62話 アズリア、馬の名付けに悩む
「と、なると……いつまでも、馬と呼ぶワケにゃいかないかも、ねぇ」
アタシは鼻を掻きながら、目の前で差し出した野菜を喰らう乗馬をジッと見ていた。
何しろこの馬ときたら、アタシの言葉を理解するだけでなく。装備を含めると相当な重量となるアタシとさらにもう一人を乗せても、平気で山道を疾走出来る程の強靭な身体をしているのだ。
八年も旅をしてようやく、一緒に連れ回せるに耐え得る馬に出会えた、といったところか。
出来れば、シラヌヒ突入の。いや……この国での役割を終え、この地を旅立つ事になっても。
この馬を連れて行きたい、とアタシは思っていた。
だとすれば、いつまでも借り物の馬扱いをするのは偲びないというものだ。旅に同行させるのだから、名前の一つも付けてやりたい。
そう、思ってみたのだが。
「……むう、いざ名前を、となると何にも浮かんでこないモンだねぇ……」
考えてみれば、長年使い込んできた背中の大剣すら。愛着こそあれど、一度も名前を付けることなく今の今まで扱ってきたアタシは。
名前を付ける、といった行為を。これまでにただの一度も行った経験がなかったのだ。
いや……一つだけ、あった。
光を通さぬ闇を具現化する「纏いし夜闇」の魔術文字、発動したその闇を大剣に収束させることで。あらゆる物を両断する切れ味を持つ重量と刃に変化させる術式を編み出した、その時。
アタシは、その術式を「漆黒の魔剣」と命名した。
「……そっか。なら、あの時と同じようにすれば ──」
確かあの時は、黒い羽根を持って生まれたために白い羽根を持つ姉妹から疎まれ、悲劇の結末を迎えた魔神の娘の物語から。黒い羽根の少女の名を拝借したのだが。
ならば、アタシが知り得る立派な馬の名前を貰ってしまえば良いのではなかろうか。
アタシはとりあえず、頭に浮かんできた伝承や物語上の馬の名前を片っ端から口にしていく。
「えっ、と……伝承にあるッてえと。まずは軍神騎、それに一角馬に、天翔馬あたり……か、ねぇ?」
軍神騎とは、大陸で広く信仰されている五柱の神が軍神ゴゥルンが騎乗する八脚の馬である。当然、実際に存在するわけではない。
それに比べ一角馬や天翔馬は、実際にこの世界に存在こそしているものの、アタシはこれまでに一度も遭遇したことはない。
一度も男に身体を許していない、清き乙女にしか心を許さないとされる一角馬や。背に大きな翼を生やし、空を自在に駆けるとされる天翔馬は。それ程に稀少な馬なのだ。
「うーん……どれも、しっくりこないねぇ……」
その他、馬の姿をした魔獣に人喰馬や雷嗎馬などの種類がいるが。
いざ口にして並べてみたものの。アタシが跨るこの馬には、今口にしてみたどの馬の名称も相応しくない気がしてならない。
そんなアタシの溜め息混じりの呟きに、背後から水を差すような言葉を挟んできたのは。
「あっはははっ! アズリアが一角馬とか笑わせてくれるじゃねえかっ……何の冗談だってえの」
それは、いつの間にかアタシの横にピッタリと並んで馬を走らせていたヘイゼルだった。
どうやら、馬の名前を悩むあまり。握っていた手綱を無意識に引いていたためか、馬が速度を落としてしまっていたのが原因らしい。
「う、うるさいねぇッ!……そんなの、アタシが一番理解してるッての!」
まあ、確かに……意地悪な笑みを浮かべたヘイゼルの言うように。今さらアタシが一角馬に選ばれるような清い身体ではないのは、自分が一番良く理解している。
故郷を飛び出す前にも、アタシには恋仲になった同僚がいたし。旅の道中にも、路銀を稼いだり、無愛想なアタシが上手く交流するために。出来る事は色々としてきたつもりだ。
寧ろ、二十五という年齢にもなって男性経験の一つもないというほうが、アタシは不自然な話だとは思うのだが。
「ねえねえっ、どうしたの、お姉ちゃんっ?」
と思えば、今度はヘイゼルとは真逆の方向に並んできたのは。ただ一人馬に乗らずに自前の脚で山道を駆けていたユーノだった。
いくら速度を落としているからといっても、馬と並走しているにもかかわらず、息を切らす様子も見せず。平然とした顔でアタシへと話し掛けてくる獣人族の少女に。
「アズリアの奴、馬にどんな名前付けようか、悩んでるんだってよ」
「へえっ、おもしろそうっ! ねえねえ、お姉ちゃんっ、ボクもかんがえていいっ?」
アタシが答えるよりも先に、ヘイゼルが妙な事を吹き込んだお陰で。アタシの馬の名付けを、ユーノが張り切るという予想外の展開になってしまう。
「ま、待て待て待てッ? あ、アタシの馬なんだからさ、その名前はアタシが名付けるッての!」
だが、いくら良き名前が思い浮かばないとはいえ。自分が所有する馬の名付けを、他者に任せる道理はない。
アタシは丁重に、ヘイゼルやユーノの勝手な協力要請を断ろうとしたのだが。
「──まあまあ。待ちなさいよ、アズリア」
「な、何だよ、フブキ……お前さんまで……ッ」
断りの言葉を遮ってきたのは、同じ馬に乗り、アタシの背後にいたフブキの声だった。
「……はッ?」
まさか、二人に続いてフブキまでが。アタシの馬の命名に参戦しようとする気なのか。
だとすればこの場は孤立無援、アタシの敵だらけ。
さすがのアタシも、一対三は分が悪い。しかも向こう側には無垢で素直なユーノはともかく……底意地の悪いヘイゼルや、妙なところで悪知恵の働くフブキがいるのだ。
どうすればこの窮地を乗り切り、無事にアタシがこの馬の名前を命名出来るのかを思案していると。
「……ちょっとアズリア。全部、心の声が聞こえてきてるんだけど。誰が『悪知恵が働く』よ?
「え?」
何故か、アタシが口には出さず胸中で浮かべていた文言を。まるで読み取ったかのようにフブキが言葉にしたことに、驚きを隠せなかったが。
あらためて左右に並走していたヘイゼルとユーノを交互に見ると。呆れ顔を浮かべていたユーノに、一本立てた指で側頭部を指しながら実に意地悪そうな笑みを見せるヘイゼルの様子から。
「あれ、アタシ……口に出しちまってた……?」
三人を見渡しながらアタシは、一番あって欲しくない可能性に言及すると。
「やっちまったな」「う……うんっ」「ええ」
三人はほぼ同時に首を縦に頷いてみせ、アタシが胸中に秘めておくべき話を口にしてしまった事を肯定するのだった。




