55話 アズリア、煮汁の鍋に入れた食材
肌が黒いというだけで周囲から避けられていたアタシだったが、その頃はまだ母親との関係は悪化しておらず。
その頃に聞いた話では、父親はアタシが生まれる前に戦争の傷と流行り病で生命を落としたという。
そして、右眼の魔術文字の力を発揮してしまい。本格的に周囲の人間に恐れられ、石を投げるなど虐げられるようになると。悪評が自分にまで及ぶのを恐れた母親は、アタシを家から追い出したのだ。
……こんな話をしたならば、場の空気が悪くなるのは必然だ。だからアタシは頑なに過去を話そうとはしなかった。
楽しみにしていた二人には悪い事をしたが。
アタシはこっそりと場の雰囲気を変えてくれたヘイゼルの隣へと歩み寄ると。
他の二人には聞こえないよう、小声でヘイゼルへと感謝の言葉を口にする。
「……さっきはありがとな」
「ち、違えよっ! よ、夜も遅いから気が滅入りそうな話を聞きたくなかっただけだからな、か、勘違いすんなよっ?」
すると、何故か彼女は苛立ち始め。声を荒らげながら、あくまで二人を制したのはアタシのためではない事を強調してみせるのだが。
アタシから視線を逸らした彼女の顔は、頬だけでなく耳まで紅潮していた。
いつもの言い合いなら、感情が顔に出てしまっていることを指摘して意地悪をする場面なのだが。今回は二人の追及を制してくれた恩義もある。
「あぁ……はいはい、了解だよ」
「ったく、わかりゃいいんだ、わかりゃ」
アタシは、顔を真っ赤にしていたヘイゼルに気付かない素振りで。この話題に区切りをつける。
焚き火を囲んでの話も、こうして一旦話題が途切れたのだが。
ふと見れば、用意した食事は四人全員が全て綺麗に平らげられていた。
「ふぅ……たべたたべたあ……げ、ぷぅ」
「もう、ユーノってば。食べた後に寝っ転がるなんて、行儀が悪いじゃないの」
お腹をさすりながらユーノが満足げに座っていた石の上に寝そべるのを、フブキが口煩く諌めようとするが。
明日もまた山道を長々と駆ける、そのためにも食事で力をつけなければならないし。敵の本拠地が近づけば、こんな風に食事を取る余裕もなくなるかもしれない。
そのくらい気を緩めるのは、フブキも許してやって欲しいものだ。
「にしても、この煮汁。良い味してたじゃねえか」
「そうね……って、そういえば。これってアズリアが用意してた鍋の中身なんじゃ?」
今夜、アタシらが用意した食事は。枝で刺して焼いた川姫魚に、青竹の皿に盛られた白く煮た米も。
そして、もう一つ用意した青竹の器に注がれたのは。フブキの言う通り、アタシが用意した煮汁だった。
器の煮汁には何の具材も浮かんでいない。にもかかわらず、ヘイゼルもフブキも煮汁の味を「美味い」と評価してくれていた。
「あたしもさ……結構、色んな料理食ってきたとは思ってたけど、こんな薄そうな色なのに、いい味した煮汁飲んだのは初めてだよ……」
「うんうんっ……これっ、すっごくおいしかったよ、お姉ちゃんっ!」
二人だけでなく、石に寝そべっていたユーノも上半身を起こして。アタシの煮汁を絶賛し始める、のだが。
どうにもヘイゼルは、アタシの作った煮汁の出来に納得がいってないようで。腕を組んで難しい顔をしながら、空になった青竹の器をジッと睨んでいた。
まあ……ヘイゼルの疑問も理解出来なくはない。
そもそも、料理屋で出される美味い煮汁というものは。
大概が、肉や魚など豪勢な具材が盛り沢山だったり。煮汁が濁り、どろどろになる程に長く具材を煮込んだものと相場が決まっている。
しかし、アタシが皆んなに用意した煮汁はというと。具材は何もなく、僅かに黄色みがかっただけで底が見える透明な出来だった。
