51話 フブキ、姉マツリの勇姿を語る
しかし、敵側も魔法が完成するのをただ黙って待っている筈もなく。
影の一人が、手に握っていた短剣を詠唱中のマツリへと投擲する。握りの部分と刃が一体となった、投擲に適した形状の短剣を。
魔法を発動させる準備動作に集中していたマツリに、飛来する短剣を防ぐ手段はなかったのだが──
『何っ⁉︎』
驚きの声を上げるのは、攻撃されたマツリではなく短剣を投げた影。
本来であれば投擲した短剣の刃は、無防備なマツリの額に突き刺さっていた筈なのに。
刃はマツリの身体に到達するより手前の空間で。まるで何か金属の壁に命中したかのような衝突音を鳴らし、弾かれてしまったからだ。
マツリが何か防御をした素振りはないというのに。
『そうか……結界か』
驚くのとは別の影が、身動き一つしていない無防備なマツリが短剣を弾いた理由を瞬時に判断する。
魔術師が詠唱や予備動作を用いて、魔法の発動準備をする時間はどうしても無防備にならざるを得ない。
当然、無防備になるという欠点を克服するため、魔術師も対策をしており。魔法の中には予め、発動準備中に術者を護るための魔力……つまり防御結界を展開する仕様が組み込まれているものがあり。
マツリが今、発動させようとしていた魔法にもまさに。投擲された短剣を弾き飛ばす程の強力な防御結界が、術者であるマツリの周囲に張られていたのだ。
『だが……それならば』
防御結界に気付いた影が、マツリら姉妹の側面へと回り込んでいた仲間に目配せをすると。
視線による合図を受け取った影は、再び持っていた投擲用の短剣をマツリ目掛けて投げ付けた。
いや……短剣はマツリへと向けた軌道ではなく。
「……ひっ?」
マツリの背中に隠れ、怯えていたフブキを目標に投擲されたのだ。
姉でなく自分が攻撃されたことに、朧げながらに気付いたフブキが悲鳴を漏らす。
当然、正面に立つ影がフブキに短剣を投げても、マツリの防御結界に弾かれてしまうだろうが。
防御結界を見抜いた影は、同時に結界の範囲が側面にまでは及んではいない可能性を見出し。
側面に配置した仲間へと合図を送ったのだ。
背中にいたフブキの悲鳴を聞いたからか。
もしくは敵の目的に気付いたからなのか。
詠唱中のマツリの表情が歪む。
「っ……く!」
何故なら、敵の刺客が殺意を込めた短剣を弾き返す程の防御効果は。あくまで自分のごく間近の周囲にしか発揮出来ず。
今しがた放たれた短剣は、マツリの展開する防御結界の範囲外だったからだ。
ならば、術者であるマツリが一歩横に動けば短剣を防げる理屈……なのだが。今ここで、魔法の予備動作以外の行動を取れば。
まだ未熟なマツリが生み出し、魔法の発動のため集束した魔力はみるみる霧散していき。同時に防御結界も消えてしまうだろう。
だが、マツリは詠唱と予備動作を止めなかった。
妹フブキの生命が狙われている事に気付いていながら、たとえ魔法の発動を止めたところで。
今のマツリに出来るのは精々が自身の身体を盾に、飛んできた短剣を防ぐ事くらいだ。その凶刃にマツリが倒れれば、どうせ敵はフブキの生命をも容赦なく奪うのは明白だ。
──それならば。
「迦楼羅……火翼翔っ‼︎」
マツリは、まだ魔法が完成していないにもかかわらず、強引に詠唱と予備動作を終了させ。既に集束していた魔力のみで魔法を発動させ。
フブキに投擲された短剣目掛け、掛け声とともに生み出した炎の塊を放っていく。
『──なっ⁉︎』
「ひ……ひいぃっっっ!」
本来であればカガリ家を守護すると言われている炎の魔神・迦楼羅の姿を取るとされる炎は、フブキの眼前の空中で短剣と衝突し。
巻き起こる爆発音と衝撃、そして閃光に。フブキは悲鳴とともにマツリの背中を強く掴み、顔を完全に隠してしまう。
