65話 アズリア、馬の名は
「……で。それだけ?」
「えっ?」
髪を褒められ照れていたアタシの様子が気に入らなかったのか、少し苛立った口調でユーノが口を挟んできた。
アタシに、ではなく。髪を褒めたフブキに対して。
「だからっ。お姉ちゃんのかみのけにあわせただけなのか、ってきいてるのっ」
「勿論、それだけじゃないわよっ」
だが、ユーノの問い掛けにもフブキは一歩も引く様子もなく。馬の候補に、と挙げた「シュテン」という名前の由来を続けて説明し始める。
「この……シュテンって名前はね。アタシの父様が生まれるより遥か昔、このシラヌヒの地を根城にしてた魔族の名前なのよ」
「ふ、ふうん……そうなんだっ、まぞくが」
「そう、魔族が」
魔族、という言葉を聞いて。ユーノの眉が僅かに動くのが見えた。
それもその筈、ユーノが生まれ育った魔王領には。獣人族だけでなく、多彩な魔族が共に暮らしていたのだから。
「……数々の武侠がシュテンを退治するために向かったそうだけど。全員が返り討ちに遭った……それほどに強力な魔族だったらしいわ」
続けられるフブキの説明によると。中でもシュテンという名の魔族は、アタシ二人を縦に並べた程の巨躯を誇り。
巨体に見合った怪力と手にした巨大な金属棒から繰り出される攻撃の威力は。一撃で鎧兜に身を固めた武侠を叩き潰し、地面を大きく割り、山をも砕いたという。
またその身体は硬く、武侠の武器を弾き返し、魔法すら通さなかったらしい。
「にしてもさ。それ……なにしてるの、フブキ?」
「え? 魔族と言えば、頭に二本の角を生やしてるのが普通でしょ」
ユーノが指摘したのは、馬の速度がゆっくりなのをいい事に。フブキが落馬しないよう掴んでいたアタシの腰から手を離し。一本立てた指を魔族の角に見立て、両手を頭の上に掲げてみせた格好であった。
「いや、まあフブキ……そうとも言えないんだけどねぇ……」
とは言え、フブキの言う「魔族は角がある」というのは明らかな偏見であった。
少なくとも……アタシが知る限りでは、頭からこれ見よがしな角を生やした魔族は。ユーノの同僚である四天将・バルムートが族長の、牛魔族と呼ばれる種だけだ。
「えっとね、フブキっ。まぞくってのは──」
「ま、待った待った待った、ユーノッ?」
おそらくユーノは、魔族が牛魔族だけでなく様々な種がいる事をフブキに教えてあげようとしたのだろうが。
悪魔族に淫魔族、蠍魔族に角魔族、果ては幼魔族に蜘蛛脚族など。挙げていけばキリがない。
だから今はフブキの提案した馬の名前の由来を聞いておくのを優先させるべき、と思い。アタシはユーノの話を遮る。
「ほ、ほらッ……フブキ、まだ話の続きがあるんだろ?」
「ええ、実はね。シュテンを頭領とした凶暴な魔族たちを討伐し、シラヌヒから追い払った人物こそが、何と……最初にカガリ家を創設したのと同じ人物なの」
「ま、待てよッ……てコトは、つまりだ」
ユーノの言葉を制したことで、語られたフブキの説明によると。
提案した「シュテン」の由来になった強大な魔族は、フブキらカガリ家が創設される要因となった存在らしい。
強大な敵と守護者、立場こそ真逆かもしれないが。伝承として名を残し、集団に少なからず影響を与える存在という意味では。フブキが言う「シュテン」という名は、ユーノが提案してくれた「黒の獅子」と同格と呼ぶべきかもしれない。
「……なぁ、イイのかい? そんな名前、勝手に余所者のアタシなんかが使っちまって、さ?」
いくらなんでも、馬に跨って騎乗するのはこの国の人間ではない部外者のアタシなのだ。
家の始祖が倒した魔族の名前を冠して、果たして良いのかどうかを、アタシは名前を提案してくれたフブキにあらためて問うが。
「はあ?……何言ってんのよ。アズリアは、これから同じような事をしに行くんじゃないっ」
「いやいやいや。魔族討伐と一緒にされたらさすがにアンタの家の始祖様が泣くぞ……」
フブキが姉マツリと再会するのを、何としてでも妨害し、阻止してくるであろう黒幕のジャトラは。確かに自分の支配下にある武侠らの戦力を、総出でアタシへとぶつけてくるだろうが。
フルベの街で領主の屋敷に突入した時とは違い、今のアタシは体力・魔力ともに完全回復し充実しているし。
ジャトラの戦力全てを退ける必要はないのだ。
「……むうぅっ」
何故か、謎の唸り声が横から聞こえてきたので、アタシは声の方向に振り向くと。
両の頬を膨らませ、あからさまに不機嫌な表情を浮かべていたユーノがジッとこちらを睨んだまま口を開く。
「──でっ? お姉ちゃんは、さんにんのなかから、だれのなまえをえらぶのっ?」
ユーノの言葉を聞いてか、背中越しに感じるフブキのであろう熱っぽい視線と……もう一人分の視線。
これまでに出された名前の候補は。
ユーノの「黒の獅子」。
ヘイゼルの「海神の怒り」。
そしてフブキの「シュテン」、の三つだ。
まあ……ヘイゼルの候補は選択肢から除外しているため。実質的にユーノとフブキのどちらかの名前を選ぶか、に絞られる。
二人が挙げてくれた名前の候補は、どちらも良い響きの言葉であり。今後も共に旅をする仲間の名前としては申し分はなかった、のだが。
「さて……どうしよう、かねぇ」
問題は、どちらの候補を名前に選んでも。選ばれなかったもう一方の機嫌を損ねてしまう点だ。
フブキとユーノ、双方に痼りを残さないためには。ヘイゼルの挙げた名前を選ぶ、という手段も残されてなくはない……のだが。
これからの旅路を共にする馬の名前に、一度も信仰したことのない海神の名を付ける、というのは。アタシにはどうにも抵抗があった。
「じーっ……」
「……(ごくり)」
しかも、頬を膨らませながらも期待を込めた目でアタシを黙って見ていたユーノと。背中越しに誰の名前候補を選ぶのか、唾を飲んで。同じく無言のまま見守っているフブキの様子から。
話題を変えて、馬の名付けの決定を先延ばしにする方法は取れそうにはなかった。
悩んでいたアタシの態度に、緊張感が高まったからなのか。先程までずっと沈黙を貫いていた二人は、途端に口を開き饒舌になると。
「も、もちろんボクのなまえだよね、ね、ねっ、お姉ちゃんっ?」
「あっ? そういう態度は卑怯よユーノっ……で。選んだのは、私の名前よね?」
二人は互いに、自分の挙げた名前が選ばれたのだという前提で相手を牽制し合い。
そして最後は二人が声を揃えて、どちらの名前を選んだのかを問い掛けてきた。
「お姉ちゃんっ?」「アズリアっ?」
ならば、と。アタシは決断する。
二つの名前候補のどちらを馬に付けるか、を。
「──決めた。決めたよ」