「ちっ……この煮汁、何で味を付けたのか。あたいの舌を持ってしても、全然見当がつかないよ」
眉間に皺を寄せ、自分の過去の味の記憶を辿り、煮汁の正体を推察しようとしたヘイゼルだったが。
どうやら思い当たる食材は出てこなかったようで。
「ね、ねえ、アズリアっ……あの鍋に、何を入れたの? 見たところ、街から持ってきた食材を何も入れてなかったじゃないっ」
ヘイゼルの疑問を代弁するように、フブキが積み上げた竈門から既に下ろしていた鍋を指差して。
鍋に何を入れて煮汁に味を出したのか、謎の食材の正体を聞き出そうとする。
「ははッ、よくアタシのコト見てるねぇ」
確かにフブキが指摘した通り、アタシは鍋に街で補充した保存用の食糧には一切触れていない。
水は、横に流れる小川の澄み切った水を汲んだものだし。鍋に投入した食材は二種類とも、アタシが自前で用意したものだ。
「その通り。アタシが鍋に入れた食材ッてのは……この二つさね」
聞かれてしまえば、別に鍋の食材を隠す道理もない。煮汁に三人が絶賛する味を出した後、鍋の底に沈んでいた食材をアタシは手で持ち上げてみせる。
「げっ」
「ひ、ひいい!」
「……へえっ。海蛸かい」
それは、首飾りを強奪したナズナの姉を追い、海底都市を立ち去る際に。世話になった海魔族から手渡された、干した海蛸だった。
最も、干涸びていた海蛸は鍋で煮られたことですっかり湯を吸い。うねうねとした弾力ある無数の脚を持つ、海で見たことのある本来の奇妙な姿に戻っていたが。
鍋から出てきた海蛸の姿を見た三人の反応は、それぞれ全く違っていた。
「な、何よ、その気持ち悪い魔物はっ?……ふーん、これ、いきなり動かないでしょうね……?」
最初こそ驚きの声を上げ、怯んだ様子を見せたフブキだったが。怯んだのは最初の一瞬だけで、「気持ち悪い」と言いながらも一歩、また一歩と近寄ってくると。
アタシが持ち上げていた海蛸の姿を、興味深くジッと観察してみせるのだったが。
「う、うわ……あ、あの、うねうね……や、やだあああああああ」
意外にも一番怖がる様子を見せ、腰を下ろしていた石の背後に隠れるといった態度を取ったのはユーノだった。
思えば、海の王国での一連の騒動の際に。ユーノは海から突然湧いて出た巨大な海蛸の脚に絡め取られ、痛い目を見たことがあった。
その時の嫌な記憶を、小さいとはいえ湯で戻った海蛸の姿を見て思い返してしまったのかもしれない。
「……あ」
──そう言えば。
アタシはヘイゼルに、ユーノが今まで食べた食材の中に海蛸が混じっていたかもしれない事を口止めしていたのを思い出す。
「あ、じゃねえよアズリア。まあ、海で育ったあたしとしちゃ、海蛸は食べ慣れてるけどよ」
ついでに思い出したが。海の王国で食べた料理の中に、海蛸を使ったものが多数あるとアタシに教えてくれたのは。何を隠そう、同行したばかりのヘイゼルだった……確か。
だからこそ、鍋から取り出した海蛸の姿を見ても。眉一つ動かすこともなく、他二人とは違い平然とした態度だが。
海蛸を見たヘイゼルは、まだ疑問が解消されていない模様で。
「アズリア……この煮汁に使ってるの、海蛸だけじゃないだろ?」
確信めいた表情を浮かべながら、ヘイゼルはさも得意げにアタシが持っていた鍋を指差してみせる。
「……へえ、何でそう思ったんだい?」
「海蛸は何度も食べてるからだよ。でもこの煮汁からは別の味がした……ああ、間違いないぜ」
ヘイゼルの指摘は的中していた。確かに鍋には海蛸とはもう一種類、海底都市から持ってきた食材が投入されていたからだ。
いや、まあ……アタシとしては隠す気もないのだが。




