69話 アズリア、死した群野犬との戦闘
どちらにせよ、意識を失い倒れている子供の正体がわからなければ。下手に治療を施すことも、馬に同乗させる事も出来ず。
フブキを護衛する目的から、アタシは馬から降りれずにいたのだったが。
「ねえ、どうするお姉ちゃん?……ボク、そろそろここいるの、やだよ」
「……ああ、そうだねぇ。アタシもこんな場所、出来るだけさっさと離れたいよ」
いつもの明るい雰囲気の声ではなく、一段声を低くして。周囲を警戒していたためか、鋭い目線で騎乗したままのアタシに問い掛けるユーノ。
確かに、群野犬の濃い血の匂いが漂うこのような場所で。いつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。
アタシは倒れている子供に視線を落とし。
「とりあえず、その子供は……ヘイゼルの馬に乗せるとするかねぇ」
いくら子供とはいえ、黒幕の人物に関連した敵か味方か素性の知れない人間を。護衛対象であるフブキと同じ馬には乗せられない。
ならは、フブキを後ろに乗せたアタシではなく。一人で騎乗しているヘイゼルの馬の背に乗せるのが妥当という話だ。
「でも、お姉ちゃん。まだ、ヘイゼルちゃん……きてないみたいだよ?」
ユーノの言葉にアタシは、後ろに伸びる馬を走らせてきた山道を振り返ると。
ヘイゼルを乗せた馬はまだ遠くを走っており、この場所に到着するのはもう少し待つ必要があった。
「まったく……しょうがないねぇ、ッ」
これだけ二頭の馬の距離が空いたのは、ヘイゼルの騎乗する馬には四人分の荷物が積まれているからかもしれなかったが。
それならば軽装のヘイゼルと違い、こちらの乗り手であるアタシは重装備であり。しかもフブキが同乗している分で、載せている荷物の重さは相殺していると思うので。
やはり、馬の性能の違いなのが大きいのだろう。
アタシらは一度、緊張を解すために息を吐いて。ヘイゼルが到着するのを今か今かと待ち侘びていたが。
こちらへと近付いてくる馬上のヘイゼルは、何故か馬を止める気配を見せずに寧ろ加速させ。懐から射撃武器である単発銃を取り出していた。
と、同時に。
「──っ! お姉ちゃんっ!」
「ああ……わかってる、よッ」
アタシとユーノが互いに、背後に何かが蠢く気配を察知し。
ユーノは両の拳を握り、アタシは左手で手綱を操りながら。右手を背中へと伸ばし、しっかりと大剣を構えたままで騎乗した馬ごと振り返ると。
脚が折れたり、首から上がなかったり、腹から内臓が飛び出ていた、一つとして綺麗な死に様のない群野犬の死骸が。びくびくと痙攣を起こしながら、まるで生きていたかのように動き出していた。
「うえええ……き、きもぢ、わるいいい……な、なにあれ、お姉ちゃんっっ?」
「いや、ユーノ……ありゃ動く屍体だよ、アンタだって何度も見てんだろ」
ゆっくりと動き出す群野犬の死骸に、あからさまに嫌悪感を示すユーノだったが。アタシの言葉の通り、初めて動く屍体を見たという事ではない。
寧ろ、魔王領で人間と戦争をしていたユーノは。戦場に放置された遺体が日常的に動く屍体へと変わる様を数え切れない程見てきていた筈だが。
「そりゃ……そうだけど……う、うう、あれとたたかうの、ボク……やだなあ……」
確かに、ここまで酷い損傷を負った死骸が動く屍体になるのを見れば。ユーノでなくとも嫌悪感を示すのは無理はないだろう。
ユーノが先制攻撃を躊躇している間にも、動く群野犬の死骸はゆっくりと四足で立ち上がり。
腹が開き内臓を地面に引きずったままの一匹が、ユーノに狙いを定め飛び掛かろうとした途端。
ズ────ドォォォォォォン‼︎
