61話 アズリア、朝を迎えて
こうしてアタシは。偶然にもユーノが夜空を見上げていた岩場の上が、焚き火のある場所を含め周囲を見渡せる絶好の位置と知り。
「うーん……後、もう少しで思い出せるッて感じなのに、全然出てこないねぇ……」
見張りの役割を疎かにはしないながらも、頭では。直前まで寝ていた時に見た夢に登場した人物の中で、唯一見覚えのある赤髪の帝国貴族を懸命に思い出そうとしていたアタシだったが。
「……ん?」
まるで思い浮かばず、過去の記憶を辿る作業を一旦止め、一息挟んだその瞬間。
アタシの目に飛び込んできたのは。遠くの地平から昇ってきた太陽の、夜闇を溶かそうとする眩しい光だった。
「ゔおッ?……まさか、もう夜が明けたってのかいッ」
夜明けが来た、ということは。これで見張り番が終わってしまうという事に他ならない。
幸運にも魔物の襲来や、ジャトラの配下に襲撃を受けるといった大事はなかったが。アタシにとって何もせず夜が明けた、というのは一大事だった。
思い出して欲しい。アタシは療養中に色々と思い描いていた魔術文字の改良を試したいがために。一緒に見張り番を希望していたフブキを説得し、一人で見張りをする機会を作った筈だったが。
だが、見張りの最中にアタシがやった事と言えば、過去を記憶を振り返っただけだった。
「さっき、青竹とやらを斬った時の感触をもう一度確かめたかったんだけど、ねぇ」
そう呟いたアタシは、大剣を握っていた感触を思い返すように。指を閉じたり開いたりしながら、手の平を凝視していた。
夕食の用意の時、料理を盛る食器を用意するためにアタシは青竹なる樹を大剣で真っ二つにした……のだが。
これまでの感覚とは違い、堅い青竹の表面に大剣の刃が喰い込んだ瞬間の。本来ならば手に響くような衝撃が、今回に限っては握っていた手や指に何も感じなかったのだ。
まるで、柔らかい物体を斬ったような妙な感触。
その感触の謎も、夜のうちに確かめたかったのだが。
「ふわあぁぁ……よく寝たわあ……」
焚き火の側で夜を通して寝ていたフブキが、夜明けの光を浴びて目を覚ましてくる。両手を大きく上げて身体を伸ばしながら、大きく欠伸をしてまだ眠たそうな目を擦っていると。
その隣で他の二人のように毛布を被らず、ただ身体を丸めて寝ていたユーノが目を覚ますと。
「あっ、お姉ちゃあああん! ボク、おきたよおおお!」
寝起きを感じさせず、俊敏に立ち上がったかと思うと。アタシのいる石に向けて手を振りながら、大きな声で朝の挨拶をしてくるのだが。
「んっ……ん、うる……さいねえ……」
フブキ、ユーノと目を覚ましたのに、まだ寝ようとしていたヘイゼルだったが。
寝ていたすぐ側でユーノの大声を聞かされては、おちおちと寝てはいられなかったのだろう。頭を掻きながら目を覚まし、不機嫌そうな顔を見せて上半身を起こしていくヘイゼル。
「んあ……もう……朝、かよ……もう少し、寝てちゃ、ダメかい?」
「ダメに決まってるでしょ。ほら、そこの川の水で顔洗ってきなさいよ。シャキッと目が醒めるからっ」
まだ半分寝たように、目蓋が閉じたままのヘイゼルの手を引いて、側を流れる小川まで誘導していくフブキ。
どうやら小川の水で顔を洗えば、水の冷たさですっかり頭も冴えて覚醒するという意図なのだろうが。
「ひゃわあぁっ! つ、つめたぁい?」
横を流れる小川の水で顔を洗っていたユーノが、あまりの川の水の冷たさに悲鳴を上げる。
「……やれやれ、だねぇ」
三人が目を覚ましたのに反応し、繋いでいた二頭の馬もまた目を覚ましてしまう。
