43話 アズリア、不思議な馬
アタシは手綱を引き、馬を旋回させて頭を山道へと向けると。
「二人とも、わざわざ足止めして悪かったねぇ」
後ろに同乗しているフブキを今度は驚かせないように。
馬への走り出しの合図となる、脚で腹を蹴る力加減を極力小さくした。蹴る、というよりは最早撫でるという感じで触れる。
「──よぉし、よし」
すると、街を飛び出した時や山道を駆け出した時のような急発進はせず。普通の馬のようにゆっくりと歩き出しながら、徐々に速度を上げて山道へと戻っていく。
今回の歩き出しでアタシは学びを得た。馬にも能力の違いがあるように、接し方にも細やかな違いがあるという事を。
フブキが驚くような急な挙動を見せたのは、アタシが腹を蹴る加減が下手だったからなのだろう。
そうと知ったアタシは、今度はこちらの意図を賢く読み取ってくれた馬の鬣を優しく撫でてやると。
「フブキ。怖くなったら、いつでも言ってくれよ」
まだ怖がるような速度でも挙動でもないのに、アタシの腰をギュッと強く掴んでいたフブキに声を掛ける。
「……だ、大丈夫よ、しっかりアズリアのこと、掴んでおくから……っっ」
言葉だけは気丈に振る舞うフブキだったが。アタシの腰を掴んでいたはずの腕はいつの間にか腰に巻かれ、顔を背に押し付けて背後から抱きつかれた体勢となっていた。
どうやら先程までの、山道を駆け、木の根や岩を飛び跳ねるこの馬の挙動がよほど怖かったのだろう。
「やれやれ……」
まあ、こればかりはフブキの様子を見ながら。馬の脚の速さを調整するしかない。アタシもまだこの馬を完璧に御しているとは言い切れないのだから。
そんな馬の歩速がいよいよ「駆ける」と呼ぶに相応しい速度に上昇したところで。
「あらためて、出発するよッ!」
アタシは後ろの二人に、出発を再開する合図を口にすると。
立派な鬣が伸びる馬の首を、これまた優しく撫でてやると。ヒィィン!──と一度嗎き声を鳴らした後。速度を一気に上げて山道を疾り出した。
最初に山道を登る時よりも速度や挙動を抑えて。
それはまるで、先程までのアタシらの会話を聞き、内容を理解しているかのように。
「──随分と、不思議な馬だねぇ」
山道を駆け抜けながらアタシは、頭に浮かび上がる言葉をふと口から漏らす。
アタシを乗せてもなお、険しい山道を全速で登れるどころか。跳躍まで熟す強靭な身体と脚にも驚きだが。
まだ騎乗して、ほんの僅かの時しか経っていないにもかかわらず。これまでに何度か、アタシの言葉を理解しているような挙動を見せていた馬に、である。
聞けば、この馬はたまたま領主の屋敷に繋がれていたのを、フブキが連れ出したという話だが。同じく用意されたヘイゼルの乗馬と比較しても、一目で違いが分かるほどに体格や雰囲気が違いすぎる。
大陸ならばきっと、王国金貨でも一万枚は下らない価値が付くだろう名馬と評価されるだろう。
そんな不思議な馬の不思議な挙動は、さらに続く。
「あ……あれ? 怖く、ないっ」
アタシの言葉だけでなく、フブキの態度まで理解したのか。
先程までは地面にある障害物を避ける時に、大きく跳躍し。乗り手であるアタシらを上下左右に振り回す挙動だったのが。
今はというと、無駄に高くあちこちに飛び跳ねずに。しかも着地の際にもなるべく振動を乗り手に伝えず、着地の衝撃を脚や膝で和らげてくれていたのが理解出来る……そんな走り方を、馬はしていたのだ。
今までにアタシも幾度も馬に騎乗する経験はしてきたが、こんな判断が出来る賢い馬は初めてだった。
その走り方の変化は、フブキの感情を落ち着かせるのには十分な効果を発揮していた。
「うん……うんっ、これくらいなら、まだまだ平気よ。何なら、もう少し速く走っても大丈夫だからっ」
