇人間との最初に交戦の際に。繰り出された鋭い爪撃を完全に避け切れず、側頭部を掠めてしまった傷だ。
「お、おいおいアズリア、あんた……怪我してるじゃないかっ?」
アタシが傷から血を流しているのを知るなりヘイゼルが驚き、心配するような反応を見せた。
単発銃をアタシに当たるかどうか、という間一髪の攻撃を仕掛けてなお一切悪びれる様子を見せなかったあのヘイゼルが、である。
「あ……いや、まあ、大した傷じゃあないよ」
「い、いや、そうじゃなくて、だねえ……っ」
ヘイゼルの態度の豹変ぶりに、アタシは少々戸惑いもしたが。
おそらく、騎乗しながら戦況を見ていたヘイゼルからすれば。つい先程の蛇人間との攻防で、アタシが一方的に優勢な展開だと見えていたのかもしれない。だからこそアタシが傷を負うという予想外の結果に、彼女は驚いたのだろう。
慌てていたヘイゼルを落ち着かせるために、アタシは傷のあるだろう側頭部に自分の腕を当て。一度、傷口から流れる血を拭い取っていくと。
血の付着した腕を見て、何故ヘイゼルがそこまで驚いていたのかの理由を知る事となる。
「ん? アタシの血が、黒い……」
腕に付着していた自分の血が、良く知る真っ赤な色ではなく。一部にどす黒く変色した血が混じっていたからだ。
傷口から黒い血が流れているのを見たら、ヘイゼルとて驚くのも無理はない。
言っておくが、如何にアタシが誕生した帝国では肌の黒い人間が生まれることは滅多になく。それ故に周囲の人間から「悪魔の子」と呼ばれていたからとはいえ、身体に流れる血まで黒くなったわけではない。
これまで幾度もなくアタシも血を流す機会はあったが、そのいずれも流した血は普通の人間と同じく真っ赤な血だ。血が黒く染まった事などただの一度もない。
……だが。
「この黒い血……もしかしたら……ッ」
思い当たる事があったアタシは。腕に付着した普段通りの赤い血を避け、どす黒く染まった血を舌の先で僅かばかり舐め取っていく。
すると、一瞬舌に突き刺さるような強い痛みを感じた後。身体の奥が僅かに熱くなり、頭の中に「生命と豊穣」の魔術文字が浮かび上がる。
「やっぱり、ねぇ……あの蛇人間、律儀に爪に毒まで仕込んでやがったみたいだね、しかも、相当強い毒を、さ」
「は? え?……え、その黒いのは、毒だってのか?」
まだ状況がよく飲み込めていないヘイゼルの疑問に、アタシは無言でこくんと小さく頷いてみせる。
つまりは、血が黒く染まった原因は「蛇人間の爪に含まれていた毒」だったと肯定してみせたのだ。
アタシが「師匠」と呼ぶ大樹の精霊と初めて出逢った、大陸中央に位置する大きな国・シルバニア王国の王都にて。
理由あって王都を立ち去る時に、大樹の精霊がアタシに授けてくれたのが。「生命と豊穣」の魔術文字だった。
入手した当初は、簡単な傷を治療したり、軽い食当たりを鎮める程度の効果しか発揮出来なかった魔術文字だが。
アタシの魔力容量が大きくなり、魔術文字への理解度が増してくると。癒せる傷や病も徐々に増えていき。そして今では、魔術文字を発動せずとも病や毒を受け付けない身体になっていたのだ。
なので、今のアタシには毒が効かない。
魔王領で毒蛇に咬まれた時にも、傷口からは血に混じって毒蛇の毒が排出されるのを思い出したアタシは。
今度のどす黒く染まった血も、蛇人間の爪に含まれていた毒だと考えたのだ。
魔術文字の知識どころか存在すら知らないヘイゼル……無理もない話だ。魔術文字とは、もう二、三百年以上も昔に使われて久しい、過去の魔法なのだから。
だからアタシは、魔術文字の一切を明かさずに。毒が吐き出された経緯をヘイゼルに説明していくと。
「アタシさ、いつ頃からか毒が効かない身体になってたみたいでね。血が黒くなったのは、勝手に毒が吐き出されたんじゃないかねぇ」
「な、何だよ……その『毒が効かない』ってのは……むしろ、そっちのほうが驚きの話だってえの」
疑問は解消されるどころか、ヘイゼルの顔はさらに疑問が深まったかのような表情へと変わっていき。
最後には呆れたような……先程よりも冷たい視線を向けられてしまう。




