60話 ジャトラ、魔竜の恩寵を授かる
27話のジャトラ視点の話の続き、となります。
──その一方で、シラヌヒ城地下では。
「う、お……オオオ……ォォォォ……っ」
地面に座り込み、足元にぽっかりと空いた大穴を眺めながら。まだ穴の中に消えた自分の息子の、身体に突き立てた短剣を握り締めていたジャトラ。
「許せ……タツトラ……そして、サラサよ……全ては我らがカガリ領の民、そして……ヤマタイ全ての人間を救う……ため、なのだ……っ」
彼の目からは滂沱と涙が溢れ落ち、その口からは自分が魔竜のために手にかけた妻子の名前を呟いていたが。
同時に、自分の妻子を殺めるという行為に対する正当性を説き。妻子に理解を求め、許しを乞うていた。
殺害された妻サラサと息子のタツトラ……二人が彼を許す機会は永久に訪れないが。とにかく彼は、愛する妻子を殺した罪を誰か許されたかったのだ。
そんなジャトラの願望を知ってか知らずか。
『その罪──我が、許そう』
ジャトラの眼前に広がる、地面の大きな穴から聞こえてきたのは。
今、ジャトラが一番聞きたかった言葉だった。
「その……声はっ?」
妻子を生贄に捧げるくらいだ。穴の底に何が生息しているのかを、当然ジャトラは理解してはいたが。
魔竜から声を掛けられたのは、これが初めての経験だったからだ。
驚きのあまり、座った体勢のまま。大きな穴の淵へと寄るジャトラは、底が見えない穴の先を覗き込んでいくと。
穴の底に、まるで鮮血のような赤に輝く二つ……ではなく三つの眼が見えたかと思うと。その眼の光が急速に迫り来る。
地面に空いた穴は確かに大きかったが、魔竜の頭が姿を現わすには全然小さかったようで。
魔竜の頭部が穴を無理やり押し拡げながら迫る度、穴の周囲から亀裂が走り地面が崩壊していく。
「──う、うおおっっ⁉︎」
穴の淵にいたジャトラは、地面の崩壊と亀裂に巻き込まれないように安全な場所へと飛び退きながら。
地面の穴から顔を見せた魔竜を、しばらく呆然とした表情で見ていた彼だったが。
ハッと我に返った途端に、魔竜に対して片膝を突いて頭を下げると。
「はっ……こ、これは、これは……魔竜様っ、この度は我が願いを聞き入れて下さり誠に──」
『追従はよい』
ジャトラとしては、自分が望む言葉を魔竜に掛けられたのが嬉しかったのか。興奮を抑えられず、魔竜へと感謝と敬意を伝えようとするが。
各地に散らばる他七本の頭部から、外部の情報を入手していたこの首は。ジャトラの言葉を途中で遮り、早速本題に入る。
『どうやらこの地に向かってきているのは、二ノ首と、六ノ首を討ち倒した人間のようだな』
「な、なんとっ⁉︎」
魔竜の口から語られた事実に、ジャトラは耳を疑った。
報告では捕縛し、逃げ出せないよう脚に負った傷を治癒せず放置して、幽閉してあると聞いていたが。
その幽閉場所から逃げ出しただけでなく、逃げ込んだフルベの街の領主を打倒した……と。次々に飛び込んでくるフブキの動向から。
彼女に強力な支援者がいることは、ジャトラも認識していたが。
「ど、何処に、そんな猛者がいたというのかっ?……それに、その猛者が何故、あの小娘と行動を共にっ……?」
ジャトラも無能ではない。カガリ家の筆頭家老という、当主に次ぐ立場の人間として。領内にいる実力者はほぼ網羅していた。
カガリ領で名を馳せた武侠や羅王、そして術師や識者がフブキと手を組んで。自分に叛旗を翻さぬように、と。
そういった人物に対しては、懐柔や人質を取るなどの手段で穏便に済ませたり。それでも提案を飲まない相手には幽閉や暗殺など、予め……手を回しておいたのだ。
ならばこそ、フブキの協力者にジャトラは全く見当がなかったのだが。
