58話 アズリア、ユーノと語らう夜
「……──お姉ちゃんっっ⁉︎」
身体を揺すられた途端、ハッと目の前に映る光景が変わる。
先程まで確かに壮年の男の手を握ろうとしていた筈だったアタシは、心配そうな顔をしていたユーノを一番に目にして。
「あ、あれッ?……ゆ、ユーノ、どうして……ッ」
先程見ていた光景と、今ユーノが目の前にいることが。アタシの頭の中で上手く噛み合わずに、少しばかり混乱していたが。
「ほら、ちょっと退きなユーノ」
「へ、ヘイゼル姉ちゃんっ?」
ユーノの横からスッと現れたヘイゼルが、困惑していたアタシの頬を何の躊躇もなく平手で叩いてくる。
「何呆けてるんだっての、アズリアっ」
「──ひゃぅっ?」
頬を叩かれた衝撃と、耳に響くユーノの叫び声で。ようやく先程まで見ていた光景が夢だった、と理解し。
我へと返ったアタシは、揺すって起こしてくれたユーノの顔をジッと見ていく。
「ユーノが……起こしてくれたのかい?」
「え、あ……うんっ。そろそろ、お姉ちゃんのみはりのばんだったから」
どうやら、ちょうど見張り番の交代の時間だったようで。ユーノが起こしに来た際に、アタシの異変に気が付いた……という状況だったようだ。
「そしたら……お姉ちゃんがうんうんいって、くるしそうだったからっ、ボクっ」
ユーノの話を聞いて、思わずアタシは近くで寝ていたフブキへと視線を移した。もし夢にうなされていた事で、彼女の眠りを妨害していないかが気になったからだ。
だが、アタシの心配をよそに。フブキはすやすやと可愛らしい寝顔で寝息を立て、目を醒ますような気配は全く見られなかったことに。
アタシは安堵で胸を撫で下ろす。
「……これで起こしでもしたら、何のために見張り番をさせなかったのか意味がなくなっちまうトコだったからねぇ」
「やれやれ……手間、掛けさせるんじゃないよ」
安心して身体を起こし、立ち上がるアタシを横目に。ヘイゼルが面倒くさそうな口調でアタシに文句を言いながら、毛布に包まり地面に寝転がる。
夜空に浮かぶ月の位置から、アタシが寝てからかなりの時間が経過したのが伺える。そりゃ、こんな時間まで起きていれば眠気で対応が雑にもなるだろう。
だが、いくら眠気が強くなろうとも。見張り中に異変があったなら報告を怠る人物ではない。
そのヘイゼルが何も言わずに寝る、という事は。二人の見張り中には、何も異変がなかったのだろう。
「悪かったねぇ、それじゃさっさと寝ちまいな」
「ああ……そうさせてもらうよっ……」
目を閉じて腕を枕にしたヘイゼルは、面倒くさそうにもう片腕を軽く振ると。余程眠かったのか、直ぐに寝息を立て始める。
険しい山道を馬で駆けるのは、肉体的にもだが、精神的にも消耗が激しい。幾度も曲がりくねった道を的確に見抜き、迫る樹木や足元から飛び出た岩などにも気を張らねばならないからだ。
アタシが先を走り先導していたとは言え、普段は海の上が活動範囲の海賊のヘイゼルからすれば大変だったに違いない。それ故の疲労であり、強い眠気なのだろう。
ならば。
馬を使わずに、下手をすれば馬以上の距離を自前で走っていたユーノは。さらに疲労を重ねているに違いない筈だが。
「ん?……そういや、あの娘はどこ行ったんかねぇ」
ふと、周囲を見渡すと。フブキやヘイゼルが眠りに就いている燃え盛る焚き火の周囲に、アタシを起こしてくれたユーノの姿を見つけることが出来ず。
だが、さすがに遠くに離れはしないだろうと。焚き火が照らす範囲から、少しばかり視界を広げてみせると。
「いた」
焚き火の光が届かぬ暗がり、小川の横に転がっていた大きな岩の頂上に立って。月と星が浮かぶ夜空を見上げていたユーノの姿を見つける。
