47話 アズリア、川姫魚の塩焼きを食す
だが、岩塩を砕いて身に振り掛け、焚き火の周囲に置いて炙り焼きにした川姫魚は。早く取りすぎてしまっては、身肉が生焼けになってしまう。
生焼けでは美味しくないし、何より火の通っていない川魚の肉は食べると腹を下してしまうかもしれないからだ。
「さすがに……腹が減ってるとはいえ、美味くないものは食いたくない、よねぇ」
特に、川姫魚はよく焼けばヒレや鱗や骨まで丸々食べられる珍しい魚なのだ。
だがその珍しさが同時に、川姫魚はかなり火加減の難しい魚となっていた。
アタシも何度、自分で川から釣り上げた川姫魚を焼き加減を間違え無駄にしてしまったか……苦い思い出だ。
「我慢だ、我慢だよアタシ……ここはグッと我慢だ」
だからアタシは、食欲のままに焼いた魚に伸ばそうとした手を何とかして止め。魚の表面や身に振った塩が炙られ、徐々に焦げ目がつくのをジッと眺めながら。
焼き過ぎず、アタシの経験上から最適な焼き加減になるのを、耳を傾けただひたすら黙って待つ。
「ね、ねえ、お姉ちゃんっ?」
アタシの背後で、ユーノが何か言いながら。じゃり、と足音を立てて近寄ってくる気配がしたので。
「──しッ!」
アタシは振り向きざまに、一本立てた指を自分の唇へと当てて、余計な音を立てないようユーノに警告する。
丁度良い焼き加減になるのを見極めるには、川魚の表面が火で爆ぜるパチパチ、という音が変わる瞬間を聞き漏らしてはならないからだ。
「お、お姉ちゃんってば、こ、こわいようっ……」
アタシとしては、軽く注意をしただけのつもりだったが。どうやら食欲に支配されていたアタシは、思った以上にユーノを威圧してしまっていたらしく。
近寄るのをやめ、アタシの雰囲気に気圧されたのか。今いた場所から三、四歩も後退ってしまうユーノ。
「よしよし。腹を減らしたアズリアは、そこいらの野獣よかよっぽど凶暴になるからな」
「ヘイゼルお姉ちゃんっ……」
そんなユーノを慰めるため、頭を撫でてやるヘイゼル。
だが、いくらユーノを慰めるための言葉とはいえ「獣より凶暴」という表現は引っ掛かるものではあったが。
今はそれよりも川姫魚が重要なのだ。
「おッ! どうやら上手く焼き上がったみたいねぇ」
ユーノを静かにさせたのが功を奏し、アタシは火で爆ぜたその一瞬を聞き逃さなかった。
あまり焼き過ぎると、身肉はパサパサと旨味が抜けてしまうし。身から飛び出たひれが黒く焦げてしまう。
アタシは素早く、火の周りに並べた順番に六匹の川姫魚を火から離していく。
「ほらッ、さっきは悪かったねぇユーノ。焼けた魚、一緒に食おうじゃないか」
「う……うんっ」
いくら魚を上手く焼くためだったとはいえ、ユーノを邪険に扱ってしまったのを反省しているアタシは。
アタシから相当、距離を空けてヘイゼルと一緒にいたユーノに手招きをすると。
「さあ……ようやく、だよ。それじゃ──」
木の枝に串刺しにして見事に焼き上がった川姫魚の、まずは飛び出したヒレに歯を立てていった。
すると、パキパキと小気味良い音を鳴らし、実に香ばしく焼けたヒレの骨の食感と。噛み砕くたびに口の中にじわりと滲み出す旨味。
「……うーん、イイねぇ。このザクザクとした歯応え……実に堪らないねぇ」
幾人かの料理人から聞いた話だが、獣や魚の骨を湧いた湯で煮出すと良い味の煮汁が出来上がるという。骨、というものはそれ自体にもの凄い旨味が含まれているのかもしれない。
胸ビレや背ビレは、身肉を頬張るのに邪魔になる。なのでまずは香ばしく焼けたヒレをじっくりと味わっていき。
次はいよいよしっかりと火が通った身肉に口をつけようとした、ちょうどその時だった。
「ちょっと待ちなさいなアズリア。米が炊けたからっ」
フブキが石を積んだ簡易の竈門で煮ていた米の鍋の、蓋を開けた途端に。ぶわっと昇った湯気とともに、甘い香りが周囲に広がっていく。
窯で焼き立てのパンと比較すると、香ばしさこそ足りないが。漂ってくる甘い芳香は米の鍋が遥かに強い。
「で、ヘイゼル。言ったもの、用意してくれた?」
「あー……はいはい、お姫様の頼みだったからな。一応、言われた通りには作ってみたぜ」
そう言ってフブキに問われたヘイゼルが用意してみせたのは、木製の食器であった。
まるで太めの薪木を真っ二つに割った形状だが。中身はくり抜かれたのか、器に使えるよう空洞化していた。
そんな木製の器が、八個ほど。
「あ、アンタ……もしかして、さっきまでコレ、作ってたのかい?」
「まあ、そういうことさ。何だい?……あたしがユーノやお姫様に食事の準備任せて、何もしてなかったとでも思ってたのかい」
まさに図星を突かれたヘイゼルの言葉に、アタシは口を噤むしかなかった。
そして、アタシが驚くべき理由がもう一つ。
「え? え? あんな短時間で……中身をくり抜いて……ッて、嘘だろお……ッ?」
見れば、フブキがしっかりと煮た米をよそう木製の器は、しっかりと料理が入る底の深みがあるほど内側がくり抜かれていた。
あの僅かな時間に八個もの木の器を作り上げ、しかも中身を綺麗にくり抜く手腕と表面を緑色に塗った仕上げは。本職の加工師顔負けの所業でもあるからだ。
そんなアタシの疑問に、苦笑しながらヘイゼルが答えていく。
「……おいおいアズリア。あたしだって普通の木からこんな早く、八個も器が作れるわけないっての」
「それって……どういうコトだい?」
ヘイゼルは否定してみせたものの、だとすればフブキに手渡した八個の器の説明がつかない。
ますます疑問を深めるアタシを面白がるように、ヘイゼルがフブキと顔を見合わせていくと。
「あのね、アズリア……この植物は『青竹』と言ってね。中身が空洞になってる、この国じゃ珍しくない木の幹なのよ」
中々、種明かしをしないヘイゼルに代わり。フブキが指を差して器の材料になった「青竹」なる植物について説明してくれる。
フブキが指差した先を見ると。普通に見てきた樹木のゴツゴツとした太い幹ではなく、両斧槍の握り手より少し太い青々とした幹が空高く真っ直ぐに伸びた植物が無数に生えていた。
だが、フブキの言うように。幹の中心部が空洞化している樹木などアタシは知らない。
「なら、アズリアも確かめてみたらいいじゃない」
フブキの言う「確かめる」とは、アタシも青竹を叩き斬って中身を見てみれば納得するだろうという意味だ。
「……イイのかい?」
「いいも何も、自然に生えてる青竹は別に誰の所有物でもないんだし。本当にそれを言うならもう手遅れよ」
「あははッ、確かにその通りだねぇ」
フブキの言う通りだ。たとえ、本当に山の所有権があったとしても。この場所がカガリ家しか知らない秘密の抜け道な以上、所有権はまずフブキにあるようなものだし。
それに煮た米を盛るための器を作るために、既に一本は切り倒してしまっていたのだから。
「──それじゃ」
アタシは、領主の屋敷に強襲を仕掛けてから四日の間。治療に専念して一切握っていなかった愛用のクロイツ鋼製の大剣を、久々に握ってみせる。




