53話 イサリビ、二人の娘を死守する
『ぐ……へぇぇぇぇぇっっっ⁉︎』
脇腹にイサリビの鋭すぎる蹴りが直撃した影は、口から絶叫とともに鮮血を吐き出しながら身体を激しく床へ叩きつけられ。
白眼を剥いて、意識を完全に刈り取られる。
だが、イサリビは止まらない。
床へと倒れる影の頭を踏み台にして、今度は真上へと跳躍すると。
この時点で残りの影もようやく理解する。
イサリビは武器を持たずとも、その脚が武器なのだと。
『ま……まさかっ、カガリ家当主が羅王だったとはっ……』
羅王とは、この国で徒手空拳での戦闘技術に優れた者が持つ称号である。
だが、武器の所持を許されている武侠が敢えて素手の戦闘技術を磨こうと思う者は少ない。結果的に、武侠が羅王を兼ねる可能性は限りなく低い。
だからこそ、カガリ家当主が素手でも問題なく戦えるという情報は。何としても忠誠主であるリュウガ家に持ち帰らなくてはならない。
影の一人が、上空に舞うイサリビを見上げながらポツリと呟く。
『最も……ここから無事に帰れたら、という話だがな……』
そう、この場から逃走する事こそが最も難易度の高い任務だということを。場にいる影全員が認識していた。
だからこそ影は、即座に目的を果たすために最善の行動に移る。
今、弱音を吐いた影の前に。残り三人の影が立ち塞がると。
同時に。
踵から噴き上げた紅蓮の炎を纏いながら、上空へと跳び上がっていたイサリビが空中で反転し。
真下で立ちはだかる三人の影へ、殺意を秘めた視線を放ったかと思うと。
「安心しろ、娘の生命を狙った輩だ。一人たりとも──」
上空から地上の三人に向け、イサリビは一度高く振り上げた右脚を。まるで断頭台のように凄まじい速度で急降下させていく。
イサリビの周囲に纏った炎はいつの間にか、まるで背中から翼が生えたような形状を取って。
「生かして帰すつもりは──ないっ‼︎」
イサリビの放つ蹴りが直撃したならば。身体の中で一番硬い頭蓋であっても、木の実の殻を砕くように容易に破壊されてしまうだろう威力であったが。
一人を確実に逃がすために。三人でイサリビを抑え込むと決めた影は一歩も引かずに、三人同時に無詠唱で風属性の防御魔法を使う。
『『『風塵っっっ‼︎!』』』
三人の掛け声が重なると同時に。
目の前に真上へと吹き荒れる突風が発生する。
詠唱や予備動作を省略することで、効果は低下するものの即座に魔法を発動することが出来る。
一人分の効果ならば、飛んできた矢を弾いたり斬撃を押し戻し威力を削ぐ程度だが。三人が重ね掛けをすれば、凄まじいイサリビの蹴撃もどうにか押さえ込めるのではないか……という淡い期待だったが。
「甘い……甘い──わあああぁぁぁつつあ‼︎」
三人とイサリビとの間に巻き起こる、三重もの突風の壁を。
雄叫びを発しながら、振り抜いた右脚で真っ二つに両断し。全く威力を削がれる様子を見せずに、真っ直ぐに三人目掛けて急降下してくるイサリビ。
いや……突風の壁に猛烈な勢いで衝突したイサリビの身体のあちこちには、まるで短剣で斬りつけられたような無数の裂傷を負い。傷口から少なくない血を流していたが。
自分が傷付く事など構うことなく、鬼気迫る表情のまま三人に襲い掛かる。
『……ひっ!』
防御魔法を発動したことと、イサリビの殺気を帯びた視線をまともに受けたためか。三人の身体が一瞬、硬直してしまい。
哀れな三人の犠牲者に対し。イサリビは自分が「羅王」として学んだ格闘術に、カガリ家の加護を融合させた独自の戦技を放つ。
「迦楼羅──猛蹴撃いいいイイイイ‼︎」
イサリビの纏う炎が、カガリ家に加護を与える炎の魔神・迦楼羅に酷似した炎の鳥の姿となって。
上空から獲物へ掴み掛かる大きな爪撃が如く、身動きの取れない三人の身体を捉えると。
右脚の衝撃で床へと押し潰され、纏う炎によって身体を焼かれた影らは。悲鳴や呻き声一つ漏らすことなく力尽きていく。