アタシは別に足音を殺すつもりはなく、河原に敷き詰められた石をジャリジャリと踏む音をさせながら。ユーノの足元へと近寄っていく。
「──眠たく、ないのかい?」
アタシは、ここまでずっと走り詰めて疲労が溜まっているであろうユーノを心配し、下から声を掛けていくが。
「うん……ちょっと、ねむたくないんだ」
「……そっか」
空を見上げていたユーノの声の感じからは、いつもの快活さはなく。少しだけ、寂しさのような感情が込められていた……そんな感じがしたので。
アタシは敢えて理由を聞かず。ユーノの立っていた岩の上に飛び乗っていき、相変わらず夜空を眺めていた彼女の隣に黙って並んでいくと。
「みんなのこと……おもいだしてたんだ」
沈黙に耐えられなくなったのか、ユーノが眠れない理由について口を開く。
「皆んな、ってのはさ。魔王領の仲間たちってコトかい?」
「……うん」
アタシはユーノが口にした意味を確認するため、わざわざ言葉にして伝えてみると。
空を見上げたままで彼女はコクンと首を縦に振り、アタシの言葉を肯定していく。
「フブキのはなしをきいてから……なんか、お兄ちゃんや、バルムートのおっちゃんにアステロペのかおがうかんできちゃって……」
「なるほど、ねぇ」
ユーノの言葉の端々にどこか寂しい感情が含まれている、と感じたその理由を。ようやくアタシは合点がいった。
ユーノの言う「お兄ちゃん」とは、魔王領を統べる獣の魔王・リュカオーンの事だ。バルムートはユーノと同じく、魔王四天将の一人「剛嵐」の異名を持つ豪快な武人であり。アステロペは魔王リュカオーンを補佐する淫魔族の魔女だ。
つまり今、ユーノは自分の生まれ故郷である魔王領に対し、郷愁の想いに馳せてしまっている。もう少し簡単に言えば、家に帰りたくなってるのだ。
よく見れば、夜空を見上げていたユーノの目は薄っすらと涙を溜めていた。
「そりゃ……無理もない、か」
実力こそ歴戦の冒険者や傭兵と比較しても見劣りするものではない、が。ユーノの年齢はまだ十二だと聞いていた。
それにアタシと違い、故郷に帰れない理由もない。既に六十日以上も生まれ故郷を離れていれば、そろそろ家族や仲間を懐かしむ感情は自然とも言える。
夕食時にフブキから語られた十年前の回想。カガリ家の家族の絆を聞いて、胸中に秘めた感情に火が付いてしまった……という事なのだろう。
「あ……ち、ちがうよっ? べつにボクっ、お姉ちゃんといっしょにいるのがたのしくないわけじゃないからねっ!」
「ああ、わかってるよユーノ」
寂しい、と一度は感情を漏らしたユーノだったが、自分が口にした言葉の意味を遅れて理解したのか。
ハッとした顔で隣に立っていたアタシへと向き直り、慌てた様子で言い訳を始める。
別に「故郷に帰りたい」という気持ちが勝ったからといって。今までのアタシらとの道中が故郷との生活と比べ劣っていると言っているわけではない、と。
もしこの場でユーノに「島にいたほうがずっと良かった」などと言われたならば。アタシのほうが落ち込んでしまっただろう……まあ、冗談だが。
「でも、帰りたいんだろ……島に、さ」
「うーん……どうなんだろ」
確かにアタシには、ユーノが「島へ帰りたい」と希望したところで。その願いを叶えてやれる手段は持ち合わせていないのが現実だ。
いや、アタシだけの話ではなく。遠く離れた二つの場所を瞬間的に移動する事が出来るようになる転移魔法は、魔術師らが現在研究中の魔法だが。転移魔法が実用化した、などという噂をアタシはまだ聞いたことがない。
だが──実は二度ほど。
アタシはその転移魔法を自分の身で体験していたのだが。




