46話 アズリア、小川の恵みを得る
フブキその他三人と一度離れたアタシは、自分が乗る馬に構うついでに。
ヘイゼルが降りた後の馬の手綱を引いて、二頭並べて繋ぎ。小川の水を飲ませたりと馬の世話をしていたのだったが。
「ほらアズリアっ、いつまでも不貞腐れてんじゃないよっ!」
と、既に火を起こし。取り敢えずの野営の準備を終えたばかりのヘイゼルが、まだ馬と一緒にいたアタシが拗ねていると思ったのか声を掛けてきたのだ。
最初こそ冗談で拗ねた素振りを見せてみたが、本気で機嫌を損ねていたわけではないアタシは。
「う、うるさいねぇ!……大体、アンタをここまで乗せた馬の世話をしないから、アタシがしてたんじゃないかッ」
「ははッ、拗ねてたわけじゃなかったんだな」
「はぁ……まったく、アンタときたらさぁ」
馬の世話を任せっきりにしたヘイゼルに反論するアタシだったが、当人は文句を軽く遇らう始末だ。
そんな態度に、アタシは溜め息を一つ吐いて呆れ顔になるが。
「ん……あの二人の姿が見えないけど?」
ふと、ヘイゼルの周囲を見ると。焚き火の近くにはいるべき筈の人物の姿が、二名ほど見えない。
フブキとユーノが一体、何処へ行ったのかを聞くと。
「ユーノもお姫様も食事の準備さ。お姫様なら、すぐ近くで水を汲んでるはずだよ、ほら……あそこさ」
そう言って、ヘイゼルが指差した先に視線を向けると。小川の縁で、鉄製の鍋に入れた米を川の水で洗うフブキがいた。
「しっかし……ありゃ何してんのかねえ」
「ふふ、知らないのかいヘイゼル。ありゃねぇ、米を洗ってるのさね」
フルベまでの道中でも、モリサカが煮る前の米を一度、水に浸し。白く濁った水を捨てて、再び汲み直した水で米を煮ていたのを思い出し。
おそらくはフブキも、モリサカと同じく米を洗ったことで白く濁った水を、小川へと流しているのだろうと思い。
不思議そうにフブキを見ていたヘイゼルに、アタシは得意げに説明してみせる。
さて。フブキの居場所は把握できたが、問題はもう一人だ。
「……で? ユーノはどこ行ったんだい?」
軽くアタシらがいる位置の周囲を見渡してみたが、ユーノの姿を見つけることが出来ず。
「何か、食べられるモノを獲ってくる、とは言ってたけどさ……さて、どこまで獲りに行ったのやら」
「お、おいおいッ?」
アタシは、ユーノがまた勝手な行動を取っていないかと心配になる。
ユーノは年齢相応に好奇心が強い。しかも獣人族特有の俊敏さが加わると、活動範囲はとても広くなるからだが。
今アタシらがいる山中は、大陸や魔王領とは全く異なり、土地勘が全然働かない。ましてやこの地は、敵の黒幕であるジャトラの手が及んでいるかもしれないのだ。
──などと良くない考えが頭を過った、その時。
「ごめんね、おさかなさんおっかけてたら、ずいぶんはなれちゃってたよっ」
そう言って、小川の中を歩いてくるユーノの両手には。合計で六匹ほどの様々な大きさの川姫魚が握られていた。
川姫魚とは、山の上流などの澄んだ水場を好んで泳ぐ、指を伸ばした手のひらより少し大きい身体の魚だ。
川魚は身肉が泥臭く、あまり好まれないのが一般的だが。水底に生えた苔を食べる川姫魚は身肉が泥臭くないため、澄んだ川が付近に流れる村落では好んで食べられる実に美味なる魚である。
だが人気がある一方で、川姫魚は気難しい魚でもあり。中々釣り針に引っ掛からずに、数を捕まえるのが難しい魚でもある。
二、三匹を釣るだけでも至難の業の川姫魚が、ユーノの手には六匹もの数があったことに驚くアタシは。
「お、おいユーノ……もしかして、その魚って?」
「え? もちろん、てづかみでつかまえたんだけど」
アタシの問いに、単純明快な答えを口にしたユーノ。