「そうかい、そうかいッ」
いつの間にか、腰に抱きついていた腕は解かれ。後ろを一瞥すると、決して無理している感じではない笑顔が戻っていた。
考えてみれば、フブキもまた。周囲の「忌み子」という声にも腐ることなく、逆に家に伝わる秘密の抜け道を利用して遊びの場にするくらいの強い気持ちの持ち主なのだ。
一番は、馬が脚力を加減してくれているのが理由だろうが。
「だったら、フブキのありがたい言葉に従って……少し速度を上げていくとするか、ねぇ」
「え?」
勿論、今のままの速度でもアタシの知り得る限り並みの軍馬などより遥かに速い。
しかも、出発の前日にフブキが明かした秘密の抜け道によって。シラヌヒへの到着日数は大幅に短縮出来る……のだが。
何よりもアタシが、先程この馬と全速で疾走した感覚を忘れられなかった。
風を切る感触、変わる景色の爽快さ。これらをもう一度感じてみたいという欲求が強く表面に出てしまっていたのだ。
その欲求のままアタシは。懸命に山道を走る馬の腹を二、三度優しく足で触れ、速度を上げる合図を馬へと送ると。
まるで、アタシの合図に頷くかのように馬は少し頭を下げる仕草を見せ。
この不思議な馬は、さらに速度を増していった。
それでもまだ「全速力」と呼ぶには及ばない速さだとアタシは思ったが。
馬はまるでアタシら二人の重量を感じていないと思えるかのように軽々と、狭い山道を物凄い勢いで駆け抜けていく。
「──ぐ……く、くううぅッ!」
周囲から迫る風で、背中側から身体を引っ張られる感触。
右眼の魔術文字を発動させ、自分の脚でいくら速く走っても感じることのない不思議な感触に。
吹き付ける風に負けないよう力を込めながらも、知らずのうちにアタシの顔には笑みが浮かんていた。
さすがに後ろに乗るフブキを確認こそしなかったが。
速度が増してなお、悲鳴を上げるでもなし。アタシの背中にぴったりと抱き着いてくる様子もなかったので。
先程の彼女の言葉通り、どうやら速度に慣れてきたのだろうと推察し。
「だけどさッ……まだまだアンタなら速く、走れるんだろッ?」
アタシは──さらに速度を上げる合図を馬へと出す。
というのも、山道に入ると。頭上高くを覆い隠す木々の枝葉によって空が遮れ。どのくらい時が経ったのかをすっかり失念していたが。
先程、少しだけ枝葉の隙間から覗いた空の色は、昼の爽快な青では既になく。その証拠に、僅かに西へと太陽が傾いていた。
おそらく、もう少しすれば空の色は青から朱へと変わり。辺りは夜の暗闇に覆われ始めていくだろう。
アタシらがいるのは木々が生い茂る山の中だ。木々の枝葉に差し込む光の大半を遮られたこの場所は、夜の闇に視界を奪われるのも平地や街より早い。
となれば──陽が落ちるまでに早急に、四人で野営するのに適した場所を見つける必要があったのだ。
平地を進むのであれば、あまり野営地を気にする必要はないが。さすがに傾斜の大きな場所で火を焚くわけにもいかず、まともに寝れるわけもない。
敵の本拠地であるシラヌヒに到着するまでに、充分に休息や睡眠が取れず、体調を崩してしまっては抜け道で日数を短縮した意味がない。
「出来たら、ぽっかり空いてる洞穴なんかありゃ、都合がイイんだけどねぇ……」
これがいつものアタシ一人の旅なら、そこらの木の根本を背にして地面に転がればよいだけの話なのだが。
フブキも一緒となるとそうはいくまい。
四人と二頭の馬が食事や睡眠を取るとなれば、それなりに拓けた場所……いや、出来れば雨風を凌げる洞窟などがあればなおよし、といったところだ。
山道を行くのは、不思議に賢い馬に任せながら。アタシは注意を山道からその周囲に向けて、野営地に適した場所を見つけようとしていた。




