64話 アズリア、フブキが提案した名前
……それにしても、である。
望んでなかった事もあり、あまり期待はしていなかったが。まさかユーノの提案した馬の名がここまで良い言葉だったのは意外だった。
本当ならば、自分が乗る馬だ。アタシが名付けたほうが愛着も湧く、という理屈だが。
「なら、ユーノの言い出した名前を……貰うとするかねぇ」
「うんうんっ!」
アーテレオ。
ユーノの口から出た名前の響きの良さに、すっかり感心したアタシが。馬の名を決定しようとした──まさにその時。
「ちょっと待ちなよ、アズリア」
「ん、ヘイゼル? 何だってんだい?」
アタシと並走するユーノとの会話に、ちょうど反対側から割り込んできたのは。こちらと違い、背中に誰かを乗せず一人で騎乗していたヘイゼルだった。
彼女が片手で馬を御する手綱を握ったまま、もう片手の指を立て自分の顔の前で左右へと振りながら。
「馬の名前を決めるんならさ。あたいの提案を聞いてからでも、遅くはないんじゃないかい? ん?」
どうやら、お節介にも馬の名前を考えていたのはユーノだけではなかったようで。
アタシやユーノに対し、ニヤリ……と不敵な笑いを浮かべていくのは。余程、提案する名前に自信がある表れなのだろうか。
「む、むむっ……ま、まけないもんっ」
あからさまに対抗心をぶつけられたユーノはというと、ジッとヘイゼルを睨みながら。どんな名前が飛び出してくるのかを待っている様子だ。
だが、アタシとしては他人に任せる気のなかった馬の名付けで、変に二人に対抗意識を持たれても困る。
いや……揶揄っているヘイゼルは何の心配もしてはいないが。アタシが心配しているのは、単純な性格のユーノが後を引かないか、だった。
「ほら、そういうのイイから。さっさと喋りなヘイゼル」
「何だい何だい、もう少し楽しませてくれてもいいじゃないかい」
なのでアタシは。ユーノへとつまらない挑発を続けるヘイゼルを適度に諫めつつ、考えてくれた馬の名前候補を口にするよう急かすと。
「そうさね。あたいは『ネプティス』なんて良いと思うんだが……どうだい?」
ヘイゼルの提案を聞いた最初こそ、ユーノの提案である「アーテレオ」にも負けない言葉の響きだと思ったアタシだったが。
すぐにアタシは、ある事に気付いてしまう。
「おい……ヘイゼル」
「ん、何だい? あんまりに良い名前すぎて、ユーノの提案を忘れちまったとか、かい?」
軽口を叩くヘイゼルだったが、アタシの反応を見て意地悪そうに口端を広げて笑う彼女の顔から。
どうやらアタシが提案された名前の由来に気付くのも、想定内だったのだろう。
「あのなあ……この名前って、ほとんどアンタの乗り回してた海賊船の名前じゃないか」
「あははっ、やっぱわかっちまったか?」
そう。アタシとヘイゼルの初遭遇は、商船から強奪を行う海賊側と、商船の護衛という敵同士だった。
交戦の結果、アタシは追撃を阻止するために。ヘイゼルの旗艦とも言える大型の帆船を破壊したのだったが。
後で彼女から聞いた話だが、ヘイゼル率いる大海賊団の旗艦の名前は確か──「海神の怒り号」だったと記憶している。
「アンタねぇ……自分の船の名前ッてなら、何もアタシじゃなくアンタが乗ってるその馬にでも名乗らせりゃイイだろうが」
しかも、ヘイゼルが提案した馬の名……というより、元は彼女の船の名前には。ご丁寧に海を守護する神・海神の名まで含まれていたりする。
陸を走らせる馬に海神の名を付けるなど、冗談が過ぎるという話だ。
「じゃあ、アンタに選んで貰えなかったらさ。そうさせてもらうよ、ははっ」
「……ッたく。はは、じゃねえだろ」
どうやら真面目に考えてくれたユーノとは違い。ヘイゼルはアタシやユーノを揶揄いたかった一心で、会話に加わってきたのだと今、アタシは確信した。
ヘイゼルの提案した名前は、アタシの頭の中で自動的に候補から外れ。残ったのはユーノの案である「アーテレオ」のみが残る。
「なら、ユーノの案で決まり……かもねぇ」
当然ながら、アタシもいまだに自分が馬の名を付ける事を実は諦めてはいなかったが。
どうにもアタシの発想力が貧困なのか、ユーノが提案した言葉以上に響きと意味の良い名前を思い浮かべることが出来なかった。
ならば、そろそろユーノの名前で決定しても良いのではないかと思い始めていた……のだが。
「……ん?」
ふと脇腹に感じたのは、アタシの後ろに騎乗していたフブキが落馬しないように掴んでいた手が腰を叩く感触だった。
「ちょ、ちょっとアズリア……私の案も聞いてよっ?」
フブキの悄らしい態度に、注意を向けなければ気付かなかった程度の軽い感触だったのは。
おそらく、つい先程に脇腹を強く掴まれた事で手綱を離して落馬しそうになったアタシがフブキを睨み、諌めたのが原因だろうか。
「……もしかしてフブキ。アンタも馬の名前、考えたってのかい?」
ユーノにヘイゼル、と馬の名付けに手を挙げたのだから。最後に残ったフブキが名前候補を考えていても、もう別に驚くことではない。
アタシの問い掛けに、フブキも無言で頷いてみせた後。
「あのね……シュテン、なんてどうかな?」
フブキが提案してきた名前は、やはりアタシには聞き覚えのない言葉だったが。フブキの言葉もまた、ユーノの提案に負けない良い響きに興味が湧く。
アタシが言葉の由来を訊ねるよりも先に、フブキはアタシの脇下から手を伸ばして。乗っていた馬の首辺りを指差していき。
「よく見て。鬣の中に数本、赤い毛の束が混じってるでしょ」
「お、ホントだ。さすがは連れてきただけあって、よく見てるねぇ……」
馬を走らせてる最中に、鬣を撫でたりすると脚を止めてしまう時もあるため。注意深く、フブキが指差した箇所の鬣を確認していくと。
確かにフブキの言った通り、真っ黒な艶のある鬣の中にまるで炎のように鮮やかな赤い髪が数束、混じっていた。
「で。それと、シュテンって言葉に何か繋がりがあったりするのかい?」
「シュテンの『シュ』はね。赤い、って意味なの。ほら、アズリアも綺麗な赤い髪してるじゃない……だから、ね」
不意に飛んできた髪を褒めるフブキの言葉に、アタシは恥ずかしさが込み上げてきたのか、頬が熱くなるのを感じ。
「あ、ありがと……ッ」
思わず空いた手で自分の鼻を掻きながら、照れを隠してみせる。