全員が起きてしまっては、さすがに試し斬りも魔術文字の実践も行うのは難しい。アタシは諦めの意味で溜め息を吐くと。
上から辺りを見渡せる大きな岩から下りて、両手を叩きながら三人へと合流していき。
「ほれ、アンタら。起きたんならさっさと出発の準備しなッ。何しろ……昨日の遅れを取り戻さないといけないからねぇ」
そう言って薪木を足していなかったためか、すっかり弱々しい火となっていた焚き火を踏み消していったアタシは。
チラッとフブキに視線を移すと、片目を閉じて意地悪に笑い掛けてみせると。
「わ、悪かったわねっ、道を忘れててっ……」
今、アタシらが通ってきた山中の道は、カガリ家の人間しか知らないシラヌヒまでの秘密の通り道なのだが。
唯一、この道を知っていたフブキが。何と、抜け道の入り口をすっかり忘れ、見失うという事態に陥ったのだ。
何とかユーノの直感に助けられ、無事に抜け道の入り口を発見したことで大事には至らなかったものの。抜け道を探索した時間は決して短くはない。
アタシの言葉に声を荒らげて反論するが。こちらの態度と表情を見て、自分が揶揄われたのを察したフブキは。感情的になった声を徐々に小さくしながら、最後は顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。
そんなフブキを無視し、アタシは自分らを乗せて山道を走る二頭の馬を川辺まで誘導し。水を存分に飲ませていく。
「ほれ、アンタらもしっかり水飲んでおきなよ。今日はたくさん、走ってもらうんだからねぇ」
すると、ヘイゼルが騎乗する馬は何の反応も示さなかったが。アタシとフブキを乗せる馬は言葉に反応したのか。
一際大きな声で「ヒヒイィン!」と嗎いて見せ、アタシの脚に鼻を擦り寄せてくる。
出発の時のやり取りや、騎乗時にこちらの意図を先取りしたような動き。そして今回の反応を含めて。
「もしかして、この馬……アタシの言葉がホントにわかってるの、かねぇ」
そんなアタシの胸に湧いた素朴な疑問に、疑いをかけられた馬はまた小川の水を飲み出すものの。
不思議そうな眼をこちらに一度向け、まるでアタシの言葉を肯定するようにコクンと首を縦に振ってみせたのだ。
「ん? いや、まさか……ねぇ?」
アタシは試しに、街から積んできた荷物の中から馬の食糧である野菜を取り出すと。
水を飲んでいた二頭の馬の後ろ側に立ち、馬に向けて呼び掛けていく。
「ほら、こっちに来たら食事をあげるよッ」
すると、ヘイゼルが騎乗していた馬はやはり水を飲み続け、アタシの言葉に何の反応を見せなかったのに対し。
アタシらが乗ってきた馬は、言葉に反応したのか水を飲むのを中断し。手綱を引いてもいないのに、正確にアタシの立っていた方向に身体を旋回させると。アタシの目前でピタリと止まり、口を開けて見せたのだ。
これで疑う余地はない。
この馬は、何故かアタシの言葉を理解している。
「こいつは……とんだ偶然もあるモンだねぇ」
アタシは最初、この国の馬に人語を理解する能力があるのか、と一瞬考えもしたが。
隣に並ぶヘイゼルが騎乗する馬は、先程からアタシやアタシの言葉に何の反応も見せなかったことから。どうやら「この国の馬が人語を理解する」という説は見事に否定されてしまった。
だから理屈はアタシにも思い付きはしないが。思えば人語を理解し、言葉を喋る魔獣も存在する以上。馬が人の言葉を理解しない、と断言出来るものでも決してない。
果たしてフブキとソウエンが用意した馬が、人語を理解出来る能力を持っていたのは偶然なのか。
だが少なくとも、目の前にいるこの馬が。アタシの言葉を理解してくれているのだけは確かなのだから。




