44話 アズリア、野営場所を見つけて
だが、隠されていた獣道しか通っていない山中に。そんな都合の良い休憩場所などそう簡単に見つかる筈もなく。
探し始めてから短くない時間が経過し。
枝葉の隙間からの木漏れ日も、そろそろ陽が傾き、落ちかかっているのが伝わってきた。
「参ったねぇ……さすがに辺りが暗くなったら、山を進むのは危険だし、早く何とかしないと」
夜の山を移動するのは、危険極まりない。
夜の闇は簡単に道を覆い隠し、愚かな旅人を山中に迷わせようとする。道を見失った挙句、急な傾斜や崖に足を踏み外し転落し大怪我をしたり。ジャトラの配下がいなかったとしても、山中を縄張りとし、夜に動き出す猛獣や魔獣の餌食となるからだ。
だからといって道を迷わないよう、角灯や魔法などの光で周囲の闇を照らそうとすると。今度はその光が目印となり、獣や魔獣を呼び寄せてしまう。
少し状況に焦りを覚えたアタシは、馬を走らせながら。手綱から片手を外し、二本の指で輪を作り咥えると。
息を吐いて、口笛を鳴らす──と。
「──なになにっ。よんだ? お姉ちゃんっ?」
山道を駆ける馬に、再び横並びになってアタシの口笛に反応してくれたユーノ。
実は今使った口笛の合図は、まだユーノと一緒に旅をするより以前の魔王領で。何度かユーノと行動を共にする機会があり。
その際に、唯一アタシが教えた合図だった。
とはいえ、口笛を吹いたアタシも随分の前の話だったし。
結局は一度も使ったことのない合図なので、果たしてユーノは覚えているだろうか、と半信半疑だったのだが。
「なあ、ユーノ。アンタの脚と眼の良さを見込んで、頼みがあるんだけど──」
アタシは、律儀に合図を覚えていてくれたユーノに一つ頼み事をすると。
半日ほど馬と並んで走ってるにもかかわらず、疲労をまるで顔に見せないものの、どこか退屈そうな表情だったユーノは。急に目が活気を帯び、キラキラと輝かせながらアタシを真っ直ぐに見つめてくる。
「なになにっ、なんでもいってよっ!」
アタシが指を差すのは、続く山道……ではなく。その横の木々が立ち並ぶ場所だった。
こちらをジッと見ていたユーノも釣られて、アタシが指差した先に視線を移していく。
「ここから少し先の辺りに、馬とアタシらが休める場所がないか。探してくれないかい?」
ほんの最初こそ怪訝そうに首を傾げるユーノだったが、すぐにアタシがその場所を指差したのかを理解してくれた。
「……みずのおとがする」
馬の蹄が鳴らす音と、風を切る音に隠れてはいたが。周囲の土と草の匂いに混じり、微かに流れる水の音と匂いがした。
それが、アタシが指を差した場所からだったというわけだ。
「ああ、多分小さな川でもあるんだろ。休めるような場所かどうか、その辺を確認してきて欲しいんだ──出来るかい?」
山道から外れた場所だけに、フブキを乗せたままでは馬で踏み込むわけにはいかない。
だからアタシは、ユーノに探索をお願いしたのだが。
「うんっ! ボクにまかせといてよっ!」
実に嬉しそうな笑顔を浮かべたユーノは、アタシへと手を振りながら道を逸れていき。
突然跳躍してみせたかと思えば、アタシが指し示した場所に一番近い木の枝へと跳び乗っていくと。ユーノはそのまま木の枝を伝い、立ち並ぶ木々の奥へと姿を消していった。
「……それじゃ、アタシは」
道を外れた場所の探索をユーノに任せた以上、アタシらだけ先を進むわけにもいくまい。
アタシが一旦、手綱を強く引き寄せていくと。軽快に山道を駆ける馬の脚が、徐々に速度を落としていく。
ユーノが合流しやすいようゆっくりと進みながらも、アタシも自分がいる近辺に適度な休憩場所がないか。周囲に注意を払いながら、あちこちに視線を向けていると。