ヘイゼルの馬には数日分の食糧を積んできているし。フブキが教えてくれた抜け道を順調に行けば、食糧は手持ちの分で事足りる。
アタシは途中で新たに食料を確保する必要はないと思い。小川を前にしながらも、敢えて腰の小袋にある釣り針を出し、釣りの準備をしなかったのだが。
どうやら、ユーノは川で泳ぐ魚を見て。どうにも我慢が出来なくなってしまったようだ。
そう言えば……魚を釣るという知識と手法を知らなかった魔王領の魔族や獣人族らに、釣りを教えた際にも。
ユーノは頑なに釣り針と糸を使わずに、手掴みで魚を捕まえるのに固執していた。
『ずーっとまっているとたいくつだし、みずがつめたくてきもちいいんだもん』
というのが手掴みに拘る、何とも彼女らしい理由だった。
見れば、目の前で川姫魚を手にしているユーノ全身は。ただ魚を獲っていたにしては頭からずぶ濡れとなっていた。
思えばユーノは馬に騎乗していたアタシらと違い。丸一日もの間、自分の足で山道を走り通し、熱くなった身体の火照りを冷やしたかったのだろう。
ユーノの表情も、この僅かの時間に六匹もの川姫魚を捕らえたからなのか、満足げな笑顔を浮かべている。
「はいはい、飯を炊く準備も出来たから。鍋を火にかけるわよっ」
フブキが小川で洗った米を入れていた鍋は、アタシが元々持ち歩いていた調理用の鍋ではなかった。
一人旅用の鍋では、とても四人がまともに腹を満たす調理に耐えられるものではない。フルベの街にて四人分の量を調理出来る大きな鍋を揃えて持って来ていたのだ。
「だけどさ、それで足りるかねぇ……」
ユーノが捕まえてきたのは六匹。対してアタシらは四人……だが、馬二頭を加えれば魚の取り分で揉めることはないだろう。
だがそうなると、フブキが煮る米に魚が一匹だけ。明日も一日中、山道を進み続ける体力を保つとなると、もう少し食べる量を増やしておきたいのが本音だ。
「──お、そうだ」
そこでアタシは、自分の荷物の中に今の状況に適した食材があったことを思い出し。
いつもアタシが持ち歩いていた鍋を取り出すと、馬に積んだ荷物袋からその食材と、小川の水を入れると。
大きな焚き火の横に、河原の石で三方を囲んで積み上げた簡易的な竈門に火種を移し。フブキが準備した米の入った鍋の隣へと並べていく。
「何だ? 何を用意したんだアズリア?」
アタシがテキパキと何かを用意している様子を見て、怪訝そうな視線を向けてくるヘイゼル。
それもそのはず、街から運んできた食糧には一切手を触れずに。だがアタシの口ぶりからは何か食事を用意していただろうことは何とか理解出来たのではないか。
ならばこそ、アタシの鍋の中身が気になって仕方がないのだろうが。
「そいつはねぇ……出来上がってからのお楽しみにしときなッての」
出来上がるまでは秘密にしておきたいアタシは。
鍋の中身を覗き込もうと近寄ってくるヘイゼルを、手で二、三度払い退ける仕草をする。
アタシも長い旅をしてきたが、この食材を食べると知ったのは海の王国に滞在した時だった。だから海の王国出身のヘイゼルは、然程驚かないかもしれないが。
「くうッ……焚き火からも、竈門からも、腹が鳴るイイにおいがしてくるじゃないか……ッ」
ユーノが捕まえてきた川姫魚は、近くで拾った木の枝で串刺しにして焚き火で炙り焼きにしていたからか。
魚の表面がじりじりと焼けていく香ばしい薫りが、アタシの鼻と食欲を強く刺激していく。
「──じゅる」
さらにはフブキの鍋からぶくぶくと白い泡が溢れ、こちらからはほのかに漂ってくる甘い芳香に。
口中に湧き出る涎が止まらない。
空腹を我慢していたアタシの食欲は。
とっくに限界を迎えていた。