だが、イサリビが怒りの感情のままに放った戦技の威力があまりに高過ぎたのか。
『う──うわああぁぁぁぁぁぁ……」
三人を一撃で葬り去っただけには止まらず、炎の威力と蹴りの衝撃は部屋の壁をも破壊してしまい。
ぽっかりと壁に空いた穴から、残り一人の影が城外へと吹き飛ばされてしまったのだ。
「と、父様……す、すごいっ……」
目の前で起きた、あまりにも派手な結末をただ呆然と見ているしかなかったマツリと。
父親イサリビの勇姿を見たからなのか、すっかり身体の震えが止まり。姉マツリと同様に唖然と見ていたフブキ。
イサリビの背後にいたマツリとフブキの二人には、床や壁を破壊した際の飛礫や破片、火の粉の一つも飛んでこないよう配慮されていたため。
部屋が半分ほど吹き飛んでいたにもかかわらず、二人は傷一つ負ってはいなかったが。
「……大丈夫だったか、二人とも」
影と戦闘中のイサリビは、二人が見た事のない怖い顔をしていたが。
呆然としていた娘二人の身を心配する言葉を掛けてきたイサリビは、普段から知っている優しい父親の顔に戻っていたが。
二人は同時に、父親の身体に刻まれていた無数の傷。大半は皮一枚程度の浅い傷だったため、もう血は止まっていたが。中には、少し深く肉が切り裂かれてしまった傷もあり。まだ血が止まっていない傷は十数箇所にも及んでいた。
「と、父様っ? 怪我、してるっ……」
「あ、ああ。まあ、大した傷ではないさ。それよりも──」
我に返った娘二人は、まだ治癒魔法を知らないために何も出来ないとわかってはいたが。それでも涙目になりながら、血を流してまで自分たちを守ってくれた父親の身体を触らずにはいられなかった。
そして、自分の身体をぺたぺたと触ろうと手を伸ばすマツリの両腕を見ると。
「この手……無茶をさせて、済まなかったな……っ」
「う、ううん、だって私、お姉ちゃんだからっ」
マツリの両手の火傷から、覚えたての迦楼羅の加護を強引に使ったのだろうとイサリビは推察し。
六人もの影に生命を狙われながらも。イサリビが駆け付けるまで二人が無事だったのは、マツリの機転が成せた事なのだと悟り。
そんな姉マツリの頭を優しく撫でながら、彼女の小さな身体を抱き寄せていく。
「……」
一方で、影に囲まれた際に怯えるばかりで何も出来ず、ただ姉マツリの背中に隠れていただけのフブキは。
姉が父親から褒められる姿を見て、無力感に苛まれながら。普段から周囲の人間がフブキを「忌み子だ」「いらない子」と評価するのを思い出してしまっていたが。
「それに、フブキも」
決してフブキの事を邪険に扱わなかったイサリビは、遠巻きにしていたもう一人の娘の表情が曇ったのを見逃がさず。
既にマツリを抱き締めていたのとはもう片方の腕をグイと伸ばし、落胆していたフブキの身体を引き寄せる。
「お姉ちゃんの無茶をよく止めてくれたな」
「え? え?」
イサリビの言っている意味が理解出来ずに、抱き寄せられながらも困惑していたフブキ。
それもその筈、自分は姉マツリの背中で怯えていただけで何もした記憶はないのだから。
「風塵の術」
術者の前方に風属性の魔力を展開し、防御用の気流の壁を作り出す。この気流は矢や短矢、投石具の石礫程度ならば遮る事が可能である。
名前こそこの国の流儀となっているが。
効果は風属性の初級魔法の防御魔法である「風の壁」と全く同じ効果である。
「迦楼羅猛蹴撃」
カガリ家を守護する炎の魔神・迦楼羅の力を発現させ、人間の跳躍力を遥かに超える上空にまで舞い上がり。一度空中に足場を作成し、跳躍したのと同じ要領で蹴り抜くことで猛烈な勢いで自分の周囲に纏った炎ごと急降下して。
空中で前方へと回転し、振り上げた踵をまるで戦斧の刃のように敵の頭へと振り下ろす戦技。
実はイサリビは、蹴撃を主体とする南天紅雀拳の伝承者でもあるのだが。彼が独自に迦楼羅の加護と融合させてしまった事で、全く別の戦技となってしまった経緯がある。