「うえっっ⁉︎」
アタシらがこれまでに幾度も聞いた、火薬の炸裂音とともに。群野犬の胴体と前脚がアタシらの眼前で粉々に吹き飛び。
ぐしゃり、と胴体と二本の後脚だけとなった死骸は。まだ蠢いてはいるものの、自らの血の海に身体を沈めていく。
人の力で放つ投石器や長弓、そして機械仕掛けの十字弩ともまた違い。
着火させると凄まじい爆発を起こす「火薬」なる黒い粉を利用して、小さな鉄球を放つ仕組みの射撃武器を使うのは。
アタシの知る限りヘイゼル以外にはいなかった。
「ほらほら、ぼけっとしてんじゃないぜ!」
すぐ側まで迫っていた騎馬に跨がっていたヘイゼルは、既に使い終えた単発銃を腰にしまうと。
次の単発銃を構え直しながら、アタシらとすれ違っていく。
矢を弾く金属鎧の厚い装甲ですら、易々と貫く威力の単発銃だが。当然ながら欠点もある。
石や矢を番えば直ぐに次の攻撃が放てる、という代物ではなく。次に発射するための準備に膨大な時間を要する、という欠点だ。
鉄の筒に敵に放つ鉄球と、発動用の火薬をしっかりと詰める準備を終える頃には。離れた敵に直接殴られるまで接近を許してしまう、それ程の時間が懸かってしまう。
故に、今のヘイゼルのように絶えず動き回るか。もしくは絶対に敵を接近させない壁や前衛が必要となるのだが。
「……やれやれ、仕方ないねぇ」
ユーノが気持ち悪がって動けないのだとしたら、アタシがその前衛役を買ってでるしかない。
そりゃ、アタシだってぐちゃぐちゃと蠢く気味の悪い死骸を「素手で殴れ」と言われたら、一度は断りたくもなる。
ならば、動く屍体と一定の距離を保てる、攻撃範囲の広い大剣を持つアタシのほうがまだマシという事だ。
「初めて、一緒に戦うコトになるけど。シュテン、アンタなら……行けるね」
別にアタシは騎馬に語り掛けたわけではなく。ただ独り言を呟いたに過ぎなかったが。
そんな言葉にすら、シュテンは少しばかりこちらに振り向くと。ヒィィン、と軽く嗎いてみせた。まるでアタシの言葉に応えるか、のように。
ならば、と。手綱を横へと引き、目の前の既にヘイゼルが無力化した死骸ではなく。周囲で同じ様に動き出していた首から上のない死骸に向けて、馬を走らせていき。
握っていた大剣を大きく頭上へと掲げていくと。
「下手に斬っても、また動き出しちまう。斬るんじゃなく……叩き潰すッ!」
生き物が相手であれば。刃を真下へと向け、肉を深く斬り裂くというのが通常の攻撃方法だったが。脚を一本斬り落としたり、首を刎ねた程度では、一度死んだ相手である亡者を止めることは難しい。
だからアタシは刃を真下に向けずに。平たく分厚い大剣の腹の部分で殴打するように、馬上から勢い良く振り下ろしていった。
「一度死んだんだ、もう黙って死んでおきな──よおッッ!」
片手一本ながら渾身の力で一直線に振り下ろされた大剣の勢いと、武器そのものの重量に。馬の突進力も威力に加算され。
首のない群野犬の動く屍体は、ぐしゃり!と木から落ちた熟れた果実の如く叩き潰され。地面へと大きく真っ赤な滲みが広がっていった。
「おッ?……お、おッ……」
やはり、大剣を振るった感触に。アタシは微妙な違和感を覚えずにはいられなかった。
昨晩、堅い青竹を両断した際にも感じたのだが。妙に、力を加減出来ていないような……自分の感覚と、実際の結果のズレが気になって仕方がなかった。
今の攻撃だって、アタシが思い描いていた結果はヘイゼルの単発銃と同じ程度。死骸の胴体を半分ほど叩き潰せれば良いという想定だったのだが。
実際には、まるで石臼で擦り潰したかのように群野犬の死骸全体をぐしゃぐしゃに潰してしまったのだから。