そう。妹フブキの生命に危険が及んだ状況下でなお、マツリは詠唱を続けていたのか。
それは、短剣を迎撃出来るまでの魔力を集め。無理やりに発動させた魔法で飛んでくる刃を撃ち落とそうとしたからに他ならない。
そして……本当ならば、爆発で出来るであろう一瞬の隙を突き、怯える妹フブキの手を引いてこの窮地から脱するまでが。マツリの思い描いた策だったが。
詠唱と予備動作を完了させずに、強引に魔力を集束し魔法を発動させるなど。一般の魔術師にもおいそれと出来る手段ではない。
そんな無茶をしでかしたマツリの代償は、彼女が想定した以上のものだった。
「……痛ぅっっ……あ……ぁぁぁっ……」
「ね、姉様っっ!……そ、その手っ?」
痛みに呻きながら、その場に屈み込んでしまうマツリ。
心配したフブキが目を開けて、姉マツリの状態を確認しようとすると。まず目に入ってきた異変とは。
姉の両腕から湧いた白煙と、腕のあちこちに出来た火傷だった。
「だ……大丈夫よフブキ、このくらい……っ」
フブキの悲痛な声を聞いたマツリは。腕がそのような状態になりながらも、妹にこれ以上の心配を掛けたくなかったのか。
歯を噛み締めて痛みに耐えながら腕を動かし、気丈な振る舞いで立ち上がろうとするが。
「は……ぐぅっっっ!」
酷い火傷を負っていたマツリの両腕は、最早指一本を動かすだけでも耐え難い激痛が走る。
六歳のマツリが、そんな痛みに耐え得る筈もなく。激痛に顔を歪めたマツリは、腕を持ち上げるのも、立ち上がる動作も諦めるしかなかった。
勿論。
そんな絶好の機会を敵が見逃がす道理もなく。
『その歳にて見事……だからこそ。我らは殺らねばならぬ』
影の一人は、マツリの対処を称賛する言葉を吐くが。
その言葉を合図に全員が短剣を構え直すと、腰を低くしながら一歩、また一歩と二人へ殺気を帯びた視線とともに接近する。
◇
「……と、まあ。私と姉様は正真正銘の窮地だったわけよ」
夜の山中で焚き火を囲み、食事をしながらフブキが聞かせてくれていた過去の話だったが。
内容が盛り上がりを見せたところで、一旦語り手であるフブキの口が止まる。
丁度、焚き火の薪木が少なくなってきたので。周囲に落ちている乾いた枝や枯れ木を補充するためだ。
焚き火が消えないように火の番をヘイゼルに任せて、アタシとフブキ、ユーノの三人で火に投入する枝木を拾いに行く。
「に、しても。話が本当なら、実にイイ姉さんじゃないか」
「そうね。だって……この時に出来た火傷、まだ姉様の手には残ってるもの」
火傷というのは、フブキに飛来した凶刃を叩き落とすために、マツリが強引に発動させた魔法の反動で負ったモノだ。
確か……マツリはフブキと大して変わらない年齢だと聞いていた。そんな年齢の、しかも権力者ともなれば火傷痕など身体に残していては何かと大変だろうに。
「……そっか」
アタシはこの時初めて、一度はジャトラの元から逃げ出したフブキが。何故、他所者のアタシに頭を下げてまで、生命の危険を侵してまでもマツリとの再会を望むのか。
その想いの強さの根源を、垣間見た気がした。
「迦楼羅火翼翔」
カガリ家血統が持つ炎の魔神カルラの力と、始祖たる焔の女皇エレの加護を具現化し、火の精霊イフリートが司るのとほぼ同等の炎を操り。
頭ほどの大きさの塊の炎を、カルラの本来の姿である炎を纏う鳥の形状にして対象へと放つ。一度対象を定めると、目標を追尾する特性を持つ。
一見すると火属性の通常魔法のようだが、魔神の加護を持つ血統が必要になる事と。加護を深めるための儀式や修行が必要になる点から。
どちらかと言えば神聖魔法に近い種類の魔法である。