まさか、魔竜の首を一度きりではなく。二度も打倒出来る程の絶対的な実力者がフブキに味方しているとは。
一度ならば何かの間違いもあるかもしれないが、偶然は二度も続かない。二度も起これば、それは偶然ではなく必然であり、実力なのだ。
『我としても。我の脅威を理解している貴様がこの地の人間を支配する立場でなくなるのは、都合が悪い』
魔竜としても、マツリが当主の時には次々に対策を取られたという記憶がある。
大好物である人間の肉を食べようとした際に、何度となく手痛い反撃と対策を講じられたことか。
それが、目の前のジャトラという男に力を貸し、カガリ家の実質的な支配者となってからは。「贄」として差し出された人間らを、問題なく喰らうことが出来るようになったのだ。
大量の人間を喰らい、本来の力を取り戻すまでは倒されるわけにはいかない。
現に、二ノ首と六ノ首は人間を甘く見たため。封じられたのではなく、人間の手で倒されてしまったのだ。
『対策を、取らねばなるまい』
「で、ですが魔竜様。口を挟むようですが、連中を迎え撃つための人員を揃えるだけで、さすがに対策を取るほどの余裕は……」
フルベ陥落の報告を受け、本拠地シラヌヒの警護を固めるために。周囲の拠点や都市へと人員をシラヌヒへと派遣する要請を出した……のだが。
同じくフルベ陥落の知らせを聞いた、ジャトラの下の地位に甘んじていた武侠らは。手の平を返したように様子見の態度を取り。結果的に要請を無視する選択を取ったのだ。
今、ジャトラの指揮下にいる武侠は三百ほど。この人数は、シラヌヒを警護するだけで精一杯の人員だ。
最初は、かつて最強の傭兵団として名を馳せた「韃靼」の四人を雇い入れたのは、警戒が過ぎると思っていたが。
今となってジャトラは、自分の直感は間違ってなかったと胸を撫で下ろす。
そして、いくら魔竜が危惧しているとは言え。フブキがシラヌヒに向け出立した状況下で、韃靼の四人を自分の直接の警護から外すような真似は賛同出来なかった。
『わかっている。と、そこで……だ』
すると、突然。
魔竜の首の辺りがぼこりと膨らみ、喉奥から何かが迫り上がってきたかと思うと。
口から、複数の丸く大きな石の塊を次々と吐き出していく。
その数──なんと、五個。
五個の石塊はいずれも、ジャトラの背丈とほぼ同じ程度の巨大さだった。
「こ……これは?」
『はぁ……はぁ……我が魔力を宿した眷属を、貴様に授けてやろう、ふふ』
息を荒らげた魔竜の言葉が終わるよりも前に。口から吐き出された丸い石塊は大きさに見合わず、地面に落下した衝撃からか表面に亀裂が走ると。
石塊が縦に二つに割れた中から、ぬるぬるとした粘液塗れになって身体を丸めていた人型の生き物が姿を見せる。
「な、何だ、これは……生き物?」
ジャトラが石塊の中から現れた、謎の五体の生物の外見を観察すると。
身体の表面は鱗に覆われ、頭部は魔竜を模したような毒蛇や蜥蜴に似た形状をしており。まるで世界の最南端、マリリス火山にのみ生息すると噂される蜥蜴人のような姿をしていた生物は。
外を覆っていた石の殻が割れると、即座に活動を開始し。それぞれが粘液塗れのままで二本の脚で立ち上がり、ぺたぺたと足音を立て歩き始める。
『うむ、我が力を宿した眷属よ。命ず……我の首を討ち果たした人間と、一緒にいる人間も全員──殺せ』
魔竜の言葉に、キィィィ!と甲高い奇声を発したと同時に。口にびっしりと生やした鋭い歯と、両の指先から伸びた鉤爪がギラリと光り。
地下の広い空洞までの道を驚くべき速度で駆け抜け、外へと飛び出して行ってしまうのを。ジャトラは状況を飲み込む事が出来ず、ただ呆然と見送るしかなかった。