山道の後ろから遅れて追ってきたヘイゼルの乗る馬が、ようやく合流するや否や。
「ん? ユーノの姿が見えないじゃないか」
「ああ、もうそろそろ陽が落ちそうだしねぇ、ユーノにゃアタシらがゆっくり休める場所を探して貰ってるんだよ」
獣道の途中にアタシらが止まっているのに、周囲にユーノの姿が見えないのを疑問に思ったヘイゼルの声掛けだったが。
先程までのユーノとのやり取りと、真上の枝葉の隙間から僅かに覗く空を指差していくと。
「お姉ちゃああああんっ! ばしょ、あったよおおお!」
今、ヘイゼルとの話題に上がっていたユーノの呼び声が、彼女を向かわせた場所から聞こえてくる。
だが、ユーノが呼ぶ場所に向かうには、かろうじて踏み固められた獣道ではなく。誰も足を踏み入れた様子のない荒れた斜面を、馬を歩かせなくてはならない。
木の根や岩が障害になる以上に、枝から落ちた葉が積もった地面はふかふかと柔く。それが人を乗せた馬の脚には却って負担となる。
「こっち、こっちいい! はやくはやくうう!」
互いに顔を見合わせていたアタシとヘイゼルは、乗っていた馬から降り。手綱を引き馬を誘導しながら、立ち並ぶ木々を潜り、ユーノが引き続き呼んでいる場所へと向かっていく。
呼ぶ声が聞こえた、ということで最初アタシは、それ程遠くはない位置かと思っていたが。歩き出してみると、ユーノの声がかなり距離のある位置から響いていたのを理解する。
「おッ」
「あっ、お姉ちゃあああんっ!」
ようやく木々が開けた場所へと出ると、そこにはアタシが予想した通り。足首ほどの深さ程度の小川が流れ、川縁は二頭の馬とアタシらが休むに丁度良い平らな地面となっていた。
「どう? これならみんなやすめるよねっ?……ねっ?」
アタシの姿を見るなり、手を振りながら駆け寄ってきたユーノは。
あまりに上々な探索の成果を主張しながらも。アタシを上目遣いに、何かを言いたそうに落ち着きなく身体を左右に細かく揺らしていた。
「ああ、水場もすぐ側だし文句なしだよ。ありがとなユーノッ」
出来れば、雨風を凌げる洞穴が最適ではあったが。代わりに「水場が近い」という地理的な利点もある。
アタシはこんな良い場所を見つけてくれたユーノの頭を、優しく……ではなく。指を立てて少し強めに撫でていくと。
「え……えへへへぇぇ……っ♡」
これが本当に魔王の妹だというのが嘘と思えるくらいの。目尻が下がり緩んだ笑顔を浮かべ、全身が脱力しきってアタシに頭を預けていたユーノ。
ヘイゼルより一月以上は付き合いの長いユーノだ。髪をわしゃわしゃとされる撫で方が好みなのだというのも自然とアタシに身に付いた知識だったが。
すると。
アタシの腹が急に鳴り出し始める。
「────ッッ!」
ただの腹の音ならば何の問題もないのだが。
問題はその腹の音が、あまりに大きすぎたことだ。
喩えるなら、急に空を覆う黒雲から落ちてきそうな雷鳴にも似た音。
異常なまでの音に最初、ユーノもヘイゼルも周囲への警戒を強めたぐらいだったが。
ただ一人、音の発生源であるアタシは異常な音の正体を知り、頬が熱くなっている様子を見て。
「あれ、これ……もしかして、お姉ちゃんの?」
「へえ、さすがは食い意地の張ってるアズリアの腹だ、すごい音で鳴くねえ」
ユーノとヘイゼルに腹が鳴る音を指摘され、アタシはさすがに羞恥で言葉を詰まらせる。
思えば、朝早くに街を出発してからここまで、水袋などで水を口に含んで喉の渇きを潤しはしていたものの。
食事をしたのは四人とも昨晩が最後の筈だ。この場にいる全員が空腹だったのは間違いない。だから腹が鳴るのは意外な事でもない……のだが。
こんな腹の音を立ててしまうのでは、ヘイゼルに「食い意地の張った」と馬鹿にされても仕方がないだろう。




